第297話、演技過剰の、ゴッドフェイクファー



―――前方、新たな敵の姿を確認!


炎による粉塵が去るよりも早く。

トゥエルは仁子に警告の言葉を発する。


そう言うトゥエルとしても。

仁子にしても。

まだ諦めていないという事実に対しての評価は、まさかよりはやはりな、というものだった。

何故ならそれは、奈緒子の立ち位置に自分を置き換えてみれば簡単だからだ。



敵だろうが味方だろうが。

たとえどちらに原因があろうが。

殺されても仕方ない罪を負っていようが。

大切な人を奪われたのならば戦い続けるだろう。

その意志が果てるまで。

いや、果てようとも、なのかもしれない。



目の前に倒れ伏す奈緒子は、完全に意識を失っていた。

落ちる、その間際。

だが、手に持つその本が消えるその瞬間まで、諦めなかったらしい。



一人の少年がひざまずいている。

優しげな笑みを浮かべて。

奈緒子にかしづくように。

先ほど具現した三人よりもさらに過去の偉人。

仙道の一翼である賢人。


最初に浮かんできたのは、そんな印象であったが。

彼がまとうのは、法衣ではなく制服だった。


似ているだけの、知らない少年だ。

有名なものではないのか。

はたまた奈緒子のオリジナルなのか。

仁子に見当はつかなかったが。



カタカタカタっ……。


「……っ」


トゥエルが鍔鳴る。

砂嵐のような、混乱を極めた思考のノイズとともに。

まるでこの世でもっとも恐ろしいものを垣間見たかのように。



(……怖いっ!)


ただ怖くて、視線をそらせぬままに後じさった。

それは、仁子が過去に一度体験したことがあるものに酷似していた。


怒り。

それは怒りだ。

知己が見せた怒りに似ている。


それはいつ? どうして?

誰に向けられていた?


分からない。

ただ少なくとも、その対象が自分でなかったことに安堵していたことだけを仁子は覚えていて。



「僕は悲しい。どうしようもなく悲しいんだ」


少年は、仁子を見ていない。

奈緒子がそうしたように。

ただ、涙を流していた。


ついぞ引き込まれる。

何が悲しいのかと、聞き返したくなる。

それが罠だと、気づくこともできずに。



「僕は君を、本当は殺したくなんてないのに」


その声は、首元から聞こえた。

心底嬉しそうな、愉悦の言葉だ。

その手には、ギラリとさんざめく一対の短剣。



―――構えてっ!


トゥエルの初めて聞く悲鳴のような声が仁子に叩きつけられる。

反射的に突き出される手。

仁子の意志よりも早く、短剣とトゥエルが触れる。



「っくぅ!」


ものすごい衝撃、みしりとトゥエルの軋む音。

仁子ができたのは、衝撃に逆らわず、受け入れ弾き飛ばされることだけだった。

……いや、その瞬間の最良の手はそれしかなかったのだと言えるかもしれない。



大気を切り裂き、上昇する光の残滓。

少年のターンはまだ終わっていなかったのだ。


対をなす、もう一本の短剣。

一撃目を注視していた仁子の死角から時間差で迫ってきていた。


仁子がそれに気づいていたら。

トゥエルが攻勢を示唆していたら。

少年のナイフは仁子に突き立てられていただろう。

分け隔てられた前髪の一房が、間一髪である状況を示していて。



「……ふ~ん。それをよけちゃうんだ。やるね」


言葉尻とは裏腹に、苛ついている。

髪をかき、あからさまに不快を表す。

怒りのこもった瞳で、転がりながら何とか間合いを取った仁子を見つめた。



「初めて会ったな。僕より運がいい人がいるなんて」


打ってかわってすげ変わったかのように。

少年は楽しげに笑う。

皮肉ではなく本気でそう思っている風な少年に、仁子はおぞけを覚えた。


少年は気づいている。

今の攻撃。

たまたま運良く、かわすことができたのだということを。

トゥエルの選択が、間に合っていなかったという事を。



「本気出すから。よろしく」


喜色の笑みを浮かべたままの少年。

短剣を奇術師のように消し去ると、スタンスを広げ、手のひらを開いて見せた。


少年から見て、漏れなく仁子を包み込むように。

逃げたり避けたりはできないことを主張するみたいに。


そのやんわりと開かれた手のひらから、光が生まれる。

さざ波のような調べとともに。


それはカーヴに似て非なるものだった。

それでも理解できる。

その光が、仁子の命ふき散らす事など、容易なほどの力を秘めていることを。


事実、それを示すように。

世界が哭き始める。


少年は一見、無防備な様子だった。

彼がそのが技を繰り出す前に攻撃を仕掛ければ勝てる。

そんな分かりやすい隙を見せている。



―――どうする、トゥエル?


だから仁子は問いかけた。

これは罠ではないかと。

誘っているのではないかと。

そう思って。



「……っ」


しかし。

返事の代わりは、重さをなくす利き腕だった。


仁子の目の前。

仁子に背を向け、庇うようにして蒼の天使は佇んでいた。


いつものように透けていない。

それが、どうしようもなく仁子を不安にさせる。まるで生身の人間であるかのように、血塗れのぼろぼれだった。


小さな羽はその殆とがむしり取られ見る影もない。

特にひどいのは右肩だ。

抉られ、ひしゃげ、見ていられない。

それはおそらく、今さっき受けたばかりの傷なのだろう。


今までなら、決して見せることのなかったトゥエルの姿だ。


一人で戦っている。

そう認識していた仁子の前では。

それは普段ならば喜ぶべきものなのに。

それだけのっぴきならない状況であるという事実が、何とも皮肉なものにさせる。



「……12の力全てを出し切ります。覚悟してください」


でなければ死ぬ。

それは、トゥエルが犠牲になるか仁子が死ぬか。

二者択一の覚悟だ。



「大丈夫なの? 今にも倒れそうなのに……」


背を向けたままのトゥエルは。

そんな仁子の言葉を鼻で笑う。



「今更人情見せても遅いです。……言っておきますけど私が死ぬなら自分がなんてくそくらえですから」

「……っ」


今まで心繋がっていたのだから当たり前といえばそうなのだろう。

トゥエルを犠牲にしたくないという仁子の思いを、予想以上の毒で無碍にするトゥエル。

一対誰に似たのだろうと場違いにも考え込みそうになる仁子であったが。



「その行為は迷惑千万です。私はあなたがいる限り消えない。でもあなたがいなくなれば、私は二度とこうして話すこともできないんですから」


それは道理だった。



「でも……」


それでも。

はいそうですかと割り切れるならば。

仁子は今日だけでもう何度死んだことかと思わずにはいられないのだ。


「残念です。三流メロドラマやってる時間はないようですね」


だから、心情的には止めたい。

だけどトゥエルの言葉通り。


時がそれを許さない。

手のひらの光は、気づけば少年を覆うほどの大きさになっている。

それでもまだ成長を続けている。

呆れたような、達観したようなトゥエルのため息。



「前言撤回。もろとも塵になるかもしれませんね。無駄でも足掻いてみますか?」


それは、結果至上主義の彼女らしからぬ言葉だ。

しかもくるりと向き直っての笑顔つきで。


今更、彼女が意志あるものだと実感して。

今更ながら一人じゃないことに後悔している。



「当然。私の性格くらい、知ってるでしょ~」


心も言葉も。

包み隠すことなく伝わる。

今はそれが、少しだけもどかしかったけれど。



「言わずもがな、ですね。了解です」


トゥエルか知らぬ存ぜぬで笑うから。

仁子も笑顔でいられた。

悪くない空気で、最後の会話を交わすことができたのだ。



そうして気づけば、トゥエルの姿はなく。

仁子を包むは、12色のアジール。


七つの大罪と四つの解世。

そして、仁子という、一人の人間がそこにある。

12の力が一つとなって姿を変える。


それは、大いなる方翼牙撃。

青く輝く弾丸、仁子を覆う鎧だ。

……少年がさざ波の詠唱を止めたのはまさにその瞬間で。



「【螺刹旋響(カノン)】、リフレクションズ・Yっ!!」

「【代仁聖天】フォース、トロア・ジャッジメント!」



渾身の力ある言葉二つ。

ぶつかり合う。

少年の手のひらから発せられたのは、真正直な光の波動砲だ。

シリンダーのごとき真円の柱描き、途切れることなく伸びて仁子に迫る。



対する仁子は、それに真正面から突っ込んでゆく。


避けるそぶりすらなく、ただ愚直に。



           (第298話につづく)






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