第298話、唇をすり抜ける言葉が、たとえ全て嘘であってもそれでいいと



ギギギギギギギギィっ!!


魂消るような、苛烈な摩擦音。

それは一見、引き引かれの一進一退の攻防だ。



「あははっ、避けもせずにまともに受ける人初めて見たよっ!」


だが、少年は楽しげに嘲笑っている。

今にも意識が飛んでしまいそうな仁子は大違いだ。


事実、彼はまだ片手でそれを操っていた。

その様には余裕すら、伺える。

まずはその笑みを消し去らねば、仁子に勝機などないんだろう。



―――七つの大罪をその身に秘めし幻想よ、その姿を示せっ!


その意気を組むように。

自らの一端であり分身であるその名を呼ぶトゥエル。


するとその瞬間。

その身にいくつもの刃を潜ませる牙撃のように、七つの幻想に棲みし魔獣が仁子の周りを取り囲んだ。



「はははっ、すごいすごいっ!」


その突然の出来事に、元々大きかった瞳を見開き、感嘆の声を上げる少年。

まるでそれを待っていたかのように、両手で構える。



一瞬にして、何倍にも膨れ上がる光の波動。

それを避けるようにして殺到しかけていた魔獣たちを次々と飲み込んでゆく。

それはまるで、罪を洗う神のごとき所業だった。



傲慢も嫉妬も憤怒も怠惰も貪欲も暴食も色欲も。

その大いなる光には叶わない。

飲まれ、焼かれ、溶けて、消えてゆく。

まるでそれが定めであるかのように。



「なかなか、格好いいね。よし、真似しちゃおっと」


そこで初めて。

少年は使わずにいた右手を振り上げた。

紡がれる言葉は比喩でも何でもなく。

なにやら素早く文言を唱えたかと思うと、仁子のものとまったく同じの、鏡写しのように七体の魔獣を自身の周りへと仕わす。



「ほら、お返しするよっ」


インガノックが、レヴィアタンが、シャイターンが、ヴェルフェゴールが、マモンが、バアル・ゼブルが、アスモデウスが。


因果応報を具象するがごとく仁子にと跳ね返ってくる。

それは、すごいを通り越して呆れるほどに、あり得ない力だ。

人知を越えすぎたが故に、仁子はその巧妙に隠していたほころびに気づけた。


故に仁子ははぶれない。

ただただ、一ミリでも一センチでも、光の波動を抉り前へと歩を進める。



―――フレイヤ、ヴァイシュラ、セルビアス、トゥランよ、その姿を示せ!!


七つの大罪と対をなす四つの解世を生み出し前へ、前へと。

愛と勇気と正義と希望。

七つの罪とは切っても切れぬもの。


どちらか一方を否定する事なんてできない。

お互いが干渉しあうからこそ、人は存在できるのだ。

目の前に迫る七つの罪たちに並び対することのできるのは、四つの解世だけ。


それは賭けだった。

仁子の願望と言ってもよかったのかもしれなくて。



果たして仁子は賭けに勝ったのか負けたのか。

その場に残されたのは……仁子のみだった。


仁子だけが、光へと、少年へと相対している。

その身を削り、歩みを続けている。


その事実に。

揺らぎぶれたのは光の方だった。

もはや痛覚すらなく、意識もおぼろげで。

前のめりに倒れる様相の仁子は。

まったくもって場違いな笑みをくすりと漏らした。



「全部うそなんでしょ?」

「……っ」


本当の意味で、うろたえる気配。

畳み掛けるように、仁子は言葉を続ける。



「本当はあなたは何もできない。ただ、惑わして、写してるだけなんだ」


再現ない恐怖を覚えた、少年の怒気。

感じたことがあるのは当たり前だ。

仁子の、そんな一番の恐怖そのものをトレースしているのだから。



「ほら、この光だってぜんぜん痛くない」


消えかかったろうそくの最後の火のように。

切羽詰まって痛みを感じなくなったのだと思っていたけど。

ぐっと深く踏み込んでも、光が仁子を焼くことはなかった。



「相手の力を利用してるだけ。すごいって、思わせてるだけ」


それを気づかせるためのトゥエルの覚悟だった。

跳ね返ってきた七つの罪が、仁子本来の力と全く変わらないものであるからこそ。

勝つこともなく負けることもなく、四つの解世で完全相殺できたのだ。



「くっ……」


気づけば光は消えていて。

少年は仁子の言葉に押されるようにして後じさる。


その敵意も殺意も隠そうとせずに。

それを見た仁子は、ゆるゆると首を振った。


「それもうそでしょう?」


そのまま、触れるほどに近づいて。



「あなたには……その気はない。その力も」


最後の一言を、突きつける。


それは虚勢だ。

奈緒子の意識がないのに、当たり前のように動く少年。

それは、意識がないのに能力を使うようなものだ。

少なくとも、主死してなお使命のために動けるような強い結びつきが即席の二人にあるとも思えない。


少年は、その人の力を借りて惑わす力を使い、虚勢を張っていたのだろう。

本当なら、その姿維持することすら厳しいはずだった。


それなのに少年は何でもない振りをして、敵意と殺意をぶつけてきた。

ただ、奈緒子を守るためだけに。



「安心して。私がこの子を傷つけるようなことはないから……」


だから仁子は微笑むのだ。

そう、確信を持って。

それは根拠のないものにも思えたけれど。

あくまで仁子の考えであり、あるいは願望に近いものであったけれど。


奈緒子を傷つけない。

ただその一点においては、少年を安心させられる自信があった。


……と。

呆然とする少年の表情が、緩慢なスピードで仁子の視界から外れる。


がくりと。

崩れ落ちたのは仁子だ。

少年が動いたのではなく。

立ち尽くす少年をよそに、今までずっと耐えて気張ってきた糸が。

ここにきてついに……切れてしまったのだ。

賭けに勝ったのか負けたのかもわからないままに。


仁子は夢すら届かない意識の深淵へと落ちてゆく……。







「ぜんぶうそ、か……」


それは自嘲だ。

少年は、ついぞ最後まで仁子に見せることのなかった素の笑顔を浮かべている。

純垢なるそれは、地に足つくものから見れば、この上なく高邁なものに写るだろう。



「奈緒子ちゃんのファミリアでも能力でもないって事も気付いてたかな……」


誰に聞かれることもない、種明かし。

秘密めいたそれは、人知を越えた艶やかさを生む。



「でもいいや。負けておいたことにしといてあげる」


誰かがその様を見ていたら、きっと気づいただろう。

トゥエルや仁子が本当に恐れていたのは、今の少年の姿だったのだと。



「それじゃ、お使いもうまくいったし、帰ろっと……」



弾む言葉。

満足げな様子で、少年は霞んでゆく。



同一世界に二つと存在してはならない、仁子の戯れ言めいた能力とは違う、本当の罪。


それは、『七つの災厄』と呼ばれるもの。


その一翼。

『パーフェクト・クライム』と同列をなすもの。



しかしその御名を、誰に知られることなく。


ひっそりと。

『パーフェクト・クライム』にすら、その存在を悟られることなく。

何事もなかったかのように、全てが嘘であったとでも言わんばかりに。

この世界から姿を消していて……。



           (第299話につづく)





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