第299話、うたかたの少女は、猫に愛されるより愛したい



ちょうどその頃、カナリは。


【LEMU】と呼ばれる夢幻の世界を抜け出し、金箱病院へと戻ってきたところだった。


時は黄昏。

落陽が、その本来の役目奪われしナースセンターのなれの果てを赤く照らしている。


何だか少し、赤の色が濃い気がした。

それは、どこか不安を誘う色だ。

カナリは思い立ち、空がもっとよく見える渡り廊下の崩れ落ちた中庭まで足を運んだ。


「……っ!」


遠く彼方。

おそらくは日の沈む海のある場所。

大きな大きな虹が架かっていた。

信じられないくらい巨大なものだ。

要は、それだけのものができる外的要因がそこにあるということで。



「急がなきゃ……」


不安が膨張した。

威風堂々としたそれが、無惨に破砕され海に落ちてゆく絵が思い浮かんで。


急がねばならなかった。

カナリの思い出の場所へと。

カナリの使命……『時の舟』があるその場所へと。


その場所を捜し求めるのは、たやすいことだった。

それはある意味、ファミリアであることの特権だ。

タクヤはその在処を、実に分かりやすく簡潔に教えてくれた。



『時の舟』に対するカナリの使命。

世界に蔓延する、『もう一人の自分』の存在。

それらを足して混ざりあわせれば自ずと答えは出るという事を。



ただ厄介なのは。

主よりも早くその場所に辿り着かねばならぬ事だった。

自分の使命が何であるのか感づかれるよりも早く。



カナリは、いつも怖かった。

見た目と雰囲気では醸し出せない英知を持つ自身の創造主。

知らぬ存ぜぬな振りをして、本当は全てお見通しなのかも知れないと。


ファミリアというアドバンテージがあっても五分。

その読みは、早々間違ってないだろうとカナリは予測していて……。



「良かった。まだいてくれたか」

「……っ」


ぎょっとした。

今更自分に声をかけてくるものがいるとは思えなくて。

勝手に一人抜け出してどこかに行こうとしている罪悪感も手伝って、おそるおそるカナリは振り返った。


「……ええと」

「あぁ、この格好ではお初であったな。……こゆーざさんっていえば分かるか?」

「人型にもなれたんですね。こゆーざさん」

「いや、ぬしの主と同じだよ。元々人間だったのだ」


言われてみればどことなく。

彼女の主……マスターの美里に似ている気がする。

それで彼女の人となりに納得すると、今度は別の疑問が浮かんでくる。



「わたしに何かご用ですか?」


急いでいることは同じファミリア同士肌で理解はしているだろう。

その事には触れず、かいつまんでそれだけを口にするカナリ。



「ぬしのことはうちの下っ端から聞かされておる。きゃつの代わりに、自身の使命がてらなにかできることがあると思うてな」

「……そっか。タクヤさんは」

「同じ人間に二人のファミリアはいらない。きゃつには丁重にお暇をくれてやったよ。おかげで娘を結婚相手に奪われる父君の気持ちをいやと言うほど思い知らされたがな」


苦々しくも、うれしそうなこゆーざさん。

簡単に自分の使命を受け入れてしまっている風のこゆーざさんに感心する一方で、

うまいこと回避したタクヤに対して、少しの羨望が浮かぶ。


「よく許してもらえたね。タクヤさんのことじゃなくて、こゆーざさんがさ」


下手するとカナリの手の掛かる困ったちゃん以上に。

こゆーざさんの主は聞き分けがなさそうに見えたけれど。



「何を言う、うちの妹はもともと聞き分けいいんだ」


悲しげなこゆーざさん。

カナリはそれで悟る。

自分とは違い、お互いが了承の上での今なのだと。



「そっか。いいな、羨ましいよ」

「……」


図らずも出た呟きは。

こゆーざさんにしてみれば皮肉に聞こえたかもしれない。



「そうでもないさ。結局私たちは他人の力を借りてしまったからな」

「……ごめんなさい」


呟くこゆーざさんが余りに悲しそうだったから。

自然と謝罪の言葉がカナリの口からついて出る。



「いや、ふったのはこちらだからな。謝る必要はないさ。それより急いだ方がいい。ここは思うに、ぬしを引き留めるものが多すぎる」


言われてカナリは彼女がここに来た意味を理解した。

この後に及んでまだ使命にかけることを躊躇っているカナリに、発破をかけにきてくれたのだと。


「そうだね、うん。急がなくちゃ」

「行けるとこまではつき合おう。タクヤにもそう頼まれたからな」

「タクヤさんに?」

「あぁ。このまま何のお咎めもなしに無事にたどり着けるかどうかと憂いていたよ。ぬしの使命は特殊だからな」


言われてみれば失念していた。

明らかに何かをしようとしているカナリのことを。

『パーフェクト・クライム』が気づかないはずはないと。


「……途中で妨害の手が?」

「可能性は高いな。あれも馬鹿ではないらしい。身内の奴らでさえ、疑い始めているくらいだ」


もっともな言葉に、カナリは不安げに辺りを見回す。

今のところは、背後に忍び寄るような闇の気配はなかったが……。


「そこで一つ、私にいい考えがあるのだがね」


まるでカナリが窮するのを期待するみたいに。

チェシャ猫のような企みの笑みを浮かべるこゆーざさんがいて。



結局カナリは、その企みに乗ることにしたのだった。

それがどのような結果を生むのか。

その時はまだ知る由もなく。



ここを去ることで、気づくこともできなかった求め希った思いが。

泡沫と化してしまったことにも気づかぬままで……。




            (第300話につづく)






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