第300話、久方ぶりの女王らしい高慢な笑み
夢はあまりにも眩しかった。
自分にはふさわしくないと、一見して不遜な佇まいを見せるマチカは確信する。
悲劇のヒロインを求めている。
もしかしたら、それすら烏滸がましいのかもしれないけれど。
とっておいた左の道は、案の定現実へと戻る道だった。
追いかけるものがいない代わりに。
マチカは振り向かない。
どちらが正解であるかなど、興味はなかった。
いや、どちらかと言えば不正解を望んでいた節さえある。
今マチカの目の前にあるのは、闇に包まれし鉄の階段だ。
包む濃密な闇。
マチカには見覚えがある。
だが、それは心の奥にあるイメージとは異なる部分があった。
音がないのだ。
まるで生きているかのような息づかいがそこにはない。
母胎の中にいる赤子のような……密かに包み守られるような音がここにはなかった。
(……全く違う場所?)
それは恐らく正しいだろうと、マチカの直感が告げている。
なんだかひどく心が冴え、研ぎ澄まされていた。
その懐かしささえ、身に覚えのないもののはずなのに。
思考は、次々と新しい真実を導き出して暴いてゆく。
(ここが全てまがい物だとして……)
そんな大々的に面倒な真似をするのは何故だろう?
赤いダルルロボはなんて言っていた?
この場所が、選ばれた人間だけが生き残れるシェルターだと、そう言っていたはずだ。
麻理は。
マチカの知らないことを知っている麻理は。
それを強く否定していた。
赤いダルルロボを恐れ、拒絶していた。
その否定は正しいと、マチカは思う。
少なくともマチカが今いるこの場所は。
それを言葉で表すのには、何が一番しっくりくるだろう?
嘘、虚構、夢、ドッキリ、芝居。
どれも近くて、遠い。
簡単なことだからこそ思い出せない。
それはもしかしたら。
仕組まれたゲシュタルト崩壊なのかもしれなくて。
マチカがその答えを導き出す前に。
ずっと続くだろうと思われた階段が途絶えた。
どん詰まりの踊り場。
横壁が、四角くくり貫かれている。
どうやら、部屋があるらしい。
きゅっと地面を鳴らし、マチカは躊躇いなくそこへ足を踏み入れる。
薄暗い部屋。
奥の方に、スポットライト。
オレンジ色の、浮かぶ丸い明かり。
下向きの三角。
ゴールの予兆。
それは、下にしか行けないエレベーターだ。
「……ふふ」
鬼が出るか蛇が出るか。
それは、ここを通過したものがみんな考えたことだろう。
それを思うと、マチカは自然と笑みをこぼしていた。
要は、そういう演出をしているのだ。
薄暗く適度に広いフロア。
それだけが照らされた赤いドアのエレベーター。
ぼぅと浮かぶオレンジ色のボタン。
それら全てが、そう思わせるようにしつらえてある。
ここを作った人は、趣深いハイパーメディアクリエーターに違いない。
……なんて事を考えつつも。
マチカは下へ降りるためのボタンを押し込んだ。
程なくして、せり上がってきた鏡つきの小さな箱部屋が、マチカの前に顔を出す。
余韻すらなく、マチカはそれに乗り込んだ。
その箱庭自体に、あるいはその先にあるものに対しての、危機感はマチカにはなかった。
自分の身が危険に晒されるかもしれないのに、それに対する恐怖はない。
それはもしかしたら、マチカ自身夢を通じて、達観し超越してしまった部分があったからなのかもしれないけれど。
橙の光で示される目的地は地下50階。
みるみるうちにそこへと近づくエレベーター。
最終目的地であろうその場所。
辿り着くその前に、マチカはその異変に気づけた。
(麝香……ラベンダー……鈴蘭)
それは花にも似た香りだ。
幽かなアジールを潜ませた、魔性の香り。
既に、不可視のそれは狭い箱庭を覆い始めている。
特に、鈴蘭の香りが強い。
死を誘うと呼ばれるそれ。
実質は催眠だ。
自覚するよりも早く、マチカは眠気に襲われる。
だが、焦りはなかった。
マチカは自らのアジールを展開し自身を包み込む。
眠気誘うものとは相反する香りを漂わせて。
小さく、金打つ音。
ゆっくりと開かれる扉。
目視できるくらいの白桃色の霧が、這うように視界を塞いでいる。
そこは、思っていたよりは広くない、すり鉢の底のようなフロアだった。
斜め上に延びる、二つの階段。
案の定、ここにやってくるまでの道のりは一つではなかったらしい。
だが、マチカの視線は霧に隠されるていた目下の惨状に固定される。
たたきつけられ破砕されたような、青い結晶の残骸。
壊され、崩され、焦がされ、血塗られた戦いの残骸。
その真っ直中に、折り重なるようにして倒れ伏す二人。
二人とも見知った顔だ。
仁子と奈緒子。
あたりに敵影はない。
確認するより早く、マチカは二人へと駆け寄る。
「落ちてるわけじゃない、か……」
まさか二人が今の今まで戦っていたなどとは及びつかないマチカであったが。
分かることが一つだけあった。
共に満身創痍の果ての意識喪失。
だが、二人ともカーヴ能力者としての生を失うその間際で止められている。
この、眠りを誘う香りが、引き留めているのだ。
まるで二人を必要としているかのように。
……と。
そこに図ったかのように足音が響いてくる。
小さな、ピッチ間隔の狭い足音だ。
それは、上階に続く階段の一つから聞こえる。
お誂え向きに、白桃色の霧はそこから流れてくる。
二人を眠らせた、その能力者。
その先にいる。
マチカは一つ頷き、迎えるようにその下に立った。
「驚いた。……まさか平然と迎えられるとは思わなかったよ」
絶妙に均等をずらした、ボブカットの黒髪の少女。
マチカを目に留め、敵意どころか親しさを持って声をかけてくる。
黒髪に半分かかった瞳には、どこか安堵しているような成分が含まれている。
「つまり、これはあなたの仕業ね?」
白桃色の霧と、倒れ伏す二人。
単純な疑問で、マチカはそう聞いてみる。
「眠らせたのはわたしだけどね」
それは直感だ。
どう転んでも、自分と目の前の少女が刃を交えることなどあり得ないという。
少女もそれを分かっているのか、友達のような気安さでマチカのすぐ側に降り立つ。
「何故……?」
「え? なんでって、赤い法久さんにお話聞かなかったの? ここは選ばれた人が隠れ守られる場所だって」
もう決まっている当たり前のことを再確認するみたいに、少女は答えを返す。
「……だから眠らせたの? そんなものは許さないってだだをこねるだろうから?」
マチカの言葉に、頷く少女。
なんとまあ強引なやり方であろうかと、マチカは思う。
たとえそれが真実だとて。
あまり気分の良いものとは言えなかった。
「それで? 私のこともあわよくば眠らせてやろうって算段だったわけだ。残念だったわね。私は、自分がしたいようにしか動かない我が儘な女なの。少なくとも初めて会う子の頼みが聞けるほど人間できちゃいないわ」
だから突きつけるように。
マチカはそう言って高慢な笑みを浮かべてみせて……。
(第301話につづく)
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