第305話、天然スーサイドさかなに口笛を




シュインッ!



「えっ?」


そんな真澄を嘲うように。

盛り上がりが引っ込んで、ぴたりとその首筋に添えられる、ナイフではないが冷たく鋭いもの。



「真澄ちゃんっ! やっぱりおまえ、敵だったのか!?」


それに、息をのむ真澄より早く反応したのは正咲だった。

力の発動を止め、気当てだけで相手を圧倒しそうな勢いで真澄の方を、正確には真澄の背後にいる人物を威嚇する。

改めて再確認している所から、真澄たちの見知った人物であることは間違いないようだったが。


「やっぱり。……ふふ。心外ね。私は貴女たちのオトモダチになった事なんて一度たりともなかったはずだけれど?」


聞こえてきたのは、ここに来てから何度か耳にした声。

この異世と一体化した、近沢雅その人で。



「……それ以上は動かないのをおすすめするわ」


反射的に相手を確認するような動きをとってしまった真澄の首筋に、一層食い込む冷たく鋭い何か。

あと半歩前に出ればまずい、といった感覚。

しゃべると喉のその動きだけで、鋭い刃が皮膚を破るだろう確信。



「一体何が目的……?」


それは、正咲にも分かったのだろう。

視線だけで殺せそうな怖い顔のまま、忌々しげにそんな事を言う。



「……私はどちらかといえばつきそいなのだけどね」

「……っ!」


瞬間、正咲の背後で盛り上がる地面。

思えば、雅が出てきた時点で必ずと言っていいくらい隣にいた人物のことを、念頭に置くべきで。



雅と同じような手法で現れた、雅の相棒的存在、露崎千夏(つゆざき・ちなつ)は。

相変わらずの掴めない笑みのままで、小さなメスを正咲の肩口に添えていた。


緩慢な、それはほとんどおざなりな千夏の動き。

雅がやれと言ったから仕方なく真似ているかのような、そんな態度。


だが、その真澄でも抜けられそうだったものを、正咲は避けようともしなかった。

微動だにせず、雅を、鋭い刃によって戒められている真澄の方へと視線を向けている。

爪を研ぎ、力を蓄えんとするのを、一切隠しもせずに。



思い知らされたのは、正にその時。

真澄は正咲の枷になっている。

真澄がいなければ、この場は切り抜けられる、ということで。



「むしろ、借りたものを返すのは私のほうです」

「借り……?」


ただの言葉のはずなのに、どこか暗号めいた千夏の呟き。

その言葉に含みがあることに、正咲も気づいたのだろう。

その真意を測りかね、正咲が首を傾げた、その瞬間だった。


ぶれるのは、千夏の腕。

大気を切り裂き、その手に持つメスが向かうは、正咲の頭上。



「正咲さんっ!」


瞠目し、叫んだのは千夏が腕を振り上げたからじゃなく。

高潔な獣のような感覚を持つはずの正咲が、背後から迫るメスに気づいていなかったからだ。


何故正咲が気付けなかったのか。

何故、振り下ろすそのメスには、欠片も殺意が含まれてはいなかったのか。


分からない。真澄には分からない。

考えても分からないから、勝手に身体が動いた。


ぐじゅりと、首元に何かが食い込む感覚。構いやしない。

その感覚には、自慢じゃないけど誰よりも慣れている自信があって。


死なずに続けられるポイントを知っている。

それに気付くと、自然と笑みが出て。



脅しているように見えて、存外雅も甘いんだって気付いたから。

そう思い、真澄が前のめりになりながら雅を盗み見れば。

そこには何とも滑稽な、焦った顔がそこにはあって……。



心持ちだけで首を傾げた瞬間だった。

そんな真澄の視界を一辺に覆う黒い布のような何かが視界を遮るのと。


鳩尾に、この世のものとは思えない重い一撃が繰り出されたのは……。





        ※      ※      ※




油断していたわけじゃなかった。

だけど正咲は、背後から迫り来るそれに、気づくことができなかった。

あれだけ警戒していたのに、気付けたのは、真澄の必死の叫びでだった。



ずん、と右側頭部に差し入れられる何か鋭くて冷たいもの。

いとも容易く、正咲の脳の奥まで届く、そんな感覚。


それは、単純な痛みではなく。

正咲のお株を奪うような、雷……電気信号だった。



「っ……あぁぁぁぁぁっ!!」


途端、正咲の脳に掛かる負荷。

まさしく、差し込まれたメスから絶え間なく何かが正咲の中に入り込んでいく……。



それは、記憶だった。

正咲が、最後の最後まで忘れていた、一番大事なこと。

忘れなければ暴走していただろう、そんな記憶。


カナリとした約束。

正咲が、カナリにお願いしたこと。


忘れなければ、正咲はそんなカナリを止めたのだろう。

それは、世界の滅亡に繋がる。

故に、千夏にお願いして忘れていた最後の欠片。


千夏に、無理を言って貸しておいていたもの。

だからって、こんな悪趣味な返しかたはないんじゃないのかって、少しばかり愚痴を零す正咲。


まぁそれでも。

お互い敵同士なのだからしょうがないか、とも思って。


果たして正咲は。

記憶を取り戻して本当の透影・ジョィスタシァ・正咲になるまでどれくらいの時間がかかったのだろう。

恐らくそれは、ほんの数秒のことだったのだろうが。





目の前では、あの雅の滅多に見られない慌てふためく顔がある。

それは、首元に鋭利な刃物を押し付けられているのに、構わず正咲の方へやってこようとしている真澄の姿がそこにあったからだ。


こんな場面じゃなければ、正咲は口笛なんぞ吹いていたかもしれない。

そんな真澄に対する恐怖に近い感情に。

そして、そこまで思われていたことへのいたたまれなさに。



それからの正咲の行動は早かった。

まずは、【歌唱具現】の数ある曲(のうりょく)の中から、歌なし……詠唱破棄できる数少ないものをピックアップ。


それは、闇の幕。

幕の外からの五感による接触を避ける力を発動する。

『ビロードの闇』と呼ばれる一曲。


それが、正咲と真澄を覆うよりも早く、続けて能力発動。



―――『ラストサマー・テイル』。

発動というより、既に使役中の歌。

雷を司りし、黄金の毛並みを持つ寓想(みゃんぴょう)へと変化する能力。


かのものが得意とするわざのひとつ、雷光石火。

文字通り、電光の速さで真澄に近づき、雷を幻視する尾で雅の腕ごと弾くと、

そのままグレイドル……頭から突っ込んだ。

それから、闇のヴェールが晴れるまで、ジャスト1秒ほどで。



「がっ……!?」


女性らしくない声をあげて、吹っ飛ぶ雅。

一瞬見えた悔しそうな怒り顔にぞくぞくしつつも、正咲は意識を失った真澄を抱えそっと様子を見る。


運良く頚動脈を避けていたのか、意図的に避けていたのか。

出血が少量で済んでいることにまたもや感嘆の音をもらしつつも、お次は癒しの曲、『みずいろ』を発動する。


癒して歌い手がつきっきりでなくても治癒を続けてくれる使い勝手のいいそれに真澄を任せて。


正咲は、残された力をありったけで解放する。

ラストの曲は、もうおなじみのホーリーナイツ・アンブライト。

またの名を、『明けない夜が来ることはない』。


恐らく、全力でぶちこめば、正咲の前に立ち塞がる壁を打ち破ることはできるだろう。

どこか呆けた顔をしている、千夏ごと。



それが、千夏にも分かったのだろう。

大いに苦虫を噛み潰したような顔で、千夏は叫んだ。



「ゲームは厳正なるルールに則られて行われています。ここから先へ足を踏み入れるには、鍵となるアイテムが必要になる。それを無視すれば、他の参加者に待つのは『死』ですよ!」


ほれぼれするくらいの攻夫。

多少説明じみてはいるけど、鬼気迫る感じは悪くない。

というよりも、本気で萎縮していたなどと、その時の正咲は知る由もなかった。

いつでもやりたい放題の暴走人間、だなんて思われるのは心外以前に気付きようもなくて。


『死』はそのままの意味でもあり、カーヴ能力者……特に『この世の結果』を知るものにとっては、暗号めいた意味合いがある。


簡潔に言えば、目論見の破綻。

一度目に、嘘吐き天使のまゆが大失敗をかましたように。



そんなこと分かってるもん、なんていい返そうとした正咲であったが。

正直頭に血が昇っていたのは事実だった。


千夏に、あんな趣味の悪い意趣返しをされて。

結果的に真澄が傷ついた。

正直、熱くなっても仕方ない展開ではあって。


だけど、そんな風にまゆのことを思い出して、正咲はちょっと冷静になった。

正咲の我侭は、まゆの邪魔をすることは間違いないだろう。


……本音を言えば、邪魔してでも止めたいわけだが。

それは、神をも恐れぬ所業、と言うべきなのかもしれない。

口には絶対しないだろう言葉に、正咲は僅かに苦笑を浮かべていて……。



           (第306話につづく)







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