第306話、赤いうさぎの一番欲しかったもの
「近く近くに星は降る……」
だけど返す言葉が浮かばなかったから。
代わりに正咲は歌う。
カーヴの力を詩に乗せて、両の手のひらを広げる。
一方は、息をのむ千夏に。
一方は、般若のごとき表情で肉薄してくる雅に。
「甘い甘い伝説の流れ砂……」
しかし、正咲の歌に大きな力を感じ……あるいは感銘めいたものを受けていたのだろう。
千夏も雅も、聞き入るように足を止めて。
「……今ここに、供にあれ!『フェイク・ゲイザー』っ!」
開いた両手から放たれるは、七色の閃光。
明けない夜にも負けぬ光の筋が、千夏を、雅を襲う。
それは、たとえ知己だとて、避けることは適わない、無範囲の光速。
あっという間に、二人はその光に包まれていって……。
「……」
その七色の余韻が残る頃には。
千夏も、雅もそこにはいなかった。
まるで、最初からそこに存在していなかったかのように。
正咲がそれを見て、大きく息をついた瞬間だ。
ぷつんと、頭の中に何か張り詰めたものが切れるような感覚。
とたんもわもわが頭の中に広がっていって……。
(さ、さすがに連続で歌うのはきつかったかも……)
気付けば焼ける喉とともに。
復帰していきなりこれはきつすぎたかなぁ、なんて一人ごちつつ。
正咲は全身を弛緩させていって……。
※
「はっ」
不覚にも意識を失ってしまって、どれくらいの時間をロスしたのか。
慌てて起き上がり周りを見渡せば、未だ行く手を塞ぐ仕掛けつきの壁と、まだ目を覚まさない真澄の姿が目に入る。
「えぃっ」
「きゃんっ!?」
着付けの意味も込めて、微力な電気を飛ばすと。
真澄は相応の可愛らしい悲鳴を上げて、飛び上がって目を覚ました。
「あ、あれ? って、正咲さん、大丈夫なの? 千夏さんと雅さんは?」
「……ちょっとばかし頭が痛いけど、なんとかね。二人は、倒したよ」
嘘の中に、ごく正しい真実を混ぜると効果的だと言ったのは誰だったか。
肩をすくめてそう言えば、つっけんどんな言い方がまずかったのか、少しばかり正咲に対して警戒した様子を見せる真澄。
いや、それは……怖がっているだけなのかもしれない。
それは、あの天使二人に会うちょっと前に、真澄に蟠っていた空気だ。
「で、でも、さっきメスが頭に刺さって……」
「だいじょうぶ。あれ、ジョイの奪われた記憶だったんだ」
「き、記憶?」
当然、真澄にはなんのことやら、だろう。
正咲は、改めてその事を詳しく説明することにした。
形あるものないもの関係なく、その姿を変える。
それが千夏の能力『神癒蛮化』。
正咲はここに来る前から、彼女に記憶を奪われていた。
その大部分は、一端思い出すことができていたわけだが、まだ残っていて。
それを、律儀にも千夏は返してくれたのだ。
随分と……真澄に言わせれば心臓に悪い方法で。
正咲にしてみれば。
敵なんだか味方なんだかはっきりしてくれと言いたかったが。
恐らくは、この異世に縛られているせいもあったのだろう。
「その、聞いていいのか分からないけど、記憶って?」
「あー、うん。それは……」
封じられていた最後の記憶のかけら。
それは、カナリのことだった。
正咲とカナリの関係。
正咲が、カナリにお願いしたこと。
すぐに思い浮かぶのは、カナリと真澄の因縁。
真澄からすれば、その事について今の今まで知らん振りしているように見えたかもしれない。
ファミリアの……家族の責任は、主としての正咲の責任。
つい先日まで自分のことをファミリアだと思い込んでいた正咲にしてみれば。
妙な感覚ではあったけれど。
「今更だし急でなんなんだけど、ジョイは真澄ちゃんに謝らなくちゃいけないよね」
「……」
何を謝るのか、真澄はすぐに気付いたんだろう。
押し黙り俯く真澄に、改めて正咲は頭を下げる。
「ごめんなさい。ますたー……じゃなかった、カナリちゃんの事は、ぜんぶジョイのせいなの。もちろん、その全ての責任を負うつもりだよ」
それが、故意であったのかどうかなんて関係ない。
真澄が、大切な人との今までを失ってしまったという事実には。
故に、正咲は全力で謝罪の意を示す。
言葉通り、責任持ってもう歌えなくなる覚悟だってある。
一応、一つだけまだやらなくちゃいけないことがあるから、心苦しくもちょっと待ってもらう必要はあるけれど。
内心ではそんな事を思いつつ、正咲は最敬礼の状態で頭を下げ続ける。
一昔前の我が侭な自分なら、こちらが全面的に悪いと分かっていても、しなかっただろう行動。
その一昔前から何日もたってないせいか、急に人格が変わってしまったみたいで。自身でちょっと戸惑う正咲。
同時に、忘れるということはそこまで人格を変えてしまうのだと、しみじみ思っていて。
そんな正咲の態度に、長いこと俯き、呆けていた様子の真澄。
その間、彼女の中でどんな葛藤があったのかは分からない。
だけど再び顔を上げた時には。
憑き物が落ちたみたいに、真澄の表情は晴れ晴れとしていた。
「何言ってるのさ。そもそもあれはカナリさんだって被害者だったんだ。謝る理由なんてないし、正咲さんが責任を負う必要なんてないでしょ」
それは、無理をして遠慮して言っていると気づいた正咲だったが。
裏を返せば、謝るのは正咲ではなく、本人が直接にって言っているようにも聞こえる。
だけど、本人にはその時間は残されていない。
正咲のあまりにも理不尽なお願いによって、それは許されなかったから。
「で、でも……」
それを、一体正咲は何と説明すればいいんだろう?
人でなしの主の命令で、かわいそうなファミリアは……
どんなに曖昧に誤魔化したって、それは押し付けがましいものにしかならない気がした。
思わず、正咲が言葉を濁していると。
「もう、いいんだって。過ぎちゃったことなんだし。二度と会えないわけじゃないんだしさ。それに……欲しかった言葉は、たった今正咲さんからもらったもの」
どこにも嘘の見当たらない、真摯な真澄の笑顔。
それが、あまりにも眩しすぎて。
「ほんといい人だよね、真澄ちゃんって」
まゆの言葉じゃないけれど。
心の底から、そう思わずにはいられない。
「なんかそれ、どうしようもないお人好しだって言われてるみたいで複雑なんだけど」
「自分で自覚してるんなら、いいんじゃないかな」
「ちょっとちょっと、それは『悪い部分』に関して使う言葉でしょう?」
「おぬしもわるよのぉ」
「だから~……」
もうきりがないよ、とばかりに頭を抱える真澄。
まゆのうざさを真似をしてみたわけだが、効果は覿面らしい。
正咲は、そんな事を思いつつも。
こんな茶番につき合わせて騙している自分が卑しく思えてならなくて……。
(第307話につづく)
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