第307話、まるではかったかのように、左耳の海へ



端的に言えば、真澄が目が覚ましたらことは解決していた、そんな感じで。

真澄たちは今、理不尽なゲームに参加するために、走っている。


向かう場所は、この『プレサイド』と呼ばれる人型の建物、動くダンジョンで言う、『左耳』の部分。

となると、さっきまで千夏や雅たちと一悶着あった場所は、首の付け根の辺りだろうか。



試練なるものをクリアして、『魂の宝珠』とやらを手に入れる。

そうしなければ開くことのない『心臓の間』への道。


……と言うのは、道を引き返し、ゲーム的に正規のルートに戻ったことで、法久の同型のごとき姿をした、紅が説明してくれた事なわけだが。

ふよふよと真澄たちの頭上を浮かびついてくる彼は、真澄たちが引き返してくるまでずっと待機していたらしい。


戻ってくるまでずっと待つつもりだったのか。

戻る以外に術はないことを、分かっていたのか。

正咲は、そんな紅をほとんど無視して、先へ先へ、上へ上へと目指す。


真澄はそれにやっとこさの勢いでついてゆく。

その激しく揺れる、稲穂色のおさげ髪を見つめながら。



ついぞさっきまで、ゲームなんてルールなんてお構いなし、な感じだった正咲。

いや、今でもそれに大人しく従っている気はないのかもしれないけれど。


正咲は、なんだかとても焦っているように見えた。

紅に意識を向けないのも、走り出したっきり会話の一つもないのも、確かにそれを証明している。


それはさっき聞いたばかりの、千夏に奪われていた記憶のせいなのだろう。

何でも、正咲はここに来るよりずっと前から、記憶を封じられていたらしい。


それを何故、今になって取り戻すこととなったのか。

どういった記憶なのか。

はっきりと口にはしなかったし、プライベートなことを聞いていいものかと迷う真澄。


カナリとのことで、急に謝られたのには、ただただ戸惑うしかなかったけれど。

一番聞きたかった言葉が聞けたから。もう、なんかいい意味でいろいろどうでもよくなって。


結局それでうやむやになって。

真澄は迷いながら、背中を見つめている。

一体、何をそんないき急いでいるの? と。


そんな風に考えつつも。

元々運動不足な真澄が、いい加減息も絶え絶えになってきた頃。

臓物じみたでこぼこの狭いトンネル道を抜けると、そこはちょっとした広場になっていた。


紅の地図を見る限りでは、右の頬から血管を伝って耳たぶの辺りにやってきた、というところだろうか。

二次元と三次元の違いのせいか、地図と現在地の方向感覚がいまいち合致しないのはややこしくて。



そんな真澄たちの目前に広がるのは闇色を称える水面だった。

立ち止まる真澄たちに対し、ついてきた紅は、すぃぃと水面を舐めるように飛び、その真ん中までいったかと思うと、ここまで来い、とばかりにこちらを振り向いた。


ゆらゆらと揺れ続けているのは、飛行の維持のためか。

浮力を受け、紅の真下から、波紋がいくつも発生している。

それを見て、有無を言わさず水の中に入ろうとする正咲を、真澄は慌てて制す。



「待って、この水の奥だか先だかが試練なら、この水もただの水じゃないかもしれない。僕の能力で、まずは様子を見ようよ。水の中なら、僕の能力も融通がきくし」


焦っている正咲にどこか流されるように、真澄はそう口走る。

急いては事を仕損じる、じゃないけれど。

そんな真澄を見て、正咲ははっと我に返る、そんな仕草をしてみせた。



「……ごめん。そうだよね。ちょっと突っ走ってたみたい」

「制限時間もあるみたいだしね、仕方ないよ」


真澄は、そう言って誤魔化し笑いを浮かべたけれど。 

こっちに意識を向けてくれるようになった正咲には、真澄が気を遣い、遠慮しているのが分かってしまったらしい。


少し、バツが悪そうな顔をしていた。

今聞けば、きっと正咲は答えてくれたのかもしれない。

一体何を思い出して、何を急ぐのか。


「それじゃあ、まずは偵察かな。……【結清妖化】っ」


ちっ、と音を立てて右手首横に食い込む、そのために伸びている真澄の爪。

じわりと流れ出る血に、反射的になのか、びくりと反応する正咲。

あぁ、これは血を見るのがどうこうじゃなく、何の躊躇いもない真澄に対してのものなんだろう。


あまりにも慣れきったその行動に、引いているのに違いない。

男らしい? 趣味のまゆには、このメンヘラめ、なんて言われそうで。


……なんて益体もないことを考えつつ、繰り出された能力により、こぼれた真澄の血は変容していく。


顕れたるは、赤く透き通ったおこぜだ。名前はとんみ。

紅とよく似ている気がしなくもないファミリアは、その羽のようなひれを盛んに動かし、ぴょんと跳ねると暗い水の中へと飛び込んでゆく。



真澄はそれを見送った後、すぐさま視点を切り替える。

術者とファミリアの視点を切り替える事は、比較的ファミリア使いのカーヴ能力者にとってはポピュラーだと思っていた。


法久から言わせれば、おいらを含めて5人もいない能力、とのことだけど。

人と変わらないファミリアのほうがよっぽどすごいだろう。


見るからにロボな法久はともかくとしても。

真澄はいまだ、美冬やカナリがファミリアであるのを信じられないでいるのだから。



「……この水は? まさか生理食塩水? 無駄に凝ってるなぁ」

「そんな事までわかるの?」

「うん。とりあえずは、僕らが入っても大丈夫みたい」


思わず出た独り言のつもりだったのだが、真澄はそう説明しながら改めて瞳を閉じ、探索を開始する。

その闇色の水は、とんみを構成するものと馴染んでいた。


限りなく、人体に流れる水分に近いもの。

深く深く潜り、辺りを見回すが、潜れば潜るほど視界は闇に染まり、何も見えなくなってくる。


「うーん。これは明かりが必要かもね」

「明かりなら、ジョイ出せるよ」

「……まぁ、お手柔らかにね」

「??」


言われて思い出すのは、明けない夜を切り裂く光。

我ながら自虐的なジョークであったかと一人反省し、真澄は探索に集中する。



そうして、十数メートルほど潜った時だろうか。

潜り続けるとんみの腹に、何かが当たる感覚。


どうやら、何か沈んでいるらしい。

触れたままでしばらく移動していると、それが不意に途切れる。

しめたと思い方向転換、少し潜って目を凝らせば、かろうじて見えるはいがんだ円形の入り口だった。

それは、海底洞窟のようにも見えるし、少し下がって全体を鑑みれば大きな大きな巻貝の入り口にも見える。



「ビンゴ。……これはたぶん、三半規管かな?」


こんな風に水につかってて耳が聞こえるのかは分からないが。


「『魂の宝珠』とかいうのありそう? っていうか、どんな形してるのかわかんないけど」

「……ちょっと待ってて。いけるところまで行ってみるよ」


言われてみれば真澄も分からなかったり。

しかし、この先にそれがありそうな可能性は高いだろうと判断した。

となると、後は試練とは何なのかって事になるわけだが。



その答えは、螺旋状に、中に中に細くなっていく海底洞窟の先にあった。

洞窟の終点には光源があって。揺らめく水面が見えて。


勢い良く飛び出したその瞬間。

視界にとらえたのは、その光源らしい光る珠のようなものと。

その牙まで赤い、鯱の顔をもったヒトガタの何か。



思い出すのは、トリプクリップ班リーダー、釈芳樹のカーヴ能力。

故に、その結末も随分と分かりやすかった。


まるでこっちから飛び込んでしまったかのように、それのアゴが迫ってきて……。



            (第308話につづく)






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