第308話、優しい歌が歌えないのが切なくて
「……つぅっ」
「真澄ちゃんっ?」
脳の髄に感じる、引き攣るような痛み。
どうやら、能力を解除するよりも早く、食らわれてしまったらしい。
びっくりして膝をつく真澄に、駆け寄る正咲。
真澄はそんな彼女を手で制し立ち上がると、改めて水面前に立ち、そんな正咲に向き直った。
「『魂の宝珠』らしきものはあったよ。だけどやっぱりそれを守るボスがいるみたい。それが、紅さんの言っていた試練ってやつじゃないかな?」
しかも、ここまで来る途中ででくわした紅や羅刹紅など、足元にも及ばなそうなやつだ。
ものの数秒も掛からないはずの能力解除が、間に合わないほどの速さ。
それだけを考えても、十分危険なのが分かる。
「う~ん。狭い場所で待ち構えられているとするとやっかいだね。その三半規管ってやつごと壊しちゃうっていうのはどうだろう?」
「それは……むつかしいなぁ。『魂の宝珠』ってやつの強度も分かんないし」
正咲の能力ならば、確かにこのフィールドごと破壊できなくもない気はするけれど。
目的のものを紛失したり破壊したりしたら目も当てられない。
「そっかぁ。となると、そのボスをおびき出すか、何とか気づかれないように『魂の宝珠』だけ持ってくるか、になるのかな」
それが可能であるならば、が前提ではあるが。
正咲の言う通りどちらかになるのだろう。
真澄たちは、一緒になってうんうんと考え込んで。
「……あっちに浮かんでる紅のやつに、おとり役になってもらうとか?」
ふいに正咲が発したのは、そんな言葉。
それが聞こえたのかそうでないのか、一際揺れの大きくなる紅。
かと思ったら、すたこらさっさと擬音がつく勢いで、逃げるように赤い天井のほうへと飛んでいってしまった。
「いやだなぁ、じょーだんなのに」
そう言う正咲の、目だけは笑っていなかった。
真澄はそのへたなものより怖い顔に、苦笑を浮かべつつも。
何かしらを囮とするのは悪くないかもしれない、なんて思い立つ。
「そうだな。紅さんはともかくとして、引き付ける役をつくるのはありかも」
「ひきつけ役?」
「うん。さっきのボスなんだけどさ、多分宝珠のあるところにやってきたものを、
構わず攻撃してくると思うんだ。大きな顎を使って、丸呑み丸齧りって感じだったから、すぐ丸呑みできないような子を、作ればいい」
カナリのようなファミリアもいるってことを考えると。
平気な顔して自分のファミリアを犠牲にしようとしている自分にちょっとへこんだが。
ただ、言い訳をさせてもらえれば、彼らは真澄の血肉そのものだ。
彼らの命の分だけ自身を削っているのだと、妥協してもらえればと思っていて。
「でも、それって……真澄ちゃん自身はだいじょぶなの?」
こっそり流すつもりだったのに、やっぱり正咲はその事に気付いてしまったらしい。
そんな真澄には切り札が二つある。
しかし、その二つのカードはどちらか一枚、一度きりしか使えない。
いや、使ったことがないって言うのが正しいのだろう。
元々自身のヒットポイント……生命力を削るのが前提の能力なのだから、どうなるのかくらい分かりきっていて。
ついさっきその一つを使わずにすんだことは僥倖だった。
勘違いの恨みつらみなら、尚更。
今更ながら、行き過ぎた自身に畏怖を禁じえなかったわけだが。
「おそらく、戦闘不能とは行かずとも、役立たずにはなると思う。チャンスは一回こっきり。後のフォローは、全面的に正咲さんにお任せになっちゃうかも」
「……度胸があるっていうかなんかさ、そこまで言われちゃったらやるしかないよね」
呆れたような正咲のため息。
それは、自分の命に関してさえ平気な顔、というより無頓着であることに気付かれてしまったせいだろう。
真澄個人としては、自己犠牲甚だしいのは、男の花道だと思ってる部分もあったわけで。
その流れで短くしていた髪も、平穏な頃からここにいた長い時間のせいですっかり伸びて、あまり説得力はなかったけれど。
「その意気だよ。それじゃあまずは、『魂の宝珠』のある場所まで行かないと」
たゆたう水自体には害はなさそうだったが。
螺旋を描く三半規管の道のりは、素潜りではちょっときつい。
となると、真澄たちを覆い、酸素を確保できるファミリアを呼ぶ必要があるだろう。
この場合、オオエチゼンクラゲのみなもが適任か。
真澄はそう思い、大腿の部分にある血管を切ろうとして。
「すとっぷ! まずは水の中にもぐるんでしょ? それだったらジョイののうりょくでもなんとなるって!」
「……そう言われると僕のいる意味がなくなりそうなんですけど」
「いやいややっ、そんなことないって!」
実際この場にいる必要のないのは真澄だけなのだろう。
そう言えばちょっと前に、イレギュラーだなんだって言われた事を思い出してしまったわけだが。
案の定、それを証明するがごとく、今までにないくらい狼狽している正咲。
嘘がつけないかどうかはともかく、そこまで正直者だと却ってせいせいするくらいで。
「そ、そんな悟りきった顔しないでよぉ!」
涙目になってる正咲がかわいい。
「まぁ、ここで余計な血を使っていざ本番で足りませんなんてことになったら困るしね。お願いします、正咲さん」
「むぅぅ。なんか納得いかないー」
実際、人二人分入るクラゲを作るのはちょっと骨が折れるかもと思っていた所だったから。
おかんむりな正咲を何とか宥め、真澄たちは改めて、試練を超えよと闇色の水の中へと進むのだった……。
※ ※ ※
何の躊躇もこっちの心の準備もなしに、自傷せんとする真澄を。
正咲の精神的安寧のためにと慌てて止めて。
歌うのは『FLY』。
文字通りの、空を飛ぶ能力。
それは、もはや異能技術において一般常識ではあるだろうが、実は水の中も進むことができる。
空を飛ぶにあたって支障となる風やらもろもろを防ぐためのアジールの膜が張られるからだ。
正咲たちは手を繋ぎ、頷き合い水の中へと飛び込む。
ざぶんと、軽く押し返されるような抵抗。
正咲はそれを確認すると、今度は明かりを生み出す歌、『Light of color』を紡ぐ。
本来はただの明かりではすまないので、無詠唱(フレーズなし)の簡単なもの。
それでも、正咲と真澄の間に、七色の光が明滅し浮遊する。
「今更すぎてなんなんだけどさ。正咲さんてなんでもできるんじゃないの?」
正咲たちの周りには空気があるため、会話もお手の物。
呆れというか、無力感に近い真澄の呟きに、思わず正咲は苦笑する。
確かに、自分で言うのもなんだけど、正咲の能力【歌唱具現】は、歌の数だけ能力がある。
厳密に言えば、ファミリアに類する能力は使えないのだが、それにしたって等価交換某を無視しすぎだろう。
特に、自らを削りながら能力を使役する真澄から見れば、そう思われても仕方がないと言えて。
「……まぁ、制限はいくつかあるよ。例えば、一日に20曲まで(ライブの平均曲数)とか、一回能力として発動してしまったものは、二度と歌えなくなるとか」
速度をつけて飛び込んだから、水の中に沈む巨大なヤドカリの棲家みたいな、洞窟めいた穴はすぐに見つかった。
急降下し、索敵の範囲を広げつつも正咲はあっけらかんとそんな事を言う。
「それって、単純に一回使ったら使えないって意味じゃ、ないよね」
「うん。一度能力として認定した歌は、もう二度と普通の歌として歌えないって意味さ」
「……それは、なんて言えばいいのか、つらいね」
「……うん」
真澄が能力者でもアーティストでもないただの人であるならば。
たぶん正咲の言った言葉は通じなかっただろう。
だけど真澄は理解してくれた。
大好きな歌がレパートリーのひとつから消えてしまうその意味を。
真澄みたいに、自身を犠牲にするわけじゃない、一見するとたいしたことじゃないのかもしれないのに。
その心遣いと優しさが嬉しくて、正咲は頷くことしかできなかった。
本当は、なんでもできることなんてないのに。
こんな力を持っていたって、今ここにいる世界を救えやしないのに。
そんな風に、自分から気落ちして周りにたゆたう闇のように鬱屈しかけた時。
いよいよ狭くなりだした螺旋の道の奥から。
僅かに聞こえてきたのは、水泡らしきものが生まれる音で……。
(第309話につづく)
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