第309話、シャチ対、みゃんぴょう&赤いくじら


「なにか、来るっ」

「え? もしかして、ボス?」


だとしたら、いきなり作戦失敗の危機かもしれない。

だが、てこでも動かず防衛に徹せられるよりは、いくらかやりようはある。



「迎撃するから、さがって」

「わかった」


場所が狭いなら狭いなりに、やりくりすればいい。 

ちょうど曲がり角で、こちらからも相手は見えないが、死角であるのは向こうも同じだ。

あるいは、こちらの気配を察しているなら、ここで待てばいい。

そう思いつつ、近づいてくる気配に身構えて。



ゴボボッ……。


大量に泡が上り蠢く気配が、背後から聞こえてきたのはその瞬間だった。



「後ろっ!?」

「えっ!?」

「……」


ばっと振り向けば。

そこにいるのは、全身真っ赤な半魚人……赤黒い顔に、白の目に見える模様をつけた、まさしく鯱に人の手足をつけたような何かだった。

見れば、そのひれつきの足が、貝殻めいた壁面に繋がっている。


どうやら、その壁を伝って背後まで移動したらしい。

囚われの千夏たちの姿を見て、気づくことはできただろうに、失念していたようだ。



「っ!」


真澄が失態の息を吐いた時には、そいつは既にその大顎を開いていた。

標的は、もちろん後ろにいた真澄。

だけど、それが分かっていればすべきことは単純明快。


速さだけは負けない。

すばやきことかみなりのごとく。



「真澄ちゃんっ!」


『魂の宝珠』の方は任せた。

正咲はそんな意味を込めて、電光石火で沈み込む。

そのまま立ち位置を入れ替わると、急上昇。


その間に、真澄にだけ『FLY』の能力を解除。

もはや閉じかけたボスのあざとに、自らの身を差し出すように突っ込んで……。



「正咲さんっ!」


真澄の叫ぶ声は、後方へ引っ張られようとする濁流に飲まれてかき消される。

ちょっと乱暴な手だったが、後は水辺が得意だという真澄に任せるしかない。



一方の正咲は、ものの見事にボスに丸呑みにされていた。

そう、丸呑みだ。

刺さり、食いちぎるはずの歯は正咲の小さな黄色い毛並みには届かない。


それは、刹那の変容。

その速さだけは、何度も言うが正咲には誰にも負けない自信があった。


思えば、最初にこれが役に立ったのは、初めて知己と会った時だったか。

正咲の今の姿そのものがおおいなる弱点だってことを知ったのは、ずっと後だったけれど。

恍惚の笑みさえ浮かべて気絶していた知己を思い出し、正咲は思わず笑みを浮かべて。



バチバチチバチィッ!

尾っぽと耳を逆立て、短くちいさい両脇を締め、正咲はありったけの紫電を撒き散らす。



「ぎぎぎぃっ!」


耳のすぐそばで、くぐもった悲鳴。

その声に押されるように、正咲はボスの口から弾き出される。


「さしだ。かかってこいや~」


水の中にいる以上、ボスだとてそれなりに効いたろう。

電気を纏わせ、それから逃れるように蠕動しているボスを見据え、左手の甲を見せ挑発する。

お互いの間には、正咲の作った空気の膜があるのみ。

相手は場の有利があり、正咲は相手にとって痛い力を持っている。

これで、五分、になればいいなぁと思いつつ。



「ギャャャャッ!!」


咆哮を上げ、突進してくるボスに、正咲はがっぷりよつで同じく突っ込んでゆく。


「先手必勝! さんだーそーどっ!!」


かと思いきや、急停止。

後ろ足を踏ん張り前足二つを勢いよく突き出す。



バリバリバリバリィッ!


その途端、白金の光源とともに生まれるは雷の一筋。

剣というよりは、先端が丸まっているからメイス、といった方がいいだろうか。


それは、ほとんど一直線に、またもやボスの口角めがけて伸びていって……。

するりと、軟体動物のような動きで回転しながらそれを避けるボス。



「だから、どうしたぁっ!」


当たるも八卦当たらぬも八卦。

どちらにしろ正咲は次の行動を取っている。

すぐさま雷の剣を投げ出すと、再びぐんと急降下。



「ぎぎぃっ!」


それに、ほとんど同じ速度で追随をかけてくるボス。

正咲は、それの一つ笑みを浮かべて。



「らすとさまー・ているっ!!」



それは、自然の雷とはまさに逆さ位置。

くるりと一回転して繰り出されるは、青く光る雷形のおっぽ。

言うなれば、落雷ならぬ挙げ雷。かちあげるいかづち。

トドメの一撃、一歩手前の妙技。


だが、手応えというか打撃音は思っていた以上に少なかった。

腹筋の要領で相手を見やれば、正咲の尾は、半月型の刃のついた、さすまたのようなものに止められていた。


いつの間にそんな電気も防いでしまいそうな得物を取り出したのか。

自分の事を棚にあげて正咲が渋い顔をしていると、その僅かな隙を突くみたいに、そのまま反撃が飛んでくる。



「げぎゃぁっ!」

「みぎゃっ!?」


引っかかっているおっぽごと、無造作に振り回される半月の刃。

すると、そこから不可視の颶風が発生し、正咲を襲った。

あっさりと破られる『FLY』の膜。

全身に響く重たい衝撃。



「がぼぼっ!?」


すぐに迫る巻貝の壁に叩きつけられ、酸素を奪われ、正咲は意識を失いかける。

そこに追い討ちの、ボスのあざと。閉じられる刃の歯。


それをほとんど本能で、尾っぽのばねを使いぎりぎりで回避する。

木の葉のように、裂けちぎらんとする死の刃を掻い潜る。


だが、ここは水の中。地上のようにはかわせない。

完全に避けることは叶わず、ぶちぶちと毛をむしられ、肉を抉られる感覚。



「こ、このぅっ!」


せっかくの一張羅がぁ、なんて嘆いている暇すらなく。

こうなれば、猫型を取っている意味もないだろう。

正咲はあえて、元の人型へと戻って。



「……限りなき感情を、前へ前へ、『BURN』っ!」



無詠唱ではこの場を打開するのは無理だろう。

正咲は、最小限のフレーズを紬、新たな一曲を捧げ、犠牲にする。

だが、威力を上げた分だけ間に合わない。

突き出した両腕が、ボスのあざとに吸い込まれて。



「ばーにんぐっ!」


グッガァァァァァンッ!


その腕もろとも、大爆発。

凄まじい衝撃に、正咲は投げ出され濁流にのまれていく。


のまれながら……再び打ち出す。七色の光源。

息継ぐ暇を全力で無視し、風の膜を展開。

あちこちがんがんぶつけながら、正咲は巻貝の洞窟を脱出。


かろうじて、手の感覚はあった。

千切れ飛んでいなかったのが不思議なくらいのそれを、ぶん投げるように正咲は手放して。

そこには、顔半分を焼け爛れされ、失っているボスの姿。



「ぎ、ぎぎぎぎぃっ」


しかし、いまだ敵意も殺意も失っていない。


「じょーとーだぁっ!」


こうなったらどちらかが果てるまでとことん。

場違いにも、正咲は笑みを浮かべて。

再び顔と顔を突き合わせるみたいに、お互いにぶつかってゆく。




しかし。

そんなある意味価値ある瞬間をぶち壊したのは、あろうことか正咲自身だった。


「……っ!?」


まるで、電池が切れたみたいに、急に動かなくなる身体。


何で、どうして急に?

……いや、それは急なものではなかった。


本来なら、警告を知らせるはずのサインがなかったのだ。

今の今まで結構ダメージを追っていたはずなのに、取り立てて気にならなかった痛み。 

余程のことがない限り気にしていなかったツケが、ここに来てどっと押し寄せたらしい。


一番の原因は、この身体に馴染みすぎる水か。

害がないからといって何も問題がないとは限らない。

それを今、思い知らされて。


当然、その隙をボスが逃すはずはない。

これ見よがしに、大きな口を明けて、迫ってくる。


避けるには一ターン足りない。

正咲は再び猫の姿を取り、全身を覆うように雷をためる。


そして、さっきと同じように自らで突っ込んでいって……。

その瞬間だ。

正咲にはボスがニヤリと笑ったように見えて。

ちょっと前にボクがしてみせたみたいに、水中で急制動をかけるボス。



「なぁっ!?」


焦った時には既に遅く。

正咲は、ちょうど歯と歯の間に投げ出される形となって。 

……これで終わりかと、思わず目を閉じ、走馬灯がやってこようとしたその瞬間。



ドグゥンッ!

どこか既視感を覚える衝撃。


いきなり真横からきたそれに、正咲はなすすべなく吹き飛ばされて。

めまぐるしく回転する視界。

瞠目して衝撃の先を見据えれば。


そこには……視界の全てを覆う、真っ赤な鯨がいた。


まるで、血の色のようなそれ。

女の子の中でちいさいほうの真澄を流れるその血全てを使っても、まるで足りない。


これが一度しか使えない切り札かと。

驚嘆しつつも、見てるこっちが血の気が引いてくる。

実際問題、正咲自身もだいぶ血を失ってはいたのだろうが。



「真澄ちゃん……っ」


一体どれほどの代価を払えばあれは生まれるのか見当もつかない。

何より性質が悪いのは。

真澄本人が命(それ)をたいした額でないと思っているところで。


正咲が、そんな風に戦慄する中、真っ赤な巨大な鯨は、ボスのあざとにとらえられ、噛み付かれ、引きずられ吸い込まれてゆく。



「ああっ……」


あれはきっと、真澄の命にも等しく。

ならば正咲は、命を賭して真澄に助けられたことになる。 


のまれ、もみくちゃにされ、流されるは絶望の闇。

こんなはずじゃなかったのにって、なんのひねりもない後悔が正咲を襲う。

だけど正咲が今できることは、それらに浸ることじゃない。


こうなったら。

なんて、一人で勝手に考えていた時だった。


ぼこりと、突然膨れ上がるボスの身体。

それは、伝染するみたいにいくつもいくつも生まれ大きくなっていって。

それから連想するのは、総じて悪いものばかり。

危険を感じ、ここから逃げなければ思うのに、身体が動かない。


結局正咲ができたことは。

ただ目の前の行く末を眺めていることだけで。



カッ!!


爆発。暴発。破裂。炸裂。

ついさっき正咲が繰り出したものなんかお遊びに思える、辛辣極まりない、闇色すら染める赤。

それは血であり、皮であり、ぬらぬらと光る内臓。


その時おぼろげに思い出したのは。

昔どこかで見た、死して尚爆発四散する、鯨の映像で……。



           (第310話につづく)






  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る