第254話、かりそめの装いと化けの皮の、何と多いことか



再び目を覚ました時。

まゆの目に映ったのは、たった今落ちてきた赤い岩壁に穿たれた穴と、仰向けに倒れていたまゆから見てつむじの方向に僅かに見える、赤いゼリーみたいな透き通った何かだった。



「ん……しょっと」


どうやらここに落ちた時に身体を強く打ちつけてしまったらしい。

身体を動かすのが億劫だったまゆは、首だけブリッジでその赤いものを見上げてみた。


赤いゼリーのようなもの。

それは、大きな金魚鉢のような形をしていて、天井と地面にくっついていた。

こぼっと、赤い透き通った部分に、水泡が上がる。

水泡の発生源を目止めて視線を下げると、イソギンチャクの足の長い触手のようなものが蜘蛛の巣みたいに這っていて。



「……っ」


その中心に、さっきみたばかりの哲が逆さに浮かんでいるのが分かる。

いや、逆さなのはまゆの方なのだろう。


その事に驚いてる自分にちょっと反省し、よくよく観察してみる。

哲は言うなれば三段変身するオカマにやられて傷を癒している野菜の国の人みたいであった。

いや、彼は別に傷を癒してるわけじゃないのだろう。

捕まってるのだ、この屋敷に、こうちゃんに。

蜘蛛の巣みたいに絡まってるイソギンチャクは、まるで哲から養分的なものを吸い取っているように見えなくもない。

別段苦しそうな感じには見えなかったが、どう考えてもこのまま放っておくのはまずい気がして。


出してあげなければ。

反射的にそう思い、まゆはきつい体勢のまま手を伸ばした。

触れた赤いゼリーなものは、本当の金魚鉢みたいに硬かった。

たぶん、材質は水槽に使うようなガラスに近いものなのだろう。


だったらどうすべきか。

まゆがその冷たい面に手を触れさせながら考え込んでいると……。



「ん……?」


あろうことか、触れた指先から生まれる波紋。

ぶれるそれの輪郭。

何かやらかしてしまったのか。

まゆが、ようやくそこで寝ころんでる場合じゃないかもしれないことに気づいた時。



「……はっ、殺気!?」


真上から、そうとしか言いようのない何かが降ってくる気配がして。



「お返しのぐれいどーるっ!」


律儀で幼稚な台詞には、紛れもない本気が含まれていて。

その声が届くより先に、転がってそれを回避する。



「うそぉっ!?」


元々僕の鼻先があった場所。

言い訳の余地がないくらいえぐれて吹っ飛んでいた。

いつの間にそんな怪力属性がついたのかと。

本気で潰されそうな気がしなくもなった、正咲のひねり込みドロップを奇跡的に回避したまゆはがたがたと震えながら正咲の次の一手に備える。


「うけた恩はじゅうばいがえしが透影家のモットーだよっ!」

「うそをつけっ、つーか使い方間違ってるっつの!」


あまりの言葉に、即座につっこみ返す。

だが、そんなことで暴走した正咲を止められるはずもなく。


「ひゃっ!?」


どこの獣かといったくらいに、怒りの視線がまゆをすくませる。

始めて見る顔だった。

正咲の怒っている顔。

あんなんでも普段は猫……じゃなくてみゃんぴょうかぶってたのかと思うと、

なんて言うか、ものすごく罪悪感を覚えてしまうまゆ。


まるで覗きでもしてるかのような、いやな感覚。

そんなまゆの心情を見透かしたかのように、まゆに向かって手を伸ばす正咲。



「ち、ちょっと、こんないたいけな天使をふにょおっ!?」


しばき上げられる!

そう思っていたら、正咲の両手のひらはまゆの頬を挟み込んでいた。



「なんであんなことするのっ!」


背中がムカついたからですって答えたかったのだが、まゆのターンは封じられていた。



「あんなことしなくたって、ジョイにはくうちゅうでんこうせっかがあるからだいじょぶなのっ!」


嘘をつけ、めっちゃビビってたじゃねーか!

なんて言葉も口から出てくれることはなく。


「もうあんなこと絶対にしちゃ駄目だよ! 自分を大切にしなきゃ駄目! 分かった?」


おそろしくまっすぐで強い言葉。

言い方はアレだが、なんだか正咲がお姉さんに見えて。

まゆが、何も言えずにいると、正咲はそれに気づいたらしい。

掴んでいた手を離し、そのままの強い瞳でまゆの返事を待っていたから。


「やだ」


すかさずまゆは即答した。

それまでまだぎりぎり押さえ込んでいた活火山が、今にも爆発しそうな、そんな気配。

また捕まる前に、そこから離脱しようとして。


「っと」

「二回目だと流石に慣れてきたかな」


華麗なステップで、軽やかに踊るように怜亜と美冬がまゆ達の元へと降り立ってくる。


結局、みんなついてきてしまったらしい。

これじゃあ本当に、ムカついたって理由だけで正咲を蹴飛ばした事になるじゃないか、なんて思っていたけれど。



「二人とも無事だね、よかった」

「もう、ほんと子供みたいなんだから」


美冬の安堵の呟きと、怜亜の窘める言葉。



「ジョイ、こどもじゃないもん。まゆちゃんが分からず屋なんだもん」


そう言われて、正咲も先の行動に対して大人げないかもって思ったのかもしれない。

噴火しそうだった何かがそんなぼやきを残してすっと静まる。


しゅんとした感じ。

嘘でも気をつけるよ、くらいの気遣いがあった方がよかったかなぁ、なんて正直な自分にちょっぴりまゆが後悔した時。



「ひゃあっ!?」

「わわっ!」


ガラスに亀裂が入り割れる音。

崩れ出す、赤い破片。

一番近くにいた正咲が、その流れに背中からのまれそうになって、悲鳴を上げて飛びすさる。

そして、その流れで投げ出されるようにこちらに倒れてくる哲。

まゆは、正咲と入れ替わるようにして哲を受け止めた。


その感触は思ってた以上に軽くて。

思わず哲をまじまじと見つめてしまう。


中性的……どちらかと言うと女の子側に分類されるだろう顔立ち。

そのきれいな亜麻色の髪を長めにしてしかるべき格好をすれば、十分いけるんじゃないか、なんて思って。


はっ、思考がやばい方向に。

まゆは気を取り直して再度様子を伺う。

血色は多少白い気もするけど悪くなく、呼気も落ち着いている。

水の中にいるみたいだったからどうかと思ったが、それも勘違いのようで、とりあえずはただ眠ってるだけらしい。



「その子は確か『ママ』の……」

「しんちゃんのお仲間さんだ。えっと、確か」

「塁ちゃん!」


そのことに一安心していると、ほぼ同時に怜亜ちゃんと美冬さんが口を開いて。

それに続くように正咲が叫んだ。



「えっ? 哲くん……じゃないの?」


だけどそれはまゆの想像していたものとは違っていて。

思わず素っ頓狂な声を上げてしまう。


美冬も同じようなリアクション。

怜亜は何かを考え込んでいるような、そんな雰囲気で。


「あっ!」


一拍置いて、正咲が『秘密にしてたことをばらしちゃった』としか表現しようのない顔をする。

何より、慌てて両手で口を塞ぐ姿がいただけなかった。



「塁ちゃん? あれ? 哲ちゃんじゃなかった、この子の名前? 確か、勇くんの妹さんでしょう?」

「ほえ、妹さん? あれれ?」


正咲と噛み合わないだけでなく、美冬とまゆの認識も噛みあってなかった。

正咲は哲のことを『ルイちゃん』だと思っていて。

美冬さんは哲のことを女の子だと思っていて。


まゆが『喜望』にいた時の須坂哲の認識とは大いに違っていた。

情報が錯綜している。

本当は何が正しいのか。

恐らく、本人に聞けば一番早いのだろうが……。



「ルイ……そうだよ、ルイちゃんだ。その名前ならママに一度聞いたことあるわ。

自分を偽って生きなくてはいけないと、自分自身で決めつけてしまった女の子の話」

「……っ」


ふいに、思い出したようにそんなことを呟く怜亜。

それに心当たりがあるのか、びくりと反応した正咲は、泣きそうな顔で口を塞いでいた。


「あ、別にこの子がそうだって言ってるわけじゃないのよ? だって、ほら、私だいぶ前にこの子のこと見かけたもの。ママの子供の一人の……哲くんでしょ?」


それが気の毒に思えたのだろう。

たとえ、てるが、本当は塁と呼ばれる少女で、正体を隠しているのだとしても。

それを本人の前で、本人の及びつかないところで決め付け、判断しようとしていることに。

 

「それより問題はさ、何で哲くんがここにいたかってことなんだけど」


言いながらまゆは、先程見た勇と哲が戦っていた光景を思い出す。

あれを見たのは、ここに哲がいたからだ、というのは間違いなさそうだったけれど。


夢の光景で見た哲と、ここにいる哲。

それは、違う人のようにまゆには思えた。


もっとも、まゆの知る、『喜望』で付き合いのあった哲は、今ここにいる哲であることには間違いなさそうで。


混乱する。

どういうことなのか、知りたかったが。

それは、哲自らの意思で語られる以外に、術はないのだろう。


そう思って、話題を変えようとして……。



             (第255話につづく)






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