第21話、うたかたの少女とクリムゾンバタフライ
―――同刻、カナリの屋敷。
「……雪?」
少女が目を覚まし、いつもと違った異質な空気を感じ取って目に入ったそれは、あるはずのない夏の雪だった。
見慣れた花々の唄う庭園はそこにはなく、天蓋を抜けて出た庭の先には、永遠にも久しい雪原が広がっている。
「寒いよ……」
薄手のネグリジェに、ストールといった格好で庭に出た、長い長い烏の濡れ羽色の黒髪、紅髄玉色の眠そうな瞳が、怪しくも美しい少女……カナリと呼ばれる彼女は、腕をかき抱き寒さに震えた。
空は青と白の色が灰色にのまれ、不安な色を見せている。
そこから向かい来るのは、寂しさを引き連れた羽音なき蟲たち。
それを目で追えば、人の願いを叶える事のない抜け殻の綿毛になり。
降り立った地面にはそれの亡骸ともつかない白の雪が、しんしんと横たわっていた。
「これは、カーヴの力なのかな」
カナリは呟き、その真っ只中へと歩を進める。
しばらくしても、雪道を歩くのには心ともない麦色のサンダルが雪に跡をつけては消えていくばかりで、何も変化はないように見えた。
「……」
まだ、世界の終わりには早いはずだった。
最期を写したあの絵には雪はなく。
この辺りにいたはずの『もう一人の自分』も、彼女が座っていたベンチも、そこにはない。
それにより、この世界が、カナリ以外の誰かによって生み出された異世だということが分かった。
「ジョイ、大丈夫かな」
カナリが思うのは、たった一人のたいせつな友達のこと。
終末を示す一枚の絵。
それを『喜望』の人達に見せ、世界の危機を伝えること。
それが、カナリが初めにしたジョイへのお願いだった。
「……っ」
カナリが雪の中を進んでいくと。
やがて迫り来るのはどこからやってくるのかも分からない殺気。
まるで世界そのものが放っているかのようなその殺気に、カナリは再び震え立ち尽くした。
相手は誰だろう?
感じただけでわかるのは、相当の使い手である事を示す、冷えたカーヴ。
ジョイが失敗するとも思えないが、『喜望』の人々が何か勘違いをして、カナリ自身に刃を向けた可能性もある。
あるいは理由などどうでも良くなって、世界の爪弾きものである自分を消しに来たのかもしれないと、カナリは考えた。
ならば、どうして今まで生かしてきたのかと言う疑問も残るが……。
「……ジョイ、どうか無事でいて。わたしがどうなってもあなたは生きなくちゃいけないんだから」
そして、それがジョイに願った最初で最後の願い。
カナリはそんな呟きとともに、3度目の身震いをした。
膝元ほどまである長い黒髪が、雪に舞い踊る。
それは、寒さのせいでも、纏わりつく殺気のせいでもなかった。
それが何であるのか思い出し、気がついたカナリは、薄く微笑みを浮かべる。
命やプライドをかけた、ギリギリの中での緊張感と、高揚感。
その時に生まれる震えは、極上の音楽が耳から魂を通過した時のものと同じだった。
思わず笑みを浮かべたのは、その感覚を味わうことが大好きだった自分を今更ながら思い出したからだ。
『……この部屋の窓から降る雪を……いつも二人で見るのが楽しみだった……』
唇から零れるのは心からのの歌。
そして、カナリがこの屋敷へ閉じこもった理由でもある、カーヴの力だった。
歌とともに世界が振動し、雪が風に舞い上がっていくのが分かる。
『描いた夢……好きだった時間……壊せない想い出詰まってる……』
カナリが力を解放するとともに、世界が明滅を繰り返す。
舞い上がる雪は、もう嵐のように荒れていた。
このままいけば異世は崩壊し、カナリの異世へととってかわるだろう。
そんな事が分かってしまうような、異世を内から壊してしまうほど大きな、暴走したカーヴ。
本当は異世を壊したくはなかったが、それはカナリ自身で止められるものではなかった。
一度歌い出した歌は、終わるまで続くだろう。
たとえ結末がどうなろうとも、もうカナリにはどうしようもなかったのだ。
それが、カーヴの暴走というものだから……。
『嫌いになる意味なんてどこにもないから……ここから動けないでいる……』
その言の葉は、きっと今のカナリ自身を表しているのだろう。
そんな感情を乗せたまま流れゆく旋律を、しかし雪の世界は全て受け入れることなく、消えてしまった。
それでも最後まで歌い上げ、カナリが一息つくと。
目の前には古ぼけたベンチと、様々な花たちが咲き誇る……いつもの世界に戻っていた。
周りに、カナリ以外の人影はない。
「……あきらめてくれたのかな?」
相手を、あの世界を壊してしまった感覚はカナリにはなかった。
おそらく、カナリの力が異世を押しつぶし塗り替えてしまう前に、異世を元に戻したのだろう。
そうカナリは自己完結して、辺りを見回すと。
ふと目の前の庭園に、見慣れない真っ赤な花を見つけた。
「まさかっ……二重にっ!?」
カナリはそれの意味に気付き、慌てて自らのアジールを纏う。
微かなサンライトイエローの光が、カナリを覆った。
一つの異世の外側に、それを覆うように異世を展開する。
最初の雪の世界でインパクトを与えておいて、些細な違いに気付きにくくさせ、異世が解かれたと思い油断した所を叩くのは、特に格上の敵に対して行う作戦としては、常套手段だった。
でもこの場所は、カナリにとってホーム同然だ。
花々全てを手入れしていたため、その違いにもすぐ気付けた。
「ぅっ!?」
だが。
その花の色を目にした瞬間、カナリは身体の自由を奪われたのを実感し、愕然とした。
さらにどういう仕組みか声を奪われ、自分の考えが間違っていた事に気がつかされる。
相手は決して格下なんかじゃない。
そう思わせておいてさらにおとしめる。
これは、同等かそれ以上の相手の戦い方だった。
「……」
視線だけがその花を追っている。
黄金に縁取られた魔性の花に。
身体の自由を奪い、能力を封じる。
そういった類のフィールドタイプの能力だろうか。
カナリはそんなことを考えつつ、動けないままにしばらくその場に立ち尽くしていたが、仕掛けたカーヴ能力者は現れる素振りすら見せなかった。
それを、カナリは強者の慎重さととったが。
これから一体どうするつもりなのか。
そう思った時だ。
それに答えるように、頭の中に何かの映像が流れ込んできたのは。
―――それは、物語だった。
老婆が少女に、おやすみ前のおはなしを聞かせる、そんな物語。
「……っ!」
それが何なのかカナリは本能的に理解し、見ちゃいけないと首を振るが、映像は頭の中から消えてはくれなかった。
老婆は、ある一輪の花の話を始める。
それは、世界に二つとない黄金に縁どられた赤い花。
どんな財宝よりも値打ちのある、究極の花。
この世の、どんな願いも全て叶えてくれるという魔法の花のおはなしだった。
当然少女はその花が見たくなる、欲しくなってくる。
少女はそれが見たいと、欲しいとだだをこねるが、老婆は笑ってそれを諭す。
全てを手に入れるということは、不幸も災いも、死も手に入れてしまうということを。
そんな花がなくても、しあわせはここにあるじゃないかと、老婆はおどけて笑い。少女を包む。
お話は、そこで終わるはずだったが。
少女はその花を探し、ついには見つけてしまうのだ。
そして。
その時ふっと映像が消え、現実に戻り、カナリの視界に入ったのは、一匹の蝶。
その花よりも赤い、宝石のような、血の色のような蝶は。
ゆっくりと羽ばたきながら花の香りに誘われるように、花のもとへと近づいていく。
「……っ!!」
近づいちゃ駄目だと叫ぶつもりだったのに、それは声にならなくて。
その瞬間、何かが砕けるように、赤い飛沫が花をさらに色づけるように広がって。
カナリの視界を、赤一色に染めた……。
(第22話につづく)
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