第四章、『青空その①』
第20話、二人の『もう一人の自分』考察
―――『喜望』本社ビル地下10階。
知己と法久の二人は、少しばかり警戒しながら最下層にある一室、法久のために宛がわれた仕事部屋に入る。
地下にあるということ以外は、本棚があってデスクがあって、仮眠のためのベッドがあったりと、ごく普通の書斎のような部屋に見えるが……実の所、この部屋はダミーという意味合いが強かった。
「法久くん、どこにいるんだ?」
「ここじゃないでやんす、下でやんす」
「下? だってそこは」
会長である榛原と自分くらいしか知らないはずと言いかけて。
『もう一人の自分』にはそんな事関係ないんだろうなと思い直す。
知己が言葉を止めて法久を促すと、法久は一つ頷いてベッドの柵に手をかけ、ゆっくりとスライドした。
その下には、人一人やっと通れるような階段がある。
それは、案内図などには記されていない、秘密の11階であった。
「じ、じゃあ、行くでやんす」
「お、おう」
自らを鼓舞するようにそう言ってから、一歩一歩階段を下っていく法久の後に知己も続く。
するといくらも下らないうちに、異世へと入り込む、空気の変化したような感覚に襲われた。
それは、法久の異世だった。
そしてそのまま到着したその場所は、さながらコックピットのように狭く、知己に見当もつかないような機材が所狭しと配置されている。
知己がかろうじて解かるのは、10数を超えるテレビのようなモニターと、くりぬいた本棚のような場所に並べられていて、今や遅しと出動待機中に見える、プラモデルたちくらいだろう。
「で? 法久くんの『もう一人の自分』はどこだ?」
「そっちでやんす。階段から一番遠い、部屋の角」
知己は言われた通りそちらに眼を向け近づいてみるが、やはり何も見当たらなかった。
「いろいろ質問したいんだけどいいかな?」
「もちろんでやんすよ」
何かを考えながらそう呟く知己に、法久も神妙に頷く。
何せ自分に降りかかってくる問題だから、法久も何か分かるなら少しでも知っておきたかったのだ。
「会長にも、ライブ会場のスタッフにも訊いたことだけど、ここにいる法久くんは何をしている?」
「う~んと。表現しづらいでやんすけど、壁に向かって何か言ってる……って感じでやんすね」
法久は唸りながら頭を捻り状況を説明する。
見えない自分を説明する。
それは何だか、奇妙な感覚だった。
「それは普段から日常的にやってること?」
「まさか、そんなわけないでやんすよ」
「そりゃそーだ」
今までの事を考えて、その人が日常的にやっていることを『もう一人の自分』が模しているかと思いきや、そうではないらしい。
「それじゃあさ、法久くんはそいつに触れてみたことはあるか?」
「触れるって。そ、そんな、怖くて無理でやんすよっ。触ったら最後死んでしまうかと考えたら、とてもとても無理でやんす」
法久は、そう言って恐々と震えてみせる。
それを見た知己は本当にげっ歯類みたいかもとか思いながら、少し笑ってそれに答えた。
「いくらなんでもそれはないだろ。もしそうだとしたら、とっくに事件になってニュースで報道されているはずだしな。だからちょっと試しに触ってみないか?」
「うぅ~、し、仕方ないでやんすね」
法久はぶつぶつと文句を言いながらも、知己の言う事も最もだと思ったのか、おっかなびっくり『もう一人の自分』がいるであろう場所に近づき、そっと手をかざす。
「うひゃっ!? つ、冷たいっ。さ、触れたでやんすっ!」
そしてすぐに、熱湯に指を突っ込んだかのごとき脊椎反射で法久は叫び、手を引っ込める。
「触れた? 一体どんな感じ? 気分は悪くなってないか?」
「んと、一瞬だったからはっきりしないでやんすが、冷たい陶器に触ったみたいな感触だったでやんす。少なくとも、人肌に触れたって感じじゃなかったでやんすね」
どうやら他人には見えなくてすり抜けてしまうが、本人には見えもするし、触れることもできるらしい。
「ふーん、本人だけが触れられる、もう一人の自分か。一体何なんだろうな? 見た感じ、触っても何ら害があるわけじゃないみたいだし」
知己は口元に手を添え、『もう一人の自分』について考える。
そして、無意識だかわざとなのか分からない知己の言葉に、反応したのは法久だった。
「害って! さっき触っても何も起こらないって言ったじゃないでやんすかっ」
「あ、でもほらっ。実際この目で見てみないとさ、分からないことってあるじゃないか」
「ひ、ひどいでやんすっ」
さすがに怒りの表情を露にする法久に、知己も悪かった、悪ノリしすぎたと両手をあげる。
実際大丈夫だと知己には確信があったからそう言ったわけなのだが、それを説明するとまたややこしくなりそうだったので、知己はそのまま言葉を続けた。
「まあまあ、何も起こらなかったんだからいいじゃないか。それより、法久くんは何だと思う? この『もう一人の自分』は、やっぱり誰かのカーヴ能力だったりするのかな?」
知己がそう言うと、今までの怒りアクションをぱっと止めてそれに答えてくれる。
切り替えが早いのは、何だかんだいって知己のことを解かっている証拠だろう。
「うーん、どうでやんすかね? こんな能力、見た事も聞いた事もないでやんすよ」
仮に、カーヴ能力だとして、世界中に、しかも現実世界も異世も関係なく、現象が起きるほどの範囲の広い能力など、存在するかどうかも怪しかった。
そもそも、この『もう一人の自分』はカーヴ能力者以外にも目撃されているではないか。
「でもさ、数万種だっけ? カーヴの能力の数って、それだけあれば一つくらい、そんな奇特なものがあるかもしれないよな」
「概算でやんすけどね。少なくとも、おいらのデータには入ってないでやんす」
全カーヴ能力者に1~3つの能力があると考えると、だいたいそれくらいの数の能力がある計算になる。
そんな法久の説明を聞きながら、知己はカーヴのことに付いて考えていると、不意に何かが降りてきたかのごとく、この『もう一人の自分』が、カーヴ能力か否か分かるかもしれない、いい案を思いついた。
「あ、そうだよ、何で今まで気がつかなかったんだ己は? この『もう一人の自分』さ、法久くんの能力で視てみたら何か分かるんじゃないのか?」
「言われて見ればそうでやんすね。じゃあさっそくスキャンしてみるでやんすよ」
法久は、知己の言葉に答えるように、むんっと顔に似合わない掛け声でカーヴの能力を発動させる。
知己はそれを見て示し合わせたみたいに脱力……もとい、力を抜いていた。
「【頑駄視度】、ヴァリエーション1、『スクリーン・オフ』っ!」
Aクラス以上のカーヴ能力者が他の能力者と一線を画している明確な理由の一つとして、『A』の数だけ同じカーヴ能力でもヴァリエーションがある、という点がある。
つまり、AAAクラスのカーヴ能力者である法久には、【頑駄視度】というカーヴ能力で、3種類の力が使える計算になる。
(厳密に言えば、芳樹達がやったように、複数のコンビネーションから新たに派生する力もあるので、さらに増える場合もあるが)
法久がその力を発動すると、沈黙していたモニターの一つが息を吹き返したみたいに、ある映像を映し出した。
それは、知己と法久の横顔だ。
「ん? どこから撮ってる? あ、いた」
知己が撮影元を探して辺りを見回すと、本棚のような場所に立っていた一体のダルルロボの(全身は臙脂色、大きさは50センチ強のそこそこ大きめのダルルロボで、ザックと呼ばれる知己でも知ってるような有名なプラモデルである)、赤く光る一つ目が、知己たちを見ているのが分かる。
案の定、モニターにはカメラ目線の知己が映っていた。
法久はそれを確認すると、むうっと一つ唸り声をあげる。
するとそれが命令であったかのように。
ザックは背中と足下の小型ジェットを利用して(るように見える)、ふわりと宙に浮いた。
そしてそのまま部屋の中を移動し、ザックは『もう一人の自分』がいるであろう場所を移しだす。
「うーん、やっぱり何も映ってないな」
「そうでやんすか? おいらにはバッチリ映って見えるでやんすが……ま、とりあえずスキャンしてみるでやんすよ」
法久のそんな言葉に、やはり本人の目にしか見えないものなのかと考えつつも、知己は頷く。
今までの一連の動きが【頑駄視度】のヴァリエーション1、『スクリーン・オフ』だ。
情報収集型のファミリアで、それが見たものは映像情報として、この部屋に集まる。
ちなみに、一度に最大10体まで稼動でき、現在今目の前にいるザックを含め、6体が稼動中である。
そして、その得た情報を元にさらに深く掘り下げた情報を得ることができるのだが、ヴァリエーション2、『スキャン・ステータス』だ。
ダルルロボにより映し出されたものが人物であるならば、カーヴ能力の有無、アジールの属性や、所属派閥を含む個人情報……どんなカーヴ能力を持っているのかが明確に提示され、映し出されたものがカーヴ能力であるならば、その力がどういったものなのか、対処法としては何があるのか、なんていった事まで白日の下に晒されてしまう。
ただ、この部屋にいなければスキャンできなかったり、ダルルロボ自体に戦闘能力が皆無だったりと弱点も多いが、それでも知己が厚い信頼を寄せるある意味最強に近いカーヴ能力だった。
法久が、そのモニターの前に腰掛け、デスクの引出しから取り出したキーボードを軽快に打ち始めると、部屋の壁を映し出したモニター上にウィンドウが開き、緑色の蛍光色で、文章が提示される。
「……『喜望』所属、青木島法久のアジール。属性、『金』アジール硬度『F(弱い)』。撮影地点、『喜望』本社ビル地下10階付近……」
「………」
それは、半分予想通りの表示だった。
知己の目に見える通り、示された情報は二人が今いる場所、法久のアジールについての説明している。
知己の目には見えない、『もう一人の自分』についての情報は何一つ記されていなかった。
「うーん、うまくいかないものでやんすねぇ。カーヴ能力でなくても、何らかの情報が提示されると思ってたでやんすが。これじゃあまるで、ここには何もないのと同じでやんすよ」
法久のお手上げだと言わんばかりの呟きに、何か思う所があるのか、知己は再び口元に手を置き、考える仕種をする。
「何もないのと同じ、か。情報が提示されない理由があるとすれば何かな、法久くん」
「理由でやんすか? そうでやんすね。例えばおいらの能力には映らないように、プロテクトがかけられているとか」
法久は、ぽつりと出たような知己の呟きに、一番可能性の高い理由を示した。
「その可能性がないとは言い切れないけど、逆に、法久くんの力で映し出せるものって何がある?」
しかし、知己はそれじゃあピンと来ない気がしていた。
何で映らないのか分からないのなら、その逆を考えてみようか。
知己の考えは、そんな単純なものだったが。
知己自身、その考えにこそ答えがあるんじゃないのかって、そんな気がしてならなかった。
「映るものでやんすか? おいらの『スクリーン・オフ』は、基本的に移動する防犯カメラみたいなものでやんすから、カメラに映るものなら大抵は映ると思うでやんすが」
「カメラ……カメラね。ん? まてよ。ってことはさ、仮に同じ場所を撮り続けた場合、後で巻き戻せばその場所の過去が見れるってことだよな?」
何か解かったらしい知己の瞳には、わくわくして興奮しているような子供の色が伺える。
知己が今までの会話で何を掴んだのかいまいち計りかねた法久は、首を傾げて知己に問うた。
「カメラだから巻き戻せばそりゃ過去が見れるでやんすが、それがどうかしたでやんすか?」
「ああ、うん。逆説だよ。過去が見れるカメラに見えないもの。それって未来なんじゃないのかってさ」
「未来でやんすか?」
知己の口から出た未来、という言葉に法久は吸い込まれるみたいに反芻する。
「そう、未来さ。この『もう一人の自分』は、未来だから……未来を映したものだから、法久くんの能力で映し出せないのかなって思ったんだ。つまり、未来を暗示するようなものなんじゃないのかってこと」
明確な理由などなく、あくまで知己の考えというか、予想にすぎなかったが。
それでも法久は驚きを隠せなかった。
「おお、なるほどでやんすっ。未来でやんすか。それならおいらの能力に映らないのも、納得いくでやんすね」
知己の得意げな意見に、何度も未来と呟き、法久は感心した声をあげる。
確かに、未来の事象であるならば法久の能力外だろう。
それを見るためには、例えば未来を予知するような、そんな力が必要だ。
「それで、この『もう一人の自分』が未来を示すものだとして、それには何の意味があるでやんすか? 誰が、何の目的でこんなもの創ったのでやんしょ?」
「さすがにそこまでは分からないな、面目ない」
法久の至極もっともな言葉を受け、知己は頬をかき、誤魔化し笑いを浮かべる。
『もう一人の自分』が、未来の事象を表していると思いついたまでは良かったが、肝心の理由と目的が分からなければ意味がないのだ。
「仕方ないでやんす。そんなのよく考えたら、これを創った本人じゃなきゃ、
そう簡単に分かるものでもないでやんすからね」
「これを創った人、か」
ちらりと頭を掠めるのは『パーフェクト・クライム』。
もし、そうだとするならば、分かるのは一つ。
これから近いうちに、この『もう一人の自分』で悪い事が起こるだろうということだ。
「創った本人じゃない、おいらたちは、未来の見えないおいらたちができることは、せいぜい過去に戻って、対策を練ったり、今見たいに予想するしかないでやんす。『もう一人の自分』と未来の暗示について、過去の資料を漁ってみるでやんす、だから今すぐ10階にレッツゴーでやんすよ!」
『パーフェクト・クライム』の事を考えると、すぐに知己は顔に出る。
それは苦悩と微かな恐怖が混じっていて。
それに気付いた法久は、そんな感情を吹き飛ばすみたいに明るくまくしたてて、上の階にさっさと上がっていってしまう。
「ああ、そうだな。それが己たちの仕事だし、使命だろう。今できること、やらないとな」
過去の情報についての調査ならば、この部屋でもできるだろうが、それでは知己にはすることがない。
見ているだけで何もしなければ、必然的に考える時間が多くなる。
そしてそれは、知己にとってマイナスに働くだろう。
それを察しての法久の行動に知己は感謝しつつ。
その部屋を後にするのだった……。
(第21話につづく)
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