第163話、ある天使の家族の闇深い話



しんしんと音を奪い、降り積もる雪。

絶句と言う音は、きっとこういうものなんじゃないだろうかって。

阿海真澄は漠然と、そう思った。


巨大なゴールデンレトリバーのツカサに連れられて、やってきた知らないどこかの世界。

つくりものとは思えない肌寒さと舞い落ちる雪の中、薄いコンクリートブロックの……だけど向こうの見えない塀に左右を囲まれた、細い細い住宅街の通りの辻。


その先に、リアにこれから起こるであろう未来があると。

ツカサ自身、もう二度と見たくないと、そう言うほどのものがあると、言われて辿り着いたその先。


ひらけた場所、パンダの乗り物が寂しい、そんな公園で。

   



それまでずっと真っ白だったはずの地面を真赤に染めて倒れ伏す、リアの姿がそこにあった。

   




染まり出したばかりなのか、そうでないのか。

その赤は……視点の定まらず、青とも紫ともつかないその瞳を。

虚ろなまま空へと向けているリアを。

囲むように広がっている。


   

その出所は、リアだった。

白かったはずの翼は真っ黒に染まり、ぼろぼろにちぎれている。

   

多分、その辺りから……もともとリアだった赤いものは。

まるでシロップのように、じわじわと雪を染めていく。

   


皮肉なことに……そんな残酷な姿でさえ、リアは美しかった。

真澄がしなくちゃいけないことがあるはずなのに。

こんな所でぼうっと眺めてる場合じゃないのに。

真澄の身体は動かなかった。


でもそれは、思っていたよりはたいした時間じゃなかったのかもしれない。

まるで誰かを呼ぶように、生きている証を示すようにリアの吐く息で虚空が白くそまった時。


真澄は駆け出していた。

きっと間違いなく、みっともなくわめきながら。

何を言ったのか、それすら分からないくらい、錯乱していて。



なのに……。

その信じられない光景が正しく幻であるかのごとく。

真澄は横たわるリアに触れることすらできなかった。

  

必死に叫んでも、その言葉は届かない。




「…………」

 

真澄がますます混乱する中で。

真澄を見ていない瞳がにじみ、何かをつぶやく。

だけど、その声すら届くことはなく。

  


やがて虚空を染める白が消え、リアだったものが冷たい骸になっても。

そんなリアが消え、赤く染まる雪が消え、公園すらなくなって。



何もない真っ暗な世界になって。

さらに場面が切り替わって、また違う世界が現れて。

すべてが幻だったと気付いても、真澄はなにもできなかった。

   

何故ならそれほどまでに、衝撃が計り知れなかったから。

それは絶対あっちゃいけない、悪夢だったから。






「戻ってきたみたいだね、真澄さん」

「な……何が戻ってきただよ、イタズラにしても性質が悪すぎるよ! こんなもの、こんなもの僕に見せ付けて、どうしようっていうんだ!」

  

そのセリフが白々しく聞こえて、気付けば真澄は声を荒げ、叫んでいた。

けれど、その不用意に出た僕の言葉は、ツカサの琴線にも触れてしまったらしい。


 

「いたずら ? ……まさか! 冗談であの子をあんな目に遭わせてると、そういいたいのかい? そんなこと、あるわけないじゃないか! ……あの映像は僕の能力なんだ。【蒙昧址肢】は取り込んだものの過去、そして未来だって作り出し、取り出せる。キミが今、どんな目にあってここにいるかだって僕は言える! 本当に起こってしまうから、このまま『あいつ』のいいなりになってたら、あの子があんな目に遭ってしまうから! だからこうして、ここで守ってるんじゃないか!」

「……っ」

 

ガラリと、雰囲気の変わる音すら聞こえた気がした。

そこには、ここへ来たばかりのツカサの面影など、どこにもなかった。

 

真澄が見ていた、忠実な飼い犬のごときツカサ。

まるで、それこそ幻だったかのように……そこには狂気があった。

 

真澄はそれに恐怖を覚え、知らず知らずのうちに気圧され、後退っていた。

今までほとんど感じなかった、ツカサに対しての、強烈なほどの不信感が浮かんでくる。

   

 

思えば、ここに連れてこられたのも不意だった。

 

そもそも、ツカサとリアはどんな関係なのか。

勝手にファミリアとその主だと思い込んでいたけれど、そのことをリアからもツカサからも聞いたことはなかったし、今となっては、それとは別の妄執めいた何かを、このツカサから受ける。

 

リアを守ろうと、そのための行動や言動であるはずなのに。

それは大きすぎ重すぎて、逆にリアを押しつぶしてしまうんじゃないか。

……そう思えるような、妄執を。


 

「ごめん。軽率だった。……よかったら、話を聞かせてくれない? ツカサがリアを守る理由。それからあいつって誰のことなのか。僕だって本当にリアがあんな目に遭うの、許せないんだからさ」

  


だが、だが今は。

真澄がツカサに不信感を抱いていることなど、二の次だった。

今さっき見たものが、嘘だろうが本当だろうが、許せないのは確かなのだから。


今は知らなければいけない。

リアに、一体何が起ころうとしているのか。

知って、自分自身で見極める必要があった。



そこに偽りの気持ちなど一片もないのは確かで。

それがツカサにも分かったらしい。

幾分落ち着いたように見える黒い大きな瞳で真澄を見やると、ツカサは低い声で、語りだした。

   


「僕がここでリアを守ってるのは……カーヴ能力者と、カーヴに関わるものと接触しない、なんて表向きなものじゃない。全ての元凶、あの子の母親から守るために、なんだ」

「母親……?」

 


話の流れからすると、あいつと言うのはリアの母親のことなのだろう。

リアの母親と言えば、この信更安庭の長であり、あのガラクターズのメンバーのひとりだった、鳥海春恵のことだろうが。


母親から守るなんて、一体どういうことなんだろう?

思わず反芻すると、ツカサは頷いて。

 


「そう、母親だ。大地に住まう春の天使。彼女はいい意味でも悪い意味でも天使だったよ」

 

熱のこもった口調で、そんな事を言う。

ツカサの瞳に、再び狂気が帯びたような気がしたが。

真澄は黙って先を促すことにする。


 

「人のために自分という存在を犠牲にするのは当たり前。そんな自己犠牲も甚だしい女性だったよ。実際ガラクターズが解散して、『パーフェクト・クライム』が世に出るようになってから、誰よりも人のために身を粉にして働いていたのは、彼女だと思う。だけど、『パーフェクト・クライム』は、そんな彼女が思う以上に厄介で強大なものだった。文字通り、自らを犠牲にして戦ったけど、『パーフェクト・クライム』を滅することはできなかった。だから彼女は、早いうちから自らの後継者、後を継ぐものの育成を考えるようになった。信更安庭学園は、その集大成って言ってもいいだろう。……そこまでは、立派と言う言葉ですんだのかもしれない。

だけどね、彼女は気付いたんだ。いくら力あるものを育てても、所詮人間は人間、自らを当たり前に犠牲にできる自分たちとは、根本から違うのだ、と」

「……」

   

鳥海春恵と言う人は有名人であったし、真澄自身この信更安庭学園の卒業生だったから、その功績の偉大さは多少なりとも知っていた。

けれどツカサの語るものは、その知っている程度を遥かに凌駕したものだった。

 

まるで、本人よりよっぽど本人を知っているとでも言いたげな、そんな感覚を受ける。

ツカサは、やっぱりただのファミリアじゃないのだと強く感じる真澄。

 

ツカサは一体何者なの?

聞いたみたいのに、何故かそれは言葉にならない。

どこかツカサにそれを聞いてはいけないような、そんなオーラがあった。

   

 

「だから彼女はね、その命と引き換えに世界を救うってことを、自分の子供たちにさせることにしたんだ。最初に白羽の矢がたったのは一番目の子だった。その子はね、彼女の言葉を疑うことのない、とても良い子だったよ。何疑うことなく、『パーフェクト・クライム』の犠牲になって、死んでしまった。僕は悲しかったよ。……同時に恐ろしかった。そんな風に、周りなんかお構いなしに、平気で自分の命を捨てられることがさ。何が一番恐ろしかったって、一番目の子が死んだこと、運命だとでも言いたげな彼女がそこにいたことだった。僕は確信したね。やっぱり彼女は人間じゃないんだって。だからそのお鉢が……何も知らないあの子に回ってくるのも、彼女にとっては当たり前のことだったんだと思う。ただ、そんな彼女も、同じことの繰り返しでは、無駄死にするってことくらいは分かってたみたいでね、方法を変えたんだ。あの子に時を渡らせ、根本から断つ、と言った風にね。たぶん、その方法はうまくいくんだと思う。そうすれば世界も、救われるんだと思う。けれど、そのせいであの子はひどい死に方をすることになるんだよ。決して許すことのできない、さっきのあの一未来のようにね。……こんなくだらない世界のために、あの子は当然のように犠牲になってしまうんだよ。そんなの僕は、絶対我慢できない。だからこうして、ここで守っているんだ。あの子を彼女に、渡さないために」

   

 

多分、今言ったことは、ツカサにとっては紛れもない真実なのだろう。

リアを守りたいって、たとえ世界がどうなろうとも守りたいって。

ツカサにとってリアが大切であればあるほど、そう思うのは当たり前のことのように感じる。

 


しかしそれはあくまで、ツカサ主観において、なのだろう。

真澄は昔から、ちょっとひねくれている所があって。

たとえば凄惨でひどいニュースを聞いても、本来容赦なく断罪されるべき加害者の側に立って事件を想像してしまう、何てこともザラだった。

 


つまり、何を言いたいかというと。

このツカサの言動や行動が、リアにとって本当に正しいのだろうか。

そういう可能性を考えてしまうというわけで。

   

 

「そっか。ツカサの言いたいこと、よく分かったよ。僕もリアのこと守りたい。……僕に何か、できることないかな?」

 


だからこそ、今の心情とは違うけれど。

現時点で最良の言葉を、真澄は口にするのだった……。




             (第164話につづく)







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