第164話、きっとサンタが、なんて他人行儀じゃいられない
夏井美冬は今、焦っていた。
ただひたすらに願いを、頑張って人の願いを叶えてきて。
本来この世界に、ずっといちゃいけないはずの彼女には、必要なかったはずの感情。
その感情が生まれたのは。
彼女の存在理由そのものな『しんちゃん』に、それまでの『私』を壊され、新しい『私』になって……今まで知らなかった、嬉しいことも楽しいことも、辛いことも悲しいことも、たくさん知るようになったから、なのだろう。
それは、決して悪いことではないのだろうが……。
「……ふう。止まったと思ったらまた走り出して。美冬さんってば、一体どこまで行くんすか、ちょ、ちょっとへばってきたんすけど」
背後から、あたたかいひとのぬくもりを伝えてくれる、長池慎之介の声がする。
「あ、そっか。別にずっと走ってる意味、ないんだった」
目の前に広がる悠久凍土の平坦な土地。
遥か向こうに霞がかって見える、氷の結晶でできた山。
かき氷の白みたいな、真っ白い雲に覆われた空。
ここは、美冬と慎之介だけの、一時的な避難場所。
その時が来るまでの、仮初の異世。
慎之介のお腹が冷えたりしたら困るという理由で、実は見た目ほど寒くはないわけが。
それでも息を切らしてる慎之介を見て、美冬は思わずそんな事を呟いて立ち止まる。
「ああ、やっと満足してくれたみたいっすね。……で、この異世はなんなんすか? おれ、黙って来ちゃったからちょっと解いてほしいんすけど」
「ダーメ、ここは二人だけの世界なんだから、邪魔するとお馬さんに蹴られちゃうんだから」
普通のファミリアと主なら、主の命に逆らうなんて、言うこと聞かないなんて持っての他、なのだろうが。
美冬はただ従うだけのつまんない女じゃないのと。
慎之介はそんな問いかけを黙殺し、指をふった。
まあ、もともとファミリアともちょっと違うからこそのなせる業ではあるのだが。
「うまいこと言って流そうとしても無駄っすよ。さぁ、異世をとくっす!」
「ふはははー。この二人だけの世界から出て行くのなら、この私を倒していくことねー」
「うぐぐ、ひきょうっす」
とはいえ、この異世を解くのはとても簡単だったりする。
今言った言葉通り、慎之介がその気になればいいだけなのだから。
いっそのこと、そうしてほしいと口にしたのなら。
きっと、慎之介は怒るのだろうが。
そもそも慎之介がそんな人ならば、そもそも今の美冬はここにいないわけで。
悔しそうに、でも困り果ててぐるぐる回ってる慎之介が、ちょっとかわいい、などと思ってしまう美冬がそこにいて。
なんでもないいつもの日常だったのなら、意地悪はこのくらいにしてってなるのだろうが。
この世界に終わりが近付いているって非日常が今なんだから仕方がない。
世界に終わりが近付いているなんてこと、どうして分かるのか。
それは、美冬がかつて、『氷』の眷属に類する存在だからってことにつきる。
美冬自身でもご都合主義だなぁ、なんて思っていたが。
『氷』の眷属は『時』の眷属と密接な関係にあって。
『時』ほどではないけれど、世界を第三視点……高みから世界を覗くことができるのだ。
今の世界の状況を第三視点で見たら、途中で道が終わっていた。
それはイコール、人の歴史が終焉に向かっているのか。
あるいは、停滞という表現が正しいのかもしれない。
簡単に言うなって怒られそうではあるが。
美冬にはその道のすぐ脇に、終わらずにちゃんと続いている道が走っているのも見えているので、そもそも考え方が違うのだろう。
この世界しか知らない人……その中には慎之介もいて。
それも美冬の焦ってる理由のひとつなのだろう。
自分だけ他の世界に逃げるなんて絶対に嫌だって。
結果が分かってるのにとか、そういう問題じゃないんだって。
慎之介がすべてな美冬には、それを真の意味で理解できなかったから。
だったら、どうすればいい? って悩みに悩んで。
結局、こうやってはぐらかして。
まもなく開くであろう『時の扉』のことを待つしかないと、美冬は考えていた。
それはきっと、お互い引けなくて、譲れない戦い。
それを勝ち取るのは、二つに一つ、なのだと美冬は思う。
圧倒的な力で奪うか、ずるさを持って掠め取るかのどっちかなのだと。
「ひきょうでいいよ。しんちゃんのこと、守れるならね」
「美冬さ~ん、さっき頷いてくれたじゃないっすか~。逃げるんじゃなくて、世界を守るってことなら、真に願えるって、おれ……言ったっすよね?」
「うん、言ったね。忘れるわけないじゃん」
ぶすくれる慎之介に、美冬ははっきりと頷いて見せる。
いくらなんでも、誓いに背くようなことはしないよ……と。
ただ、ずるいだけ。
慎之介の望む、世界を救いたいって願いと、それを叶えようとする美冬。
そこには、少しの認識の違いがあるって、それだけの話。
「えーと、つまりどういうことっすか? おれ、ちょっとよく分かんなくなってきたっす」
「まーかせて、ちゃんと今から説明してあげるから」
慎之介が折れるか、美冬が折れるか。
それは傷つけあうことのない、二人の戦い。
その戦いの火蓋が切って落とされたこと。
慎之介が気付いてないからこそ、ずるいと言われるのだろうが。
美冬が異世を作って慎之介とここにいる理由。
それは慎之介を不意の危険から守るためと、慎之介の言う願い、それを叶えるためのチャンスを逃さないように、ということに尽きる。
万能の神様じゃないから、慎之介の言う願いを、ぱっと叶えてあげられるわけじゃない。
仮にぱっと叶えられるとしても、この世には等価交換というものがある。
慎之介に何も影響なしに、彼の願いを叶えるのは、不可能に近かった。
だからと言って、引き換えに何か慎之介に負荷を与えるようなことは、たとえ本人がいいといっても、美冬はしたくなかった。
そうなると、あまり願いらしくはないが、結局美冬が頑張って頑張るしかないわけで。
「あのね、実はね、ここ……信更安庭学園、だっけ? すごく時の歪みが生まれやすい場所みたいなの。つまりね、それって時の眷属の力……ファミリアみたいな存在って言えばわかるかな? それがたくさんあるってことで、その力が強まるような何かのきっかけがあれば、時の扉……例えば今より未来とか、過去とかに行けるようになるんだけど。私、それを使って世界を終わらそうとしてる根本をつんじゃえばいいんだって思ったんだ。もちろん、しんちゃんと一緒にね。そうすれば、しんちゃんの願い、叶うでしょう? 守るって言ったのはさ、その扉の開くチャンスって少ないと思うし。それまでしんちゃん元気じゃなきゃ意味ないでしょ? ……だからだよ」
今こうして慎之介に会うまでに調べたのが、このことだった。
これなら、別の世界に逃げるわけじゃないし、最良の選択だと、そう思っていた。
たとえ、その時の扉を生み出す行為が、相当の対価を必要とするものだとしても。
黄泉の扉を開けるために生けるものの魂が必要なように、その対価が誰かの命であるとしても。
しかし。
「それじゃ、ダメっすよ。美冬さん。それじゃあ、おれの願いが叶ったことには、ならない」
慎之介の口から出た言葉は。
美冬の予想していたのとは、全く別のものだった。
いや、多少なりとも予感はあったのかもしれない。
美冬は、その案に少なからず後ろめたさを持っていて。
それが、繋がっている慎之介に伝わらない保障はなかったのだから。
「どうして? 何でダメなの? 違う世界に行くのだって、逃げるわけじゃないんだよ?」
「分かってるっす。でも、駄目なんすよ。願いを叶えてもらう、なんて大それたことしてもらおうとしてるくせになんすけど……今美冬さんが言ってるのは、何か違うんすよ。おれはこの世界じゃなきゃ、この世界が救えなきゃ、自分自身納得いかないと思うんす」
「そ、そんなの」
「無理っすか? それならそれで、はっきり言ってくれてもいいっすよ。おれの願いは結果じゃなく、過程……どれだけ頑張れたか、たとえ叶わなくても立ち向かえたか。そう言う男のロマンみたいなものっすから」
美冬は思わず声を上げかけ、しかしその先のセリフを奪われ、ただ立ち尽くすしかなかった。
そんな彼女に、慎之介はすまなそうな顔をして、言葉を続ける。
「おれたちにとっては、一緒に死んでくれって言ってるようなもんすよねぇ。でも、おれの願いって、そういうことなんだと思うんす。心中なんだか、プロポーズなんだが、いろいろ紙一重な感じであれっすけど」
困り果てた笑顔が、いろんなところに痛かった。
初めから、これは無謀な勝負だったのかもしれない。
それは、理解できないことのはずなのに。
美冬もそのほうがいいって、悔しいのに、思えてきてしまって。
「やっぱずるい、しんちゃんのほうがずるいよ。こんなの、勝負になんないじゃん」
「一体何の話っすか。そんな泣きそうな顔して」
そんな気持ちを思わず口にする美冬に。
しょうがないなぁって、いかにも小さい子をあやすみたいな優しい顔をする慎之介。
そのポジションは自分のものだったはずなのにって悔しがる一方で。
どちらかと言うと、あんなに小さかったしんちゃんがねぇ、なんて。
感慨深い気持ちになったりする美冬がそこにいて……。
(第165話につづく)
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