第31話、ホワイトフラッグとスクラム
「……女の子?」
裕紀と由伸が駆け出した先にいたのは。
膝元くらいまでありそうな、長い長い黒髪の少女だった。
「彼女は……何故外にいるっ!」
呆然と目の前の少女を見つめる裕紀とは逆に、由伸は苦々しい口調でそう漏らす。
「由伸、あの子のコト知ってるの?」
「ああ。資料で見た事がある。彼女がカナリだ」
しかし、どこかおかしい。
由伸はそう感じていた。
暴走をしているからというだけでなく、何かそれとは別に異質なものがある。
「……わたしの花を奪おうとする、悪い人たちっ。みんなまとめてどこかにいっちゃえっ!」
「くっ!?」
突然の、意味の図りかねるその言葉には深い妄執が刻まれていた。
それとともに解放された赤黒いアジールが禍々しく膨れ上がり、二人を押しつぶそうとしてくる。
「裕紀っ、頼むっ!」
「うん。行くヨっ。……【実湧薄布】っ!」
力ある言葉とともに雪積もる大地から出現したのは。
青白い、吹雪にたなびく布状のもの。
「……っ!」
【実湧薄布】は、Bクラスのフィールドタイプに属する能力である。
突如生まれ出でたいくつもの薄布は、生き物のようにカナリにまとわりつく。
大地からの楔のように拘束するそれは、カナリの動きを封じて離さない。
だが。それから逃れようとして暴れるカナリのアジールが、地鳴りとなってダイレクトに抵抗を伝えてくる。
「うっ。けっこうヤバイっ、長くはもたないカモっ!」
「任せたまえっ!」
地面に手を添えながら冷や汗を浮かべる裕紀にかかるのは、由伸の頼もしい声。
由伸はそのまま裕紀の力が展開される陣地に入り込むと、迷わずたなびく布の一枚を掴み引き抜いた。
布のように脆いようで鎖のようにカナリを縛り付けるそれは、何の抵抗もなく地面から抜け出て……その終わりには、ほのかに赤く輝く光源があった。
光は布を離れ、染み込むように由伸の身体の中へと沈んでいく。
「ビンゴだよっ。 攻撃力、アップだ!」
「よしっ。……受けろっ! 【鉱赤後弾】っ!」
由伸が身体をめいっぱいに捻り、打ち出すように繰り出されたのは溶岩の炎を纏ったルビー。
Aクラスのに相当するネイティアカーヴだった。
しかも、今の一撃に由伸はいつも以上の力のたぎりを感じている。
それは裕紀の能力、【実湧薄布】の影響だった。
そもそもその力は、敵は拘束するトラップ、味方は基礎能力を上げる効力を持っているのだ。
その効果はランダムでハズレもあるが、その中から由伸は当たりを引いたらしい。
炎の粉を撒き散らし、吹雪のカーテンを裂きながら進むそれは、低い弾道で一直線にカナリに向かっていく……。
カナリはそれに対し抵抗をやめて俯いているように見えた。
由伸は訝しげにそれを見やり……そして気付く。
その口元から紡がれる、涼やかな呪を。
カナリのすぐ前に現れたのは、ガラス状の壁のようなもので。
直撃したと思われた炎のルビーは急激に向きを変え、逆走するかのように跳ね返ってくる。
「何ぃっ!」
「うわあああっ!?」
一瞬何が起きたのかも分からないままに、由伸と裕紀は自らのカーヴを受け、思い切り弾き飛ばされた。
その時由伸が感じたのは、やはりおかしいという感情だった。
仮に、カナリがAAAクラスの能力者で三つのヴァリエーション技を使えたとしても、一つ一つがまるで関連性がないように思えたからだ。
無限ループに閉じ込め、徐々に体力を奪う雪の世界。
大地を切り裂く光の刃。
そして、能力を跳ね返すガラス状の壁。
特に三つ目の能力は、こちらの攻撃を待ってからのものだった。
まるでその時一番効果的な能力を、選んで使っているようにも見える。
「……由伸っ、裕紀っ!」
心配そうに真澄が声を上げるが。
由伸も裕紀もそれに答えることはできなかった。
代わりに答えるかのように、ぼうっと二人を包む炎。
由伸のカーヴ能力【鉱赤後弾】は、ある一つの遅効性効果があった。
その炎の宝石に触れたものを、自然発火させるという効果だ。
その威力もさることながら、それこそがAクラスの由縁たるものだったが。
それを自らの身を持って体験する羽目になるとは由伸も思ってもみなかっただろう。
「ぐっああっ」
「裕紀っ、待っていろ!」
それでも自らのカーヴだけあって、比較的耐性がついていた由伸は。
炎に焼かれながらも着ていた『喜望』仕様のジャケットを脱ぎ捨て、悶えて転がる裕紀の炎を消そうと立ち上がる。
「いけないっ、今助けるから!」
それを見た真澄は親指を噛み、そこから流れ出る血を媒体にして茄子紺色の……イルカ型ファミリアを生み出した。
「【結清妖化(けっせいようか)】っ! ドルフィーっ、水をっ!!」
「キュイッ!」
真澄がドルフィーと呼んだファミリアに命令を下すと、そのファミリアは一回転し口から水を吐き出す。
その水は、由伸と裕紀を焦がす炎をなんとか消し去っていって。
「二人共無事かっ!」
だらりと右腕を下げたまま、それでも真澄に簡単な止血を施されていた敏久は。
表情を歪ませつつ、未だ煙のあがる二人に近寄っていく。
「な、なんとか。はあっ、はあっ」
それに顔を上げて答えたのは、荒い息をつき跪く裕紀だった。
一度纏った炎が周りの空気を奪い、呼吸を困難にしているのだろう。
それは由伸も同じで、見た目以上に辛そうなのがよく分かった。
「あ、改めて自分の力の厄介さを実感したよ」
「でも、あんな。一瞬で攻撃を跳ね返すなんて」
皮肉な苦笑を浮かべてそう呟く由伸に、真澄はドルフィーを返還して、半ば呆然と言葉を返す。
実際は、水辺がないために力を使い果たして消えたといったほうが近いだろうが、そんなドルフィーに対し、何か一言ねぎらいの言葉をかけている余裕すらも真澄にはなかった。
「跳ね返す、か。それが彼女の本当の力ならば、まだ救いはあるんだろうがね」
カナリの力がどんなものなのか直感で理解した由伸は、重い息を吐いて天を見上げる。
「カナリの能力【歌唱具現】。オレが受けちまったのが、ヴァリエーション1。由伸の力を跳ね返したのが、おそらくヴァリエーション3の力だべな」
「敏久、ず、随分詳しいネ」
由伸の呟きを受けて、答えるように解説を始める敏久。
何で知ってるのと呆れ半分、驚き半分で見上げてくる裕紀に、敏久はきつい表情そのままで言葉を続けた。
「そりゃそうだべ。今回の任務の監視対象。それくらいの調べはついてる。まさかいきなり攻撃されるとは思ってなかったから言うの忘れてたべな」
【歌唱具現】はAAAクラスのレアロタイプ。
その名の通り力ある言葉により生み出された歌を、具現化する能力だった。
それは、ヴァリエーション1がネイティアに類するもの。
2がウェポン、3がフィールドといった感じで分かれているだけで、その能力の効果の多さは、まさに類を見ないといっても良かった。
「言うの忘れたときたか。まあ、今となってはどうしようもないか。どちらにしろあちらさんは攻撃する気満々のようだしな」
まさしく送りつけられた絵の通り、『喜望』と初めから敵対する気だったのだと。
由伸の声は、怒りを通り越して呆れも混じっていた。
「しかしなあ。まいったべ。できることなら、ことを構えたくなかったんだが」
吹雪の荒れ狂う中、裕紀の能力から今まさに逃れようとするカナリを見て、敏久は思わず顔を顰める。
「『パーフェクト・クライム』かどうか、『パーム』とのつながりがあるのかといった、疑いを晴らす晴らさない以前に、向こうから仕掛けられてしまったのは迂闊だった。
もっとも、迂闊と言うならばノコノコと異世の中に入ってしまった事から始まっているのかもしれないが。
「さて、どうしたものか。このまま逃がしてはくれないだろうしな」
自分のカーヴを簡単に返され、相手の規格外な能力を知った由伸は、半分お手上げのつもりでそんな呟きを漏らした。
もともとエリート気質でプライドの高い彼は、その反面、無理だと感じてしまったら折れるのも早いのだ。
「……」
しかし。
そんな由伸の言葉を聴いて、無言のまま……カナリに相対するように歩を進めたのは真澄だった。
「真澄っ?」
真澄は、裕紀の誰何の声にも答えず一本のナイフを取り出し、自らの白魚のごとき腕に傷をつける。
とめどなく流れ出す血は真澄の透けた朱色のアジールを纏い、次々に動物型のファミリアへと姿を変貌させていく。
「ならっ、僕が、彼女を倒すよ! みんなが傷ついてる。みんなが助かるためにはそれしかないからっ」
そこには、決意を秘めたあかく燃え立つ瞳があった。
たとえ自分がどうなろうともみんなを守るといった強い意思が、表情に見て取れる。
本当は怖くて怖くて、身体の震えが止められなかったけど。
身体を張ってみんなを守れるような男に、真澄はなりたかったのだ。
「……あの花は! 誰にも渡さないっ!!」
その時、そんな真澄の決意に応えたのかそうでないのか。
渦を巻き、竜巻となって吹き上がる雪とともに膨れ上がったのは、カナリの赤黒いアジール。
「……っ!」
その言葉の意味は分からなかったけれど、激しい憎悪にも似たそのカーヴに、押し返されそうに、あるいは吹き飛ばされそうになって真澄はよろめく。
なんて圧倒的な力なのだろう。
本質は自分と同じはずなのにとてつもない力の差を感じるのは、やはり彼女がAAAクラスだからなのだろうかと真澄は考える。
AAAクラスの力を持つ能力者には必ず何か大きな、背負うものがあるというが。
その点においては、自分だって負けてはいないはずだと。
真澄は縮み上がる身体を叱咤した。
「……真澄が頑張るって言うのなら、こんな傷で寝てる場合じゃないよネ」
そして。
それを後押しするように、掛かる声と三人の気配。
真澄を支えるように、ぽんと肩に手を添えたのは裕紀。
「我としたことが、情けない姿を晒してしまったようだ」
全身は焼け焦げ、傷は決して浅くないはずなのに。
由伸はそう言って形のいい眉をキリリと引き締める。
「みんな、無理はするなよっ。僕が、僕が頑張るからっ!」
「そんな震えた声で言われても、説得力ねーべ」
平気であるはずがないのに、敏久がそう言って浮かべる表情は、陽だまりのように穏やかだった。
密かに好きなそんな表情も、今の真澄にとっては辛いものでしかなくて。
「何でだよっ。いつもいつもっ! 何で敏久はそうやって僕を守ろうとするんだよっ!? 僕は、僕は守られてるだけなのは嫌なんだっ、みんなをちゃんと守れるような男になりたいのにっ!」
それは、まさしく真澄の本音だった。
たとえそれが決して叶わないことだとしても、譲れないことだったのだ。
「真澄よ、そう言うがな。お前は勘違いをしているぞ。むしろ、お前の男気で我たちにも火がついたのだからな」
しかし、そんな真澄の心の叫びを、由伸は涼やかな笑みで返した。
「うん、その通りだヨ。だって友達が決死の覚悟で戦おうとしてるんだもん。傷ついたって立ち上がって、一緒に戦うのが男の友情ってやつでしょ」
続くのは、熱く語って拳を寄せる裕紀の言葉。
立て続けにそう言われ、真澄は言葉を返す余裕もなく、由伸を見て裕紀を見て……最後に敏久を見た。
「真澄は守られてるだけは嫌だって、みんなを守れる男になりたいって……いったよな」
「……うん」
真澄の本音を、静かに反芻する敏久の口調は、何故かなまりが消えていた。
「俺たちは、お前が守られてるだけなんて思っていない。ちゃんと認めてる」
「だったら、どうして?」
視線をそらすことなく、真摯に言葉を紡ぐ敏久。
それでもちゃんとした、確たる理由が欲しくて、真澄はそう呟く。
「仲間だからさ。何よりも大切な、仲間だからだ」
「……っ」
それは、真澄が一番欲しい言葉だった。
対等な間柄として認めてもらうこと。
それが真澄にとっての目標であり、全てだったといってもいい。
「てなわけでっ、ボクたちの友情パワー、見せ付けてやろうヨ!」
「我たちの絆が易々と折れるものではないと、証明してやろうじゃないか!」
「う、うんっ!」
「いっちょ、やってやんべ!」
4人は心で腕をかち合わせスクラムを組み、改めてカナリに向き合う。
カナリから伝わってくるプレッシャーは相変わらずだったけれど。
『魔久』班(チーム)が一つになった今。
それぞれのアジールが重なり合い、一つの異世が生まれていた。
それは、目に見えない友情という名の異世。
目には見えないけれど、確かに感じられるそれは。
どんどんと広がって、カナリを覆ってもさらに大きくなっていって……。
(第32話につづく)
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