第30話、赤いウサギの永い旅、始まりの一節


―――少々時は遡り、カナリの屋敷付近。



「妙だな、さっきから同じ道を歩いている気がする」


辺りを注意深く見渡し気品さの滲む声色で呟いたのは。

金髪碧眼の、眉目秀麗という表現が良く似合う青年。

『魔久』班(チーム)の一人であり、班において基本イニシアチブを取っている、阿智由伸(あち・よしのぶ)である。



「そんなこたねーべ? こういう山ん道は、同じような道がつづくもんだろ」


それに緊張感のない声で答えたのは、焦げ茶の髪を短く刈った純朴、朴訥という言葉が良く似合う青年だった。

『魔久』班(チーム)のチームリーダーである、阿蘇敏久(あそ・としひさ)である。



『魔久』班(チーム)は『トリプクリップ』班(チーム)と同じく、AAAクラスの危険対象の監視と、『パーム』のおびき出しといった任務を与えられていた。


向かう場所は『喜望』の間ではカナリの屋敷と呼ばれている場所。

その屋敷は周りを多くの山々に囲まれ、人のあまり入らない鬱蒼と木々が生い茂る場所にひっそりと立っていた。



彼らは今、その屋敷がある場所の目と鼻の先まで来ているはずだったのだが。

整列するように立ち並ぶ、紅葉直前の木々が続く景色はいつまでたっても終わることはなかった。


「しかし、ほら見たまえ敏久。あの飛び出した木の枝、先ほど見たものではないか?」

「そうけ? するってーと、これは異世に入ったってことか?」

「おそらくは……」


由伸は意志の強さを表すきりりとした眉を寄せ、敏久の言葉を肯定する。



「おーい。みんなーっ!」


その時ふと聴こえてきたのは、進行方向から向かってくる快活な声。

そこには前髪をおったてた、くすんだ黄土色の髪の小柄な少年がいた。

同じく『魔久』班(チーム)の一人、阿南裕紀(あなん・ひろき)である。



「裕紀……どうして? さっき逆側に走っていかなかった?」


後ろを振り返りつつ驚いた声をあげたのは。

敏久たちの会話に混ざるでもなく、その場に佇んでいた『魔久』班(チーム)最後の一人、阿海真澄(あかい・ますみ)だった。


裕紀と比べても頭一つ小さく、まだ子供といってもおかしくなかったが。

極々短く刈った絹のような白磁の髪と、ウサギみたいなチェリーレッドの瞳が存在感を放っている。



「ああ、それがサ! やっぱりここって無限ループになってるみたいなんだ」


だから試しに逆走してみたら元に戻されたんだと、体中で感情を表し裕紀は興奮した様子で息をつく。



「どうやら異世に入り込んだのは間違いがないようだね。相手は果たして『パーム』だろうか」

「うい、そうならばおびき出し成功ってことで万万歳だべな。後は、やっこさんらの出方をのんびり待つべ」


由伸の言葉に敏久は、これで仕事開始だなあと呟きつつも、よっこらせっと道端の岩に腰をおろす。





そんな年寄りくさい口調でも、何だか妙に癒されてしまうんだよなあと真澄は内心で思っていた。

それは彼が人に癒しを提供する声の持ち主だというのもあるだろう。



「確かに相手が姿を現わさぬ以上それしか選択肢はないわけだが、何だかな」


もうちょっと緊張感を持つべきなのか、どんと構えて待っているべきなのか。

待たすのも待たされるのもきらいな由伸はそんな事を考えつつ、敏久に習って木に寄りかかり空を見上げた。



「あ、雪だヨっ!」


すると、灰色の雲に隙間なく埋められた空から舞い降りてきたのは文字通り雪だった。

裕紀は両手を振り回して雪を喜ぶ犬のようにはしゃいでいたが。

それを見ただけで周りの温度が一回り下がった気がして、由伸は知らず知らずのうちに自分を抱えているのに気付く。




「凄いな。これだけ降ってると本当に虫みたいに見えるよ!」


同じように両手を上げ空を見上げる真澄には、雪の歌にもあるように、静寂という羽を纏った虫たちが地上に向かってくるみたいに見えていた。

真澄は裕紀と一緒になってしばし状況も忘れ、そんな景色を楽しんだ。


やがて、特訓だと叫んですべての雪をかわそうと走り回る、裕紀。

それに続くようにはしゃぐ真澄の様子は、その外見と相まって……雪の精が、降り注ぐ雪を湛えて舞い踊っているように見えた。



「全く、みんなして緊張感がないのだから困ったものだ。雪が降るにはまだ季節が早いだろうに」


由伸は、呆れるように呟いて手に息を吹きかけつつ、それを眺めている。

対して、敏久はそんな二人をただじっと見守っていた。

目を細め僅かな笑みを浮かべているその様は、大切なものを温かく優しく見つめるそれであっただろう。



しかし、そんな和やかな状況も長くは続かなかった。

ふりそそぐ雪は留まる事を知らず、どんどんと積もり積もって、辺りを白一色……一面の雪景色に変えていったからだ。

それにつれて気温も低下し、手足もかじかんでくる。 



「ううっ。さ、さむっ。由伸っ! 火出してヨ、火!」

「ああ、承知したぞ」


流石に洒落にならないと裕紀が両腕で自らを包み震えているのを見て、初めからそのつもりだったのか、由伸はカーヴの力を解放し両手のひらから炎を生み出す。



「でも、どうする? このまま待ってたら凍死するかも、なんとかしなきゃ」


真澄は焚き火にあたるように、由伸の生み出した炎にあたりながらそう呟いた。



もしかしたら、それこそが目的なのかもしれない。

この雪はフィールドタイプの一種かなにかで、こうして中に入り込んだ者の、体力や精神力を削り取っていく算段なのだと。

そんな真澄を見守りながら、敏久が考えた時だった。

突如現われた、迫り来る圧倒的なカーヴの力に感づいたのは。



敏久が、その時起こした行動は無意識に近かったのかもしれない。

その圧倒的な力は、地面からせり出してくる光の筋で、由伸の炎を狙ったもののようだった。


敏久は通過線上にいた真澄を、体当たりの要領で突き飛ばす。



「うわっ!?」


その衝撃に軽々と吹き飛ばされ、驚いて振り返る真澄が見たものは。

はじけるように飛び散る赤い飛沫と、苦痛に表情を歪ませ崩れ折れる敏久の姿だった……。




「敏久っ!?」


真澄は、目の前の光景が信じられない。

自分を庇って何かの攻撃を受けたらしい敏久は、右腕が付け根から切り裂かれ今にもちぎれてしまいそうな状態だった。

それまで、純白だった大地が真紅に染まっていく様は、酷薄な美しさがある。



「ど、どうしてっ。敏久っ!」

「う、うろたえるなっ。ここは異世だ、このくらいどうってことないべ」

「でも、どうして僕をっ!」


そう思うならなぜ庇う真似をしたのか、真澄には理解できなかった。

戦力的に考えたって敏久のほうが断然力が上なのに、どうしてこんなことしたのか、真澄には分からなかったのだ。



「どうしてって。ちょうど俺の目に入ったんだ。動いちまったもんは仕方ねーべなっ」


理由は分かっている。

しかし、相手がそれを望んでいない限りそれを口にするつもりは敏久には毛頭なかった。



「動いちゃ駄目だっ!」


起き上がり立ち上がろうとする敏久を、真澄は何とか支える。

それによりはっきりと見える右腕の傷は、手の施しようもないほどの重症だった。

下手をすればこのまま能力を失い、落ちしてしまう。それほどの傷だ。



 

 「くっ。ぬかったかっ」

 

 敏久の後ろにいたのにも関わらず、突然の閃光による凄まじい衝撃で弾き飛ばされた由伸は、敏久の状況を見て顔を顰めながら立ち上がり、閃光の出所を視線で追う。

その先は吹雪が舞っていて視界がおぼろげだったが、確かに人影が見えた。 



「あいつだっ。裕紀っ! フォローをたのむっ」

「うんっ。分かったヨ!」


由伸は閃光の余波を受けずにすんだ裕紀とともに、その人影の方へと駆け出す。


回復や治療のカーヴ能力を持っていない以上、最良の判断はそれしかなかった。


一刻も早く能力者を倒し、異世を解く以外には……。



               (第31話につづく)







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