第3話、グレイゾーンなモンスター
突然降って沸いたその騒ぎは、ライブ会場だけにとどまらなかった。
全国……世界中で起きている未知の現象。
本人だけに見える、動かない『もう一人の自分』。
今のところ、それで何かしら被害に遭ったと言う話は聞いていないが、何しろ鏡以外で自分の姿を見るなんて経験、なかなかできるものではない。
それを受け、不穏で熱に浮かされたような状況の中、知己と法久の二人は自らの所属するプロダクションの社長にして、二人が今も身を置く派閥の会長を務める男のもとに向かっていた……。
こんな時分でも変わらず商魂たくましいタクシーに揺られながら、法久はぽつりと漏らす。
「会長の招集って、このことだったんでやんすかねえ?」
「どうかな。それにしては、ちょっと早すぎる気もしたけどな」
行って直接聞けば済む事なのだが、如何せん何か話していないと落ち着かなかった。
「これも、パーフェクト・クライムの仕業でやんすかね」
「……パーフェクト・クライムか」
何気なく言った法久の言葉を、知己は少し震えるのを実感しながら反芻する。
人間が進化せざるをえないきっかけとなった、7つの災厄の一つ。
思い出せば思い出すほど、支配する恐怖心が強くなってきて、知己は自分で自分を抱きしめる。
それは、知己がカーヴの力に目覚め、戦いに身を置くようになって一番大きな戦いの時のことだった。
一国、若しくは世界を左右するほどに大きくなったそれぞれの派閥が、互いが互いを滅さんと始まった、最大の抗争。
人間が新しく身につけた力、曲法(カーヴ)は基本的に、個々人の領域(アジール)を場に展開する事から始まる。
それは、同じ理念と信念を持つもの同士で重なりあい、合わさって現実の世界と隣り合った別の空間……『異世(ことよ)』を作り出す。
『異世』は、それぞれの派閥によって様相が違い、現実世界にも少なからず影響を及ぼした。
その影響を最も受けるのが、カーヴの力を持つことのなかった一般人……『ファン』だ。
その派閥の影響力が強いほど、力を持たないファンの心はそちらに傾き、その派閥の持つ理念と信念を共有するようになる。
そしてさらに、互いの派閥同士がせめぎあう異世で敵対勢力に敗れることは、魂の死を意味し、カーヴの力を失ってしまうこということで。
力を失うことは、敗れた相手のファンになることと同義であり(あくまで同義であり、本当に相手のファンになるわけではなく、カーヴの力を失ってしまう)、敗れたものは周りから揶揄され、蔑まれた。
一部では逆側に落ちる事からシンカー落ちなどと呼ばれていたが。
そもそもの戦いの目的は、ファン増やし、敵対勢力を減らす事にあったのだ。
その戦いは、各派閥の歴戦の強者たち……剛の者が顔をそろえ、過酷を極め。
お互いの力は拮抗し、それは、まるで終わりのない戦いだと思われた。
しかし。
その戦いは、たった一つ力によって、あっけない終焉を迎えた。
それが、完なるもの……『パーフェクト・クライム』。
地球そのものを滅しかねない、黒き太陽を模した……絶望の闇。
たった一度、その力が放たれただけで。
本来なら失われることのなかった多くの命が、消えていく……。
その力は異世から溢れ出し、現実に直接影響を及ぼすほどに、強大で無慈悲なものだった。
たまたまその爆心地から外れ、運良く生き残ったものたちの中に、知己と法久はいて。
一瞬で多くの命が何の感慨もなく奪われる様を、ただ見ているしかなかった。
そして。
これこそが最大の謎であり、その力を七つの災厄、その一つへともたらしめた理由。
その曲法(カーヴ)の使役者が誰なのか、誰一人知る者がいなかったのだ……。
それから。
カーヴの力を持った人間たちの世界は激変する。
何しろ、生残った者の中に一瞬で多くの命を奪った者がいるのだ。
互いが互いを恐怖し疑うようになり、多くの力あるものが、自らの力を放棄して。
この世界を滅しかねない力を恐れた世界は、その力を使える可能性(おそれ)のある者たちを、次々と人の目の届かない所へと、幽閉していった……。
長く、実りのない戦いは、こうして最悪の結果で幕を閉じたのである。
「どうかな。そうでないことを願ってるよ……」
知己は法久の言葉に、重い溜息をついて言葉を返す。
運良く力を失うこともなく、生き残った者達のその後は、惨憺たるものだった。
何しろ多くの偶想たちが、一瞬にして消えてしまったのだ。
この出来事があってからは皆が一様にやる気をなくし、ただ淡々とその後始末をするので精一杯だった。
それも、表面的にはカタがつき、知己たち『ネセサリー』の音楽活動も、ようやく軌道に乗ってきたところでの、今回の騒ぎである。
知己でなくても、溜息の一つもつきたくなるだろう。
そんなやりとりをしつつ、空が夜の始まりを告げる色に変わる頃。
タクシーは都会の森とも言うべくビル群の中の一つの、すすけたビルの前に横付けされた。
ここが知己が知りうる限り、今世界で唯一まともに機能している派閥、『喜望』の所有するビルだ。
知己がタクシーの運賃を払い、法久とともにビルの玄関ホールを抜け、エントランスに入ると、薄暗いシャンデリアの灯りの下には、数十人の者達が、何かを待つようにそこにいた。
今回の緊急招集を受け、集まってきたのだろう。
知己たちと同じ、曲法(カーヴ)の力を持った、ミュージシャンたち。
その中には、もともとは敵対していた人物もいるし、もちろん顔見知りもいる。
こうやって敵味方なく協力できている所は、ささやかながらも唯一の進歩かもしれなかった。
ふと、知己が隣を見ると、いつの間にか法久はいなくなっていて、そんな人たちに挨拶に行っている。
低頭で下手な様子が実に手馴れているなあと、そのまま眺めていると。
エントランスの奥にある、一台のエレベーターが降りてきた。
しかも、何だか騒がしい。
知己は、その騒がしさに嫌な予感を覚える。
「た、たすっ、タスケテーー! し、死ぬーっ!?」
エレベーターのドアが開くのも待てずに、響いてきたのはそんな野太くハスキーでなよなよしいといった、ある意味奇跡な声。
パブロフの犬のようにその声を聴いただけで、これから起こるであろう惨劇を想像してしまい、知己の顔は引き攣る。
現れたのは、昔は相当の美形だったであろう、片目に灰色の髪がかかった、ごつい中年男だった。
あざとく嘘くさい叫び声とは裏腹の軽快なステップを踏みつつ、血相を変えて飛び出してくる。
当然そこにいた人達も何事だと騒然となり、それに流されるようにして、知己はその男と視線を合わせてしまった。
「まずっ」
知己がそう呟いた時にはもう手遅れで。
「と、ともみ~んっ! た、助げでぐれいーっ!」
男は年甲斐を微塵も感じさせず、知己に飛びついた。
まるで、その場所がこの世で一番安全であるかのように。
「な? ち、ちょっ、何してんすかっ!」
「だって、オレがいるんだよっ! 『もう一人の自分』だよっ! こ、ここ殺されちまうっ!」
さらに熱い抱擁に迫る中年男から、何とか離脱しようと知己はもがくが、見た目のごつさはフロックでもなんでもなく、がっちりホールドされて、まるで身動きが取れない。
「な、何でそんなに取り乱してるんすかっ、会長っ! そのことで、己(おれ)たち呼んだんでしょう!?」
「違うわいッ、それは別件っ! とと、とにかくなんとかしてくれよおーっ!」
むせび泣くフリなんだか本気なんだか分からない仕草をして、さらに力を込める中年男。
集まった者たちのひそひそ話が、かなり耳に痛かった。
「大丈夫ですって! 今んとこ、それに実害はないみたいですからっ! 分かったから離れろって、このクソオヤジっ!」
一応目上の人だから、ということで丁寧語だった知己も、ついには切れて素になってしまう。
「ひ、ヒドイッ! こんな見目麗しいお兄さん連れて、おやぢだなんてっ!」
知己の言葉にたいそうショックを受けたらしく、それがまるで自然の摂理であるかのごとく、知己から離れて座り込む中年男。
そうして、ようやく知己はいつもの惨劇から、解放されたのだった……。
(第4話につづく)
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