第2話、音茂知己と、『ネセサリー』
一年の中で、もっとも青空が生きていると実感できる初夏のある日。
都市近郊にあるとある野外ライブ場は、これからやってくる、かけがえのない夏に負けないほどの、熱気を放っていた。
「どうもありがとう!」
舞台の中央に立つ、一人の青年は言った。
聴いてくれること、見てくれることに。
そして共感してくれる事への、感謝の言葉を。
それに対する返事は、歓声の波浪となって帰ってくる。
青年は再びそれに、至福の微笑みで応えた……。
人気バンド『ネセサリー』のボーカリスト、音茂知己(おとしげ・ともみ)。
濃い黒髪は、男性にしては長めで。
混じりけのないと表現するに値する大きな黒の瞳。
舞台の中央に立つべきものの特権よろしく、目鼻立ちははっきりしており、生まれたてのような肌の質感と、その表情に色をつける左頬の泣きぼくろが、見るものを惹きつける……そんな青年だった。
青年……知己は、アンコール曲を熱唱した後、その歓声を体全体に浴びながら、満足げな様子で一礼し手を振ると、ゆっくり舞台を踏みしめるように、舞台から捌けていく。
知己は、この舞台から去る瞬間が一番好きだった。
最高のパートナーたちと、最高のファン。
そして自らの声で生まれた不思議な連帯感が頂点に達し、ゆっくりと引いていこうとする瞬間。
歌が一番盛り上がる所ではなく、そんな終わりの瞬間が一番なのは、知己にとって歌う事は夢であり、どんなにずっと歌っていても、いつかは終わりがくるものだと知っていたからだ。
それは、現実に帰る、ということ。
たとえどんなに夢と現実がかけ離れていても、二つは確かにつながっているということ。
そう考えると、どんなに厳しい現実でも、何とかやっていけそうな気がする。
知己は、そう思っていた。
「おつかれー、でやんす」
「おつかれさん」
まさにこれから打ち上げだと言わんばかりにスタッフやバンドのメンバーへ労をねぎらっていると、知己に声をかけてきたのは、牛乳瓶の底のような銀縁眼鏡の青年、青木島法久(あおきじま・のりひさ)だった。
小柄で快活、まるでげっ歯類のような雰囲気を醸し出す青年だが、実はすご腕のギタリストである。
作詞作曲のほとんどを彼がこなしているので、実質『ネセサリー』の柱的存在だと言っても過言ではない。
そのある意味独創的なしゃべり方は、ポリシーだと言う。
法久曰く、「偉大なる先人の偶想を投影してるでやんす」……だそうだ。
(ちなみにその先人は、音楽で偉大になったわけではないらしい)
「そういえば、知己くん。ライブ中、榛原(はいばら)会長からの緊急招集があったみたいでやんすよ」
「え、緊急召集? 何かあったのか?」
いきなり声を潜め、そんな事を言ってくる法久にあわせ、知己も慌てて声を潜めた。
「どうでやんすかねえ」
しかし法久は、緊急と言う言葉をあまり重くとっていないらしく、そんな呟きを漏らす。
「それって、もしかして、打ち上げに出られない、なんて言わないよな?」
「そりゃそうでやんすよっ、もうこれから向かう二次会の店だって決めてあるでやんす。絶対にかんべんでやんすよ」
そう言って互いに乾いた笑みを浮かべあう。
何しろ、久しぶりの、やっとこぎつけた大きなライブだったのだ。
今日くらい、現実を忘れて楽しんでもいいではないかと思う二人である。
しかし……。
「うわあああっ!?」
控え室につながる廊下のほうから、突然そんな叫び声が聞こえてくる。
「な、なんだ?」
思わず互いに顔を見合わせる。
なんだか、これからの打ち上げの先行きに不安を感じさせる、そんな叫びだった。
「何かあったみたいでやんすね、とにかく行ってみるでやんすっ」
知己は法久の言葉に頷いて、ともに駆け出す。
人が屯すには向かない細い廊下には、遠巻きに囲むようにたくさんの人が集まっていた。
その真っ只中には、倒れこんで何かに怯えているスタッフの姿。
「紅(べに)さん、何があったんだ?」
知己はとりあえず、すぐ近くにいたバンドのメンバーに声をかける。
「いや、いかんせん急で、わしにも何がなんだか。……ひょっとして、敵対勢力の仕業か?」
後半は声を潜め、紅さんこと紅粉圭太(べにこな・けいた)は低いバリトンでそう言う。
『ネセサリー』のベーシストであり、法久とはまさに対照的な、熊のような体格の青年である。
―――敵対勢力。
音楽の道を志す知己たちにとっては、なじみ薄い言葉のはずだった。
それについて語るには、まずこの世界の変容について語らねばならないだろう。
この世界は、音楽が全てを運命付け、音楽が全てを支配している。
音楽には力があると言う言葉通り、実際に五感で感じ取れる力によって、世界は動いていた。
この力に人間が目覚めたきっかけは、まさしく世界の変容によるものだった。
数々の天変地異、未体験の災害は、多くの命を失わせた代わりに、脆弱だがしぶとく強い人間に新たな生きるための力を身につけさせたのだ。
その力は、知己たちの間では『曲法(カーヴ)』と呼ばれ、大地を揺るがすほどのものから、小さな奇跡を起こすものまで、様々な種類があり、もともと音楽と言う才能に恵まれた者ほど、強い力を持つようになった。
そして、音楽には様々なジャンルがあり、人それぞれの好みがあるように。
初めは一人でちっぽけだった力が、たくさん集まって、大きな力に変わっていく……。
その過程で、相容れないものはとことん相容れない、そんな性質を持つ音楽だからこその対立が生まれた。
大きな力は、やがて派閥となり。
それぞれの派閥が、我こそが頂点であると主張し始め、ついには争いが起きるまでになったのだ……。
普段はこうして音楽活動をしながら、日の目を見ない所では、そんな派閥の一員として、日々戦っている。
と言うのが最近までの、知己のようなカーヴ能力保持者達の常識だった。
「……違うと思うでやんすよ」
圭太の問いに答えた法久は、一瞬だけ知己と目を合わせる。
「違うのか?」
「うん、もしそうなら、おいらたちに直接仕掛けてくるはずでやんすし、第一カーヴを発動した時の気配がまったくしなかったでやんすから」
「ふむ、そうか」
法久の言葉を受け、頷く圭太。
「………」
確かに違うだろう、と知己は思った。
本当は、自分達が天下を取ってやろうと他の力あるものを狙うような剛毅な輩は、もう存在しないからだ。
日常の影に紛れて日々戦いを繰り広げていたというのは、既に過去の話なのだ。
しかし今は力を失い、そのことを知らない圭太の、無自覚にも向けられる知己や法久への期待と羨望の眼差しを裏切りたくなかったので、知己は何も言えなかった。
その代わりと言うわけではないが、知己は何かに怯えきった様子のスタッフに、すっと駆け寄る。
「おい、どうかしたのか?」
知己が声をかけると、今までしゃがみ込んで震えていたスタッフは、顔を上げずに叫んだ。
「お、オレがっそこにっ。そこにいるんだっ!」
「?」
スタッフががたがた震えながら指差す方を見てみるが、その方向には遠巻きでおののくように、あるいはざわついている他のスタッフ達がいる以外、何もおかしな所はない。
「法久くん、見えるか?」
「残念ながら、まったくでやんす」
法久は、即答する。
「ほらっ、そこだよっ、そこにいるじゃないかっ、オレがっ!」
そのスタッフは、知己に分かってもらえなかったことにかなりのショックを受けたようだ。
腰が抜けて、そこから逃げたくても逃げられないらしく、それでも座りこんだまま間違いないといった風に一点をみつめている。
「ここ、このあたりか?」
「ひいっ! す、すり抜けたあっ!」
知己が言われたほうに歩いていくと、とたんにスタッフはそんな声を上げる。
「………」
彼だけに見える彼自身、ということなのだろうか。
「……ここにいるあんたは、何をしている?」
知己はすぐそこから離れ、スタッフにそんな事を聞いた。
「え、何って。その、何かモップもって掃除してるよ。固まってるけど」
「掃除?」
知己は素直にそう言われて考え込む。
彼は、『ネセサリー』おかかえのスタッフではなく、この、野外ライブ場でのライブを主催する団体のスタッフだ。
おそらく日常的に、ここで掃除をしているのだろう。
……それが示す答えは何なのか。
知己がそう思ったときだった。
「た、たいへんだっ。何か町がパニックになってる! 自分が、自分がそこにいるって!」
騒ぎの場に駆け込んできたほかのスタッフの一人が、そう叫ぶ。
「……これは、やっぱり二次会とか言ってる場合じゃなさそーでやんすね」
「ああ」
何か、また人類が体験したことのない、とんでもなさそうな事が起こったらしい。
また忙しくなるな、と思いながら、自然とトーンとやる気が下降する二人なのだった……。
(第3話につづく)
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