終末の空が青色じゃなくなっても、愛の歌を歌おう
陽夏忠勝
第一章、『翼』
第1話、うたかたの少女と、向日葵色の猫
来るべき日が近付いていることを日に日に感じながら。
今日もさえずること叶わない、古城のごとき籠の中、一人の少女が目覚めた……。
少女は自分を失ったあの日から、自らの記憶が曖昧で、どれほどの時が経ったのかすらも分からないでいる。
ただ、『カナリ』という自らを示す名前だけが、今の少女を証明する全てだった。
みゃうーん……。
外界に音を出すことが許されない場所だからこそ響く、少女の愛しいものの声。
「………」
ただ唄うのではなく、誰かに呼びかけるような声。
その声に少女は気になって。
一人で眠るにはあまりにも孤独なベッドを降り、膝元まで流した長い黒髪を揺らしながら、唯一少女が外出を許された場所……少女が大好きな、草花たちが咲き踊る、庭園へと足を運んだ。
抜けるような青空のもと、陽の光に届けとばかりに競い合い咲く花々の中。
少女の愛しきもの、向日葵色の毛並みを持った小さな猫が、甘えるように庭園の中ほどにしつらえてあるベンチの脇で、鳴いている。
「……あっ」
少女は、ベンチの方に黒曜石の瞳を向け、声を漏らして立ち止まった。
誰かが……いる。
少女と猫以外には誰もいないはずのこの場所に。
それは、少女にとってひどく見覚えのある人物だった。
何故なら……。
「……わたし?」
それは、少女本人だったからだ。
少女はおそるおそる近付いて、ベンチの前まで歩を進める。
しかし、そのベンチに座っている少女は、目の前に少女が現れても、全く微動だにしなかった。
その手には、少女自身とんと見覚えのない、大きな大きなスケッチブックがあって。
その視線はある一点、青空の彼方を見つめている。
まるでよくできた蝋人形のような、立体的な絵画のような自分自身に、少女はそっと触れてみた。
「冷たい……」
生きている感じは全くしない。
陶磁器のようなひんやりとした冷たい感触。
しかし、一心に空を見つめているその瞳には、確かにそこに感情があることを示している。
「悲しいんだね。わたしは、一体何をそんなに悲しんでいるんだろう……」
悲しい、などといった感情は、当の昔に忘れてしまったはずなのに。
その表情は、それを見ている少女の心をも、大きく揺さぶった。
「みゃおーん?」
「うん、本物のわたしはこっち」
ベンチの脇下で二人の少女を見比べて、戸惑っている様子の猫に、少女はそう言って近づき、そのまま抱き上げる。
その、ふかふかとした太陽の香りのする毛並みは、猫の命のぬくもりをじかに感じる事ができて、言いようもない孤独感を和らげてくれる。
少女は、猫の暖かな四肢に、そのまま顔を埋めようとして。
ちょうどスケッチブックの書かれる側が目に入り、その動きを止めた。
何かの絵が描かれている。
……それは、青とは呼べぬ色が、当たり前のように染み出した空の絵だった。
加えて、終末を暗示する今にも崩れ消えてゆこうとする虹のアーチが、写実的に、幻想的に描かれている。
「ああ………」
それを見た少女は崩れるように重い溜息をこぼす。
思わず見上げた本物の空には、不変の青が広がっていた……。
「まだ、大丈夫みたいだけど。もうあんまり時間もないみたい。早く、早く何とかしなくちゃ。世界が終わってしまうまでに」
独り言にしてはあまりにも長く、真摯な呟き。
少女は、猫と瞳を合わせる。
猫も、カーネリアン(紅髄玉)のような瞳で、少女をじっと見上げた。
「お願い、『ジョイ』。ただ歌うだけでしあわせだった、あの頃を探してきて。……あなたなら、できるわ」
「みゃん」
猫は少女の言葉を理解したのか、短く一声鳴く。
今少女にできる事は、この小さきものに想い委ね、祈る事だけ。
あの日あの時選択を見誤った時から、それしか許されなかったのである。
そして……。
戦へと赴く騎士を見送る姫君のように。
少女は猫に、そっとくちづけをした……。
(第二話につづく)
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