第491話、ホンマツテントウムシと論い、ワスレグサを添えてきゃんと鳴く
それは。
知己と法久が美弥の元へ辿り着くかつかないかの瞬間、タイミングであった。
初めは、世界ごと震えるかのごとき激しい揺れ。
続くのは、地球そのものに何かが堕ちたような衝撃。
「わっ、わっ。わわ。こりゃちょっとやばすぎるでやんすよぉっ」
「美弥……っ!」
その場にいるものが、もれなく暴風に叩きつけられたかのように吹き散らされ飛ばされていく中。
転がるように脇目もふらず、悲鳴上げる法久すら置き去りにして、愛しい人……美弥の元へと急ぐ。
そして、その目に愛しき人を写すやいなや更にダッシュ。
風のごとき疾さで美弥を抱きしめ、一緒になってゴロゴロと転がって。
知己は自らを使い美弥をあらゆる暴威から護るようにして倒れ伏す。
「大丈夫か! 美弥っ。おいっ、しっかりしろっ!!」
その突然の、暴威のせいであるのか。
美弥は引きつけを起こしたかのように荒い呼吸を繰り返すばかりであった。
知己は、訳が分からないままに美弥を抱え上げ、再度抱きしめ直し、手当てをするように。
落ち着かせるように、そっと美弥に触れる。
美弥の不調の原因が、能力由来によるものならば。
知己自身の力で吸い取ることも可能だろう。
そう思いつつあやすようにしていると。
すぐそばにいて抱きしめているのが知己だと分かったらしい。
ひっしと、その胸にしがみついて。
「とっ、ともみぃぃっ。美弥がっ。美弥がぁっ! ……美弥せいで、みんなが。みんながあぁぁっ!!」
ただただ、慟哭。
まるで生まれたばかりの赤ん坊が母親を求めるかのように。
「……っ」
だけどそれは、生きることへの渇望ではない。
むしろ、生まれ落ちたことに絶望しきっているかのような、自責の念が含まれている。
いつものように、大丈夫だと。
己がついてここにいると。
もっと強く抱きしめて愛を伝え示す、励ましの言葉が出てこない。
(……そうか。そうだったのか)
それは、分かってしまったから。
気づいてしまったから。
美弥が、どんなことに嘆き、息ができなくなるほどの罪悪感に襲われ、世界に絶望しているのかを。
だが、気づくのがもう遅すぎたのは確かで。
あるいは、本能的な部分で理解していながら、ただただ美弥を守りたくて。
見て見ぬふりをしていたのだと気付かされたのは、その瞬間で。
「ごめんな。……ごめんよぉ」
人目を憚らず泣きじゃくる美弥に対して、知己はそう繰り返すことしかできなかった。
そんな、昏い闇に覆われたかのような。
この世の終わりにも等しい後悔。
引き受けられるのならば、まるごと奪い取ってしまいたいのに、それもできない。
自分は、こんなにも無力であったのかと打ちのめされ思い知らされて。
知己は、希った。
助けてください、と。
今まで生きてきて、信じたこともなかった存在に対して、ひどく調子のいい言葉を。
美弥が今の今まで背負っていた絶えた望みを。
すべて己にください、と。
美弥が笑ってくれるなら、己はどうなっても構わないと。
強く強く願い続けていたら……。
『ホンマツテントウムシ。そんなこと、駄目に決まってるでしょうに』
知己のそんな願いが叶えられ、どうにかなってしまったのならば。
それこそ、未来永劫美弥の笑顔は見られないだろう。
そんなことも分からない愚か者なのかと。
それは、神やそれに類する者の声などではなく。
知己が最初で最後、一度だけ耳にすることができた……
二人の足元に、時には懐に、肩口に。
我が物顔で陣取っていた、大切な家族の声で。
「【矮小皇帝】フォース、相至相愛のワスレグサ……」
知己や美弥もその言葉を最後まで耳にすることは叶わなかった。
肝心かなめの最後の部分で、世界中に響くであろう唯一無二の頂きを冠する能力が発動されたからだ。
それは皮肉にも、知己の能力と 似通っていた。
すべてをなかったことにする、のではなく。
都合の悪いことを完膚なきまでに忘れ去ってしまう力。
もしも、その能力の影響を受けない上位存在がいたのだとしたら。
それからの光景は、ひどく奇妙に映ったことだろう。
それまで、人目を憚らず泣き出し、抱きしめ合っていた二人。
先に、はっと我に返ったのはどちらであったか。
「ちょっ、ちょっとともみぃっ。いきなりどうしたのだぁ。こんなところで恥ずかしいよ」
「……ん? なんで。別に恥ずかしいことなんてないさ。あんな素晴らしい歌を歌う美弥は己のものだってみんなに教える、いい機会じゃないか」
「うううぅぅ~」
二人にしてみれば、何か大きな災害が発生したかと思ったら、お互いの一番大切な人を見つけ出して抱きしめ合っている状態である。
どうして、いつの間に。
そんな思いは、大切な人がそこにいる安心感でどこかへいってしまっていて。
口ではそう言いつつもいやではないので、二人は離れることはなく。
「きゃんきゃん!」
「わぶふっ。きくぞうさんまでっ、なんなのだぁっ」
「仲間に入れて欲しかったんだろう。ういやつめ。きくぞうさんも無事で良かった」
そこに加わる一匹の、耳に黒いちょうちょの羽をつけたがごとき子犬、きくぞうさんが加わって。
「ともみくーん! 平気でやんしたかぁっ」
追随するのは、真白な人のままな頃の法久で。
「ああ、なんとかな。法久くんは大丈夫だったか? 結構な勢いで吹き飛ばされてたけど」
「こっちこそなんとか、でやんすね。ウィングきかせて大ダメージは免れたのでやんす」
法久がやってきたことで、美弥ときくぞうさんを少しだけ離し、知己は一体全体何が起こっているのかと、状況の把握につとめる。
「今のは一体? 裏で、何かあったのか?」
「恐らくは。念のため配置していた偵察用のダルルロボからの連絡、結構早い段階で途切れてしまったでやんすから、何かが起きたのは間違いないでやんす」
「そう、か。ちょっと確認してみよう。悪いけど美弥、きくぞうさん。ちょっと行ってくる。安全なところへ避難していてくれ」
「あっ……う、うん。分かったのだ」
「きゃんきゃん!」
知己としては、未だ美弥を裏側の世界へ巻き込みたくないといった思いがあって。
不安そうにしつつも、それを理解し頷いてくれた美弥ときくぞうさんに。
それでも後ろ髪引かれつつ、舞台裏へと足を急がせて……。
(第492話につづく)
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