第68話、千の名を持つ少年は、意外とやるもんだって


「……」

「……」


カナリは、ジョイに聞かされ教えられたその歌の力を信じ、一心不乱にただ歌い続け……やがて目を開ける。

 

すると。

何故かとんでもない至近距離に、ちくまがいた。

 

炎の天使はどうしたのだろう?

消えてしまったのだろうかと、そんな事を頭の隅で考える一方。

なんでこんなシチュエーションになっているのだろうと、カナリはただただ絶句するしかない。


「……(じーっ)」

「……っ」


じぃっと見つめてくるちくまのアメジストの瞳には、先ほど操られていた時のような陰りはもう見られない。


それは、カナリの能力の成功を意味していて、一安心ではあるのだが。

そんな一つの安心では足りないほどの、焦燥感やら羞恥心やら、わけの分からない感情がせり上がってきて、カナリはもうパニック寸前であった。

 

あまりにその瞳に力が篭っているので、「なによっ」と聞く雰囲気にもなれない。

というか、そんなことカナリが聞けるはずもなく。

 


(な、ななにする気っ、こんなときにっ! ま、まだ心の準備がっ……って、何よっ。心の準備ってっ!)


カナリに出来ることと言えば、心の中で自分自身に突っ込みを入れることくらいだった。

 

 

「えーと……」

「……っ!?」


ちくまは困った様子で上目遣いにカナリを見つめる。

それからやがて自然な動作で髪に添えられるちくまの手に、ますますボルテージが上がる……ではなく、混乱の極みに達するカナリ。

 

そして。

視線を合わせていることすら耐えられなくなったカナリは、思わず視線を逸らして……。


何だか物欲しそうな……あるいは興味津々な表情? の炎の天使と目が合ってしまった。


実際は、彫刻のようで表情が変わることなどないはずなのだが。

その時のカナリにはそう見えてしまったのだから仕方がない。

 


「ダメーーっ!」

「ぅぶっ!?」


きっと、いろいろなものがマックスの危険地帯にまで達していたのだろう。

それが爆発したカナリは、悲鳴のような声とともに、鋭く抉るショーアッパーをちくまにお見舞いしていた。

ちくまは、ぐああーと呻きながら再び砂の上をごろごろと転がる。

 


「……な、何っ! なんなのっ? カナリさんまた操られてるの!?」


それでも、タフなのかなんなのか顎を押さえて起き上がりつつそう言うちくま。



「操られてたのはあんたでしょーーがっ!」


カナリはぜいぜいと荒い息を吐き、顔を真っ赤にさせてそう怒鳴る。

カナリの顔が赤いのは、決して怒りのためだけじゃないだろう。



「し、しかもっ。今、なにしようとしてたのよっ。こ、こんな時にっ!」

「え、なに? まだ何もしてないよぅ。気になっただけじゃん。何も殴らなくたって」

「う、うるさい! 殴るに決まってるでしょっ。……って、こんな事してる場合じゃないんだってば! あなた、さっき操られてたのよ? わかってるの!?」 



「気になっている」という言葉に、再び流されそうになったカナリであったが。

どちらにしてもそんな場合じゃないことを思い出して。

何があったのか自分で庇っておきながら現状をわかっていない様子のちくまに、今までのことをざっと説明するカナリ。



「そっか。それで、そんなことに……ご、ごめんね?」

「……うっ」


再び上目遣いでそんな事を言ってくるちくまに。

こいつまだ水のファミリアの呪縛から逃れてないんじゃないかと思わずにはいられないカナリ。

しかも、妙にそれが似合っている気がするのが余計に腹が立った。

 


「あ、謝ってもおそいわよっ!」

「うん、ごもっともだよね。だからその、どうにかしたいなって思ったんだけど」

「いい! もういいわよ! そ、それよりっ、またあいつらが出てきたわ。波が作られる前に、今度こそ完膚なきまでに抹消するのよっ」


何だか微妙に会話がかみ合っていないような気もするカナリだったが。

とりあえずもうその話は終わり、とばかりそう叫ぶ。


「あ、うん。そうだね。まずあの水のファミリアさんたちをどうにかしなくちゃ、だよね」


当然、ちくまにもそれに対して異存があるはずはなかった。

 

そんなこんなで、とりあえずこの場は収まった的な心情になるカナリだったが。

その後に、ぽそりと「またあとでね」というちくまの呟きをカナリは聞き逃すことができなかった。


だから、なんだかそれが悔しくて。

カナリは兎にも角にも全力で無視する方向で自分を納得させることにしたのだった。

何か忘れているような気がするけどなんだろう、なんて思いつつ……。



                 ※



「うわ、気づかないうちにたくさん増えたね。ああやって一つになって波になるんだ。で、どうするの。やっぱり波になったとこを叩くの?」

「そうね。やっぱり元の元を断たなきゃ駄目なのかもね」


仕切りなおしという意味も込めて、再度草陰に潜む二人。

さっきあんな事があったというのに、まるでいつもと変わらない様子のちくまに戸惑いつつも、カナリは何とか冷静にそう答える。


知己たちがいるときは、そんなそぶりすら見せなかったのに。

これから二人の時は気をつけなきゃ、何てことを思いつつ。

 


「元ってことは、あの波の能力者ってことだよね。……でも、どこにいるのかな?

お客さんのところに混じってるのかな」

「うーん。どうかしらね。いったん体勢を立て直す意味でも、恭子さんのところに戻ったほうがいいかもしれないわね」


仮に、知己たちのほうに能力者がいるとするならば、いい加減撃退して出てきてくれてもいい頃だとは思うが。


そうでない以上、知己たちを繋ぎ止めているもの(=波の力を扱うものと同一の可能性もある)は、こちらのどこかに潜んでいる可能性は高い。


そして、そんな人物が隠れる場所を考えるならば、二人がいるこの場所ではなく、

当然人の多くいるライブ会場のほうなのだろう。



「うんっ、分かった。じゃあさっきみたいに波になったとこを撃退しながら、恭子さんのところに戻ろ……」



と、その時だった。

ちくまが反芻するようにそういい終えるよりも早く。

今までちくまたちのいる場所より内側を覆っていた、人を通し、カーヴを通さない恭子の結界が忽然と消えたのだ。

 


「……何? まさか、恭子さんたちに何かあったんじゃ」

「急いで戻ろう、カナリさんっ!」


二人は嫌な予感を振り払うように頷きあい、元来た道を駆け出していく。

 


が、そんな予感はすぐに杞憂に終わった。

何故ならばその恭子本人が、こちらに向かって走ってきたからだ。

 


「恭子さん? 何かあったんですか?」


ちくまは不思議そうに問いかけると、恭子は息を切らせ叫ぶ。


「あったっていうか! 私たち勘違いしていたのっ。知ちゃんたちは閉じ込められたんじゃないの、閉じ込められていたのは私たちのほうだったのよっ!」

「……え?」


そう言われて、思わず言葉を失うカナリ。

それは、今までの考えを大きく覆してしまうような一言で……。




 

           ※      ※      ※




それから。

恭子の説明はこうだ。

ネセサリーの4人だけが異世に消えたのではなく、ネセサリー以外のバンド、スタッフ、観客全てが異世の中に閉じ込められたのだと。


あまりにも大きく、雲や鳥、風でさえも本物と同じ異世で。

すぐには分からなかったが……。

そこで恭子が気づいたのは、些細な日常の世界との違いだった。


近年になって海抜0メートル以下の地を埋め立てて作られたこの桜咲の海側には、実は空港がある。


ここに暮らしているものならば、飛行機が飛んでくる時間も大体分かるし、違和感に気づいてしかるべきではあった。



「もしかしたら犯人……いえ、今回の件を引き起こした人物は、その事を知らないんじゃないかしら。そうすると、誰なのかぐっとしぼられて来ると思うのよ。このライブってここ桜咲中央公園で行われるの3度目なんだけど、スタッフやアーティストはリハーサルや何かの時に、飛行機の騒音と演奏が被らないようにうまくやっているから……それに気づかないはずはないのよね。それに、今日のお客さんなんだけど、実はほとんど桜咲の人なの。知ちゃんがこの町の出身で、ここの町人……子供たちを呼んでライブしようっていうのが今回のライブのコンセプトだったから」


恭子は完結に素早く、それでも二人にちゃんと分かるようにそう説明する。

 


「そうだったんですか。それだと……犯人は?」

「うーん。たとえばリハーサルをしなかったひと、とか?」

「そんな人、いるわけないでしょ」


思いついた! と言わんばかりのちくまに、にべもなく言葉を返すカナリ。

ちくまは、そーかなーとぼやきつつも、めげずに言葉を続けた。



「それじゃ、その、ほとんどののこりかな? 桜咲町の出身じゃない人」

「でも、それってひそかに紛れていたら分からないし、わたしたちも数に入っちゃうんだけど」

「ぼ、ぼくじゃないよ!」

「わかってるわよそんなことっ!」


さっき一撃くれてしまった流れのせいか、思わず拳を振り上げるカナリと、びくくっとなって身を縮めるちくま。



「まあまあ落ち着いて二人とも。そうは言ったけど、犯人を追い詰めるのは私たちの仕事じゃないわ。それはどっちかって言うと知ちゃんたちの仕事ね。それよりも私たちには優先してやらなくちゃいけないことがあるから……探偵役は知ちゃんに任せましょう」


恭子はそれを温かく見つめながら、先を示すように口を挟んだ。



「やること、ですか? それって……」

「ええ、それはね。この異世の出口……世界の限界点、終わりを探して破壊することよ」


ちくまの問いに、何かを覚悟したかのように恭子は呟く。

仮に、この世界の終わりを見つけて破壊しようとすれば。

この異世が能力者本人によって作られたものである以上、破壊される前になんらかのリアクションがあるだろう。

また、この異世が拠り代によって保たれているとしても、それは同じだ。

 


「でも、どうやって? 正確な場所、分からないよ?」


それに、破壊するためには知己クラスの強大な力が要るだろう。

大波を手際よく撃退しながら片手間できるかどうか疑問ではあった。


しかし、そんなちくまの不安を払拭するように、微苦笑すら浮かべて恭子は言葉を続ける。


「大丈夫、正確な場所なら分かるわ。私の能力でね」

「能力……あの結界ですか?」

「ええ、私のカーヴ能力、元々は結界の内と外のカーヴ、あるいはそれに類する力の行き来を遮断するものなの。あくまで力よ。人自体は通れるわ。それはさっき二人が証明して見せてくれたけどね」


そういえば、さっきは何も考えずに結界を通過したが。

自分が思っていたより後先考えずに突っ走るタイプだったんだなと、カナリは密かに自分で自分を省みる。

まあ、多少なりともちくまの影響もあるだろうが……。

 


「だから今、これから全開で能力を展開するから、それを二人に追って欲しいの。もちろん、あの波には注意を払いつつね。それで、結界をどんどん広げていって、それがぶつかって消えた所が、世界の終わりってこと。……あとは、時間との勝負ね。この異世が能力者本人のものならば、ほぼ間違いなく邪魔が入るだろうし。ようは邪魔される前に二人の力でドカン! とやってほしいってわけなのよね」


本当は私の能力で異世を破壊できればいいんだけど、と恭子は舌を出すが。

それは実際問題難しいだろう。


意志のあるファミリア能力、または法久や王神のような例外的な能力は別として。

基本的なカーヴの力は能力者から離れれば離れるほど威力や効力が半減する。

この大波が遠距離からでも威力を失わないのは、意思を持つファミリアだからこそなのだ。

それに、異世がどこまで続いているのかも分からない。

 

少なくとも、この桜咲野外ステージから砂浜まで、もれなく覆うくらいはあるようだが。

実質、相手の(異世を維持する)力が上か恭子の力が上か、という勝負になる。

今、恭子が言っているのは、それに勝った上での話でもあった。



「……でも、大丈夫ですか? 恭子さん」

「大丈夫よ、ここには守るべきものがあるもの。守るべきもののある私は、強いんだからね」


そう言って覗き込むように恭子を窺うちくまに、それでも恭子は頼もしい笑顔で答える。

 

 

「……分かりました。信じます。わたしたちも、今度はうまくやりますから」


恭子の瞳には、さっきまで衰えていたはずのが嘘なくらい、力が漲っていて。

カナリも同じように、しっかりとそう返した。



「今度? 何、何か失敗でもしたの?」


そして言った瞬間、自分の失言に気づくカナリ。

言葉を失うカナリを見て、不思議そうに恭子がちくまを窺うが。


「え、何だろう。何かあったけ?」


返ってきたのは、恭子と同じような反応だった。

どうやら、自分が乗っ取られかけたことは失敗だとは思っていないらしい。

(カナリの考えている失敗とはもちろん別のことだが)



「いえ、何でもないですっ、わたしの気のせいでしたっ」


思わずムスっとしてそう答えるカナリ。

確かによく考えたら別に失敗したわけではなかったが。

もうちょっと何かと反応してくれてもいいのではないのか。

自分だけ思っているみたいでイヤじゃないと、心中でひとりごちるカナリである。

 


「……?」


しかし、そんな事をカナリが思っているとは知ってか知らずか。

ちくまはそんなカナリを見てただ不思議そうに首をひねるばかりで……。



             (第69話につづく)








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