第69話、知己が名付けに拘る理由
「【破魔聖域】……っ!」
そろそろ観客もクライマックスが長いと思い始めるだろう時分。
いったん展覧席にまで戻ってきた恭子は、力ある言葉でそう叫び、自らのアジールを展開する。
空気を弛ませ、突如出現したドーム状の幕は、まさしく新たな世界が開けるように広がっていく……。
カナリやちくまは砂浜の辺りで完成する波を、生まれるたびに蹴散らしながら、自分たちのところまで恭子の結界がやってくるのを待つ。
作戦はこうだ。
まず、どちらか一人が波の侵攻を食い止めている間に、もう一人が広がる結界を追いかける。
そして、結界と異世の終わりがぶつかる所で待機し、それまで波を止めていたもう一人がやってくるのを待つ。
それから二人で協力して、波がステージを襲う前に異世を打ち破る。
問題は、今まで二人で足止めしていた波を一人で抑えられるのか、ということ。
終点の足場はほぼ間違いなく海であること、だ。
それに、現段階では波になるのを待ちそれから消滅させている……あの水ゴブリンの存在もある。
増えている最中は攻撃さえしなければ襲ってくることはなく、完全に波と化した時も然りなのだが。
異世を破るということに対して、何も対策を取っていないということはないだろう。
何にしろそう簡単に、一筋縄でいくものではないが。
ちくまとカナリの二人には、その確率を上げることのできる手段が一つだけ存在した。
「いい? 恭子さんの結界が通り過ぎたらスタートよ」
「……うん、分かった。その時にゴッドリングを外すんだね」
カナリの最後の確認するような言葉に、ちくまは一つ息を吐いてそう答える。
互いに一つずつ填められているゴッドリング。
それを外せば今まで抑えられてきた力が解放させる。
今まで二人がかりだった波も、それで止めることができるんだろう。
後は自分の力にのまれ、負けないようにするだけだ。
「もしわたしが暴走するようなことがあったら止めてよね?」
「うん、それはもちろんだよ。僕のほうもよろしく」
少し冗談めいてそう言うカナリに、ちくまも微笑を浮かべて言葉を返す。
何気にほぼぶっつけ本番で、久しぶりに力を解放するわけなのだが。
その時は何故か口ではそうは言ってはいても、暴走に対しての危機をあまり感じてはいなかった。
それも知己たちと出会い、自分も変わったからだろうかと、カナリは思う。
まあ確かに短い間だったとはいえ、知己の教えのよってカーヴの使い方をよく知るようになったし、知己の能力の影響を受けて暴走しにくくなっているというのはあるだろう。
それに、以前幽閉されていたあの屋敷にいた自分と、今のカナリには一つ大きな違いがあった。
それは例え暴走してしまったとしても、それを止めてくれる人が今はいるということだ。
言葉に現すのだとしたら安心感……あるいは信頼だろうか。
何気ない言葉に何気ない言葉の返しだったけれど。
ちゃんとそれでも欲しい言葉をくれるのが、カナリには嬉しかった。
ちくまを見ていると、幼くて危なっかしくて支えてあげなくちゃって思うのに、その実支えられてしまっている気がして。
ジョイが好きになるのも分かるなあと、カナリはらしくもないことを考えてしまう。
「……あのさ」
「ん、なに? まだ何かある?」
「なんでもない、こっちは任せたわよ」
「うん、カナリさんも気をつけてね。すぐそっちに行くから」
一体何も言うつもりだったのだろう?
カナリは自問自答してみてもそれは曖昧で、はっきりとはしなかった。
今更緊張してるのかな、なんてことをカナリは思う。
不思議そうに首を傾げるちくまを見ていると、こいつは緊張とかそう言ったものには縁がないんじゃないのかといった感じだ。
出会った頃によく見せていた弱腰な雰囲気も、今のちくまにはない。
自分が変わったようにちくまも日々進歩しているのかな、なんて思っていると。
その瞬間、二人を包み込むような……抱擁するかのような風が通過する。
それは、恭子の結界だった。
二人は視線だけで頷きあい、互いの持ち場へつくために駆け出していく。
ちくまは、尽きることなく同じタイミングで向かってくる波の足止めに留まり。
カナリは異世の終末地点へと。
「―――形ないもの形にしていく……悠久に枯れない情熱は折れない翼っ!
―――【歌唱具現】、ヴァリエーション4(ウェポン)、『フライ』っ!」
その場所はおそらく海の上。
カナリは、自らのある多くあるも最後の4番目の選択肢の中から、白銀に光る鋼の翼を広げ、中空を舞うことを選んだ。
歌を媒介にする能力であるゆえに、『空を舞うこと』自体にそれほどの労はなかった。
それはきっと空に舞うことが、代表的な人の夢の一つだからなのだろう。
―――それは失敗の許されない一度きりのタイムトライアル。
これから行う作戦がうまくいくという確信があるわけでもなかったが。
しかりカナリにはそんな先の分からない不安よりも、そのギリギリの状態に身を委ねているという高揚感のほうが大きかった。
何より、内から湧き上がる無限にも等しいアジールの力がカナリの気持ちを昂ぶらせる。
だからこそなのか。
本物のようでいてやはりどこか違う海風を裂きながら。
「……ふふっ」
気づけばカナリは自然と笑みを漏らしていた……。
※ ※ ※
一方のちくまは、体内を暴れまわるようなカーヴを持て余しながらただひたすら時を待っていた。
カナリが異世の終点に着いたときに、そのカーヴの力で上空に信号を送ってきたら、いったん大波ができるのを待ち、その侵攻を阻止して……あとはひたすらにダッシュ。
その一連の行動において起こるイレギュラーには、その都度対応していくしかない。
まさに、生のドキドキするような実戦だった。
しかも、一度気を抜けば、その隙を自らのアジールが突いてくる。
何となく体内に、何かを飼っているような、そんな感覚さえ受けるくらいに。
そしてその時。
そもそもファミリアの能力はそれを出してあげることじゃないのだろうかと、ちくまはそこで始めて気づいたのだ。
ちくまの目の前で、カエルの卵のように重なりあって増え続けるファミリアが、
あの大波になるまであと少し、といった所だろうか。
できることならそれが完成するうちに、合図があって欲しいものである。
が……そんなただ増えて流れ行くファミリアを見ていて、ちくまは一つひっかかることがあった。
それは、一体一体があんなに強いんだから、わざわざ固まって波になる必要なんてないんじゃないかということ。
ちくま自身、カナリを庇ったところで意識が飛んではっきりとは覚えていないが。
自分たちを含めたステージにいる人達をどうにかしたかったのなら、目の前のファミリアに攻撃させるほうがよほど手っ取り早いのではないか、と。
「やっぱり、パームの人も無関係な人は傷つけたくないのかな?」
いや、実際はそんなことはないのだろう。
波だって十分脅威に違いないのだから。
カナリが聞いたら「そんな甘い相手なわけないでしょ!」といわれそうな呟きである。
勇に訊いたら、おそらく「そんなことしても何も美しくない」と言われそうだ。
だが、ちくまは……もしかしたらそういったやさしさみたいなものが、パームにだってあるんじゃないか、と思っていたかった。
あのファミリアには、酷い目に合わされたらしい(らしいというのはカナリに事情を聞いたため)が、それにしたってつまるところ、こっちが先に手を出したからに他ならないんじゃないのかと。
入ったばかりの頃に知己と法久が言っていた「『喜望』は専守防衛」という言葉、実は大事なのかもしれないなと、ちくまはしみじみと考えていて。
それからすぐのことだった。
まさにこれ以上ないタイミングで、遥か海面の先に、白い閃光のようなものが走る。
「あ、思ってたより早いや」
ちくまはそうひとりごち、目の前のファミリアたちが波へと生まれ変わる……見ようによっては神秘的とも取れる光景を見守った。
そして、もれなくちくまのいる場所にも、波と化したそれらが進撃を開始する地響きが聴こえてきて。
改めてちくまはすっくと立ち上がる。
「―――舞い上がれ、紅い炎のようにっ……!」
ちくまはその光景を見て、ちょっとだけ惜しいとも思ったが。
そんな気分を払拭するかのように、力ある言の葉を紡いでいく。
「―――永劫なる十字架の上、誇らしげに堕ちろ!
―――【歌符再現】、ヴァリエーション3、『ラヴィズ・ファイアっ』!」
そして、そう言い切った瞬間、じりじりとあたりの空気を灼く強烈な圧迫感がちくまを襲う。
ちくまの暴れ膨れ上がるカーヴの力を食らいて生まれでたのは、煉獄の衣纏いし天使。
それは、ついさっきまで喚び出していたものとは明らかに格が違っていた。
まず、その大きさがひと回りもふた回りも違う。
その身に纏う炎の絹衣と、額に燃え盛る焔色のティアラ。
熱とともににじみ出るようなプレッシャーと、今までは半ばうつろだったものがはっきりと分かる人物像。
これだけ強烈なものは、知己法久コンビのとっておき、『チェイジング・リヴァレー』の反動により限界を超えた時以来だった。
その時は、吐き出すようにただ放つしかできなかったが。
今は果たして、どうか。
そんな事を考えている暇もなく、気づけば迫り来るのは大波。
しかし、今となってはあんなに小さかったかと思ってしまうくらいに。
むしろ自らの力のほうを持て余してしまっていた。
「天使さまっ、あの波を止めてっ!」
「……」
『ラヴィズ・ファイア』の力がさっき気が付いた通り、ファミリアタイプに類するものならば、会話が通じるのかもしれない。
ちくまはそう思い、叫んだが……しかし炎纏し神秘性すら漂うそれは、視線をちくまに向けるだけだった。
なんだか、言われていることは分かっているのにあえて動いていないような、そんな雰囲気すらある。
だとするならば、何かが足りないのだろう。
ほかに何か言うべきことがあるのかもしれない。
それが何であるのか、ちくまは必死に考えて。
その時ふっと浮かんできたのは、名をつけることに変に固執している風の知己の姿だった。
(そっか。名前だ……)
知己が名づけることに固執しているのは、自らにファミリアの能力が授からなかったせいもあるが。
それはともかく、思えばちくまが今まで見たファミリアには、必ずその名前があった。
逆に言うならば、今まで名も呼ばずにこの天使……いや、彼女を使役していたということになる。
ちくまは、その一瞬で今までの彼女に対しての仕打ちについて詫びたい気持ちで一杯になった。
いくら自分の力とはいえ、その本質を半分も出せずに消えていった彼女の分身たちに。
「今までごめん。……【ラヴィズ】。こんな僕だけど、力を貸してくれる?」
だから気づけばちくまは、自然とそう口にしていた。
「……」
その命を受けた炎の天使、ラヴィズには言葉は無かったが。
その命に答えるように、ラヴィズはそれを行動で示して見せた。
「―――ッ!!」
ラヴィズは人では解することのできない声を甲高く発し、その紅蓮に燃え盛る手のひら……爪を立て、身体ごと羽ばたき突っ込んでいくようにして波を裂き、粉砕する。
飛沫散り舞う音と水の蒸発する音とともに濃霧が発生し、辺りにかかる虹の橋。
ちくまは、それをとても綺麗だと思った。
いまだ消えずに次の命令を待たんと羽ばたいて浮遊する姿に、何故だか勇気付けられるような気さえする。
「じゃ、急ごうよ! カナリさんのとこへっ!!」
それからちくまの行動は早かった。
「―――形ないもの形にしていく、悠久に枯れない情熱は折れない翼っ!
―――【歌符再現】ヴァリエーション2、『フライ』っ!」
そう発するちくまの視線の先には。
どこまでも広がる海と、波間にかすかに見えるカナリの姿。
そして背中には、鋼で構成られた青銀の翼。
急いでカナリの元に向かうためには、カナリのように空を行くのが一番なんだろう。
ちくまは試す意味も含めて、カナリと全く同じ能力を発動させた。
するとすぐに重力の感覚が薄まって、ちくまは自然と宙に浮かび上がる。
(やっぱり……僕、炎の力以外も使えるんだ)
しかもカナリと同じ力。
カーヴの力はそれぞれ唯一無二のはずであるのに、どうして同じ力が使えるのか。
ちくまには当然そんなこと知る由もない。
もしかしたらパームのリーダーの使う能力のように、純粋には同じものではないのかもしれないが。
「ま、いっか。それより早く行かなくちゃ」
考えても分からないものは分からないので。
ちくまは鋼の翼をはためかせ、ラヴィズを引きつれ。
一路、カナリの元に向かうのだった……。
(第70話につづく)
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