第70話、ステージがひとつ上がったふたりのシンフォニック
「おかしいな。見えるのに、近付かないや……」
それからしばらく進んでいたちくまだったが。
すぐに違和感に気が付き、その足を止める。
その仕組みがなんであるのかちくまには分からなかったが。
この現象がちくまたちのやることを阻止しようとしていることは理解できて。
と、その時だった。
突如として波がうねり一握りの水が浮かび上がったかと思うと、粘土細工でも作るかのように、見覚えのある姿を形作る。
それは、あの水ゴブリンのファミリアだった。
「うわっ」
そしてちくまがそんな声をあげる暇もあらばこそ、次々と増えていくファミリアたち。
しかも、雰囲気からして初めからこちらを狙うつもりらしい。
「予感はしたけど、時間ないんだってば!」
「……」
思わずそう叫ぶちくまだったが。
その言葉を遮るように、ちくまを庇うように前に出たのはラヴィズ。
「え? ま、まさか……足止めしてくれるの?」
「……」
ラヴィズからの返事はなかったが、それでもちくまの問いに対して肯定の意志が伝わってくる。
「そんなの……っ」
ダメだよと言おうとして、はっとなってちくまは言葉を止めた。
今自分がしなきゃならないことは何だろう……そう、思ったからだ。
それは、一刻も早くカナリのもとへと向かうこと。
それをいち早く察して、ラヴィズはここで足止めする意志を見せてくれたのに、自分は何をしているんだと。
今までぞんざいに扱っておきながら、今更彼女の心配をするのはとんだ勘違いもいいところ、かえってラヴィズを侮辱しているようなものじゃないかって。
「……ごめんっ。ありがと! 先に行くよっ!」
だからちくまは、歯を食いしばってそう言うと、ひたすらカナリの方へと飛んだ。
そのあとに、凄まじい蒸気の滾るような音がしたが。
ちくまは一度も振り返ることはなく……。
※
そして。
ちくまは想像以上の距離を飛ばし、カナリのいる異世の終点へと辿りつく。
見ると、その場所もさっきラヴィズを置いてきた地点と同じような状況に陥っていた。
海面にはいくつもの水ゴブリンファミリアが顔を覗かせている。
その海面はどこまでも続いているように見えるが、やはりそこに壁のようなものがあるのだろう。
まるで見えない入り江にでもなっているかのように、ファミリアたちは群をなして固まっており。
加えてその中に一体だけ一際大きく、濃い深海のような色をしたファミリアが顔を出していた。
カナリはそこを離れないようにしながら、銀の翼でその上空を舞っている。
「カナリさんっ!」
「っ、ちくまっ。遅いのよっ! と、とにかくあいつらをどうにかしてっ!」
「もちろんそうするけど、カナリさんは?」
ちくまは何してるの? という意味も含めてそう言葉を返す。
改めで再度見やると、カナリは飛び回っているばかりで何もしていないようだった。
「わたしはもう力を使えないのよっ! 『ホーリーナイツ・アンブライト』はこの水面じゃあんまり役に立たないし、 頼みの綱のネイティアタイプはちくまのせいで違う力『セット』しちゃったから、もう使えないのっ!」
「 えっと、何言ってるのかさっぱりなんだけど」
「だから! わたしの力は一日に4種類しかセットできないのっ! ファミリアタイプはジョイに使ったままだし、ウェポンタイプは飛ぶのに使ってるし、ネイティアはあなたを助けるために状態回復の力使っちゃったし! ……って、だからなんでわたしわざわざこんな詳しく説明してるのよっ。とにかく早くっ!」
詳しいことはちくまにはよく分からなかったが。
要するにカナリの【歌唱具現】は、それぞれのタイプごとに一つしか使えないらしい。
何でも歌えば効果が得られるわけではないようだった。
そして、実際カナリが今まともに使えるのは『ホーリーナイツ・アンブライト』(フィールドタイプ)だけらしい。
「うん、わかった!」
ならば自分がやるしかないとちくまは頷き、水コブリンのファミリアたちと相対する。
まずは彼らをどうにかしなくては、異世の壁を壊すどころではないからだ。
だが、自分の最強の力は置いてきてしまっているし、単体用のファイヤーボールでは数が多すぎて荷がかちすぎる。
それに、炎以外の能力が使えると分かったとはいえ、新しい力をここで試すのもバクチ要素が高かった。
(……待ってよ? 一か八かならっ)
「ちくまっ、来るわよっ!」
一つだけ使ったことのないアテがある。
そう思った時、聴こえたのはカナリの声。
それに反応してちくまが顔を上げると、敵のうちの一体が伸び上がるようにして迫っているのが分かった。
それは、カナリやちくまのような後方支援タイプには致命的な間合い。
「―――ヴァリエーション2、『ファイア・ドットコム』っ!」
だったはずなのにも関わらず、後出しでちくまがそう呟いた時には。
敵の一体の上半身が水蒸気と化して吹き飛んでいた。
「やっぱり、カーヴ名もヴァリエーション名も全部入れれば威力が上がるんだから、その逆もありみたいだねー」
そう言ってにっと笑うちくまの両手には、緋色の光沢を放つ一対の金属製トンファー。
「ちょっと何よっ。詠唱時間ゼロどころかマイナスなんて反則じゃないのっ!?
しかもそんな便利な力があるなら、どうして今まで使わなかったのよ!」
「いや、だって……っ!」
カナリの最もな突っ込みに言い訳を、と言うか説明しようとしたちくまだったが。
それを遮るように今度は二体同時に飛んでくる水ゴブリンのファミリア。
「……え?」
その二体を流れるような手さばきで棍を回転させ、カウンターの要領で打ち据えるちくま。
一体目には同じように半身を蒸気と化して消えたが。
何故か迎え入れた左手の一撃の瞬間、小爆発が起こりちくま自身もそれに巻き込まれてしまった。
「ってて。あちちっ! わ、分かった? だからそういうことっ」
トンファーのそれぞれに10個ずつ黒いボタンがあり、そのどれを当てるかによって、効果かがランダムに変わるのがちくまの能力の一つ、『ファイア・ドットコム」(ウェポンタイプ)だ。
その効果を種類わけすると、外れ(自爆)、スカ、当たり(3種類)に分けられるのだが。
「そういうことって、わからないわよわたしには」
「あ……うん、だからね。この能力には当たり外れがあるんだよ。外れると自分も結構痛いからあんまりやりたくなかったんだけど、そんなこと言ってられないもんねっ!」
一体どこで習ったのか、ちくまは実に慣れた動きで翼をはためかせながらファミリアたちを水に帰していく。
その際、2撃目はまた外れたようだが、ちくまはそれをヒット&アウェーの要領で飛び退り、ダメージを軽減していた。
「何よ、本当にわたしやることないじゃないっ」
「ううん、そんなことないって! さっきも言ったでしょ。今カーヴ発動の決まりごとを全部飛ばして使ってるから、そんなに威力はすごくないんだ。それじゃああの大きなのも倒せないし、壁も破れないんだ」
「……どうするの、じゃあ」
「うん、今のは流し打ち。これから本気でいくよ。そのぶんハズレもきつくなるけど、ハズレ引いたら、ごめんね」
カナリ拗ねたり困ったような言葉に、ちくまはわざと明るい調子でそう答える。
「ご、ごめんってそんなっ」
その分の悪い賭けに、カナリは慌てるが。
もっと安全な方法があるのなら、とっくにそうしているんだろう。
どうしようもなくて言葉を失うカナリに、それでもちくまは微笑んでみせた。
「それじゃあ改めて行っくよー!
―――普遍なるは戦場の賽……王蒙なる炎……精神で得るは極みの翔き!
―――【歌符再現】ヴァリエーション2、『ファイア・ドットコム』っ!!」
まるでジェット噴射のように、火炎を噴出すトンファー。
ちくまは、カナリが目で追えないほどに加速して、無数いる敵のファミリアたちを間を詰める。
「当たれーーーっ!」
そして、近付いてきた前衛に向けて、トンファーを打ちすえた瞬間。
ミサイルが直撃したかのような音がして。
トンファーから出た大量のファイヤーボールのようなものが炸裂拡散して、目の前は炎の海と化した。
(こっ、こんなに違うのっ?)
カナリはその、あまりの威力の大きさから来る爆風に翼を圧され飛ばされかけながら、驚愕にくれる。
「やった! 初めて当たり引いたよっ」
しかし、そんなちくまの嬉しそうな緊張感のない声が聞こえてきた。
あれだけ繰り出しておいて、本番の本番で初めて当たりを引くあたり、運がいいのか悪いのか……正直判断のしかねるところではあった。
「ちょっと! だからそんな喜んでる場合じゃないでしょ、まだ大物が残ってるわ!」
そして、ここまで来て自分も見ているだけじゃしゃくになったのか。
身を乗り出し援護に入ろうとするカナリだったが。
しかし、それはちくまにきっぱりと止められてしまう。
「待って、僕に任せてくれないかなあ?」
「ど、どうしてよっ」
やけにはっきりとした、ちくまにしては強引とも取れる言葉に戸惑うカナリ。
「だって、さっきカナリさんは僕を助けてくれた。だから今度は、僕が頑張る番でしょ? それに近くにいたら危ないよ」
「何言って、それはもともちくまがっ……それにっ、そう言ってわたしが引くとでも思ってるの?」
だが、今度こそカナリも引くわけには行かない。
何もできないのは分かっていても、どうしても。
「それもそうだよね、うん。まいったなー、ちょっと」
睨み付けるようにそう言うカナリに、ちくまはホントに困ったような声をあげる。
ちくまにしてみれば、カナリが言ったあなたのせいという言葉も含め、借りを返したかったからだし、力が使えないんじゃしょうがないと思ったからなのだが。
カナリにしてみればちょっと前にそんなカナリにとって不本意で理不尽なに庇われたばかりなのだ。
当然納得できるはずもなかった。
「……」
「……っ」
互いに譲れない、そんな雰囲気が漂い始める。
こんなことで言い合いしてる場合ではないと言いたい所なのだが、お互い意見を曲げたくなかったのだ。
その沈黙は、実際にそれほどの時間ではなかったのかもしれない。
だが、カナリにはそれがとても長く感じられた。
別に喧嘩をしているわけではないが、こういった膠着状態が続くのに耐えられそうもなかった。
こんな重苦しい雰囲気の……元は些細なことだったかもしれない争いのせいで、取り返しのつかない事態に陥ったことがあったのを思い出したからである。
カナリはいまだに睨みつけるような視線のままだが、
その実、心のうちでは自分が折れるべきじゃないのかという考えに支配されていた。
もっとも、折れてしまえば暴走を持て余してハイにでもなっているのか、元からそう言うタイプだったのか、ちくまの無茶を許すことになってしまうのだから本末転倒であるが。
……と。
本当にどうしたらいいか分からなくなって、強攻に出ようか、なんて思った時。
カナリやちくまがやってきた方向から、熱気すら伝わってくるかのような何かの圧倒的なアジールの気配がした。
それは、カナリもよく知っているもので。
それに気づいたちくまとともに視線を向けると。
そこには変わらず紅蓮の炎をたゆらせる、水面に浮かぶ鬼火のようなラヴィズがいた。
「ラヴィズ! 無事だったんだね!」
「……」
とても嬉しそうに今までの言い合いすら忘れてそう言うちくまに対して、やはりラヴィズは何も語ることはなく、それでも当然だと言わんばかりに颯爽と翼を翻し、ちくまたちを守るように水のファミリアたちを牽制する。
「……ラヴィズ? あの天使さま、ラヴィズって言うの?」
「うん、さっき僕がつけたんだ」
内心で嫌な雰囲気が無くなったことに安心していたカナリが反芻するようにそう呟くと。
ますます嬉しそうにちくまはそう答えた。
ちくまにしてみれば、ラヴィズが無事でいてくれたのが何より嬉しかった、というのもあるだろう。
「あ、そうだっ、ラヴィズがいるじゃん。ねえ、カナリさん! やっぱり二人で戦おうよ!」
「え? どういうこと?」
そして、突然何かにひらめいたかのように、手を叩いてそう叫ぶちくまに。
思わずカナリは戸惑ってしまった。
さっきまで危ないとか任せろとか言っていたくせに、一体どういう風の吹き回しだろうと。
「うん、あのさ、カナリさん『ホーリーナイツ・アンブライト』は使えるんでしょ?」
「ええ。でも、あの力はもともとフィールドタイプの力だから、ここじゃあまり効果がないのよ。せいぜい、さっきみたいに信号を送るくらいで……」
カナリが促されるままに自分の現状を説明すると、ちくまはそれで十分だとばかりに頷く。
「ほら、知己さん言ってたでしょ。シンクロがどうとかって。その時は失敗しちゃったけど、今度はできる……うまくいくと思うんだよね」
「シンクロって、『シンフォニック・カーヴ』のこと?」
「え、そんな名前なの? カナリさんよく知ってるね」
「うん、まあ。その辺りは思い出したから……」
不思議そうに首を傾げるちくまに、あいまいに濁すしかないカナリ。
知己がシンクロと言っていたもの、それは本当の名を『シンフォニック・カーヴ』と言う。
そのあたりの知識はうず先生から教わったものだが。
まさかちくまにそれをやろう、と言われるとは思ってもみなくて、カナリは瞳をしばたかせるしかない。
「そんな、やろうって言って簡単にできるものでもないと思うけど……」
「大丈夫だよ。あの時はラヴィズのことを分かってない僕のせいでダメだったんだから、今度はできるよ!」
一体その自信はどこから沸いてくるのだろう。
そう思わずにはいられないほどに、そう言うちくまには自信が満ちている。
それは……裏を返せば互いの呼吸、相性、力の程度が全て『シンフォニック・カーヴ』を使うのにふさわしいと。
ちくまがカナリをそう、信頼していると言う風にもとれるわけで。
「わかったわ。それでいきましょう」
もとより躊躇っている暇などない。
むしろ少し前に比べたら、遥かにましに思える案だった。
そんな新たな案をもたらしてくれたラヴィズが神々しくすら見えるほどに。
だからカナリはそのちくまの言葉に不敵な笑みすら浮かべて頷く。
そして……。
「―――舞い上がれ空高く、紅い炎のように!
「―――この暗闇を切り裂くようにっ!」
「―――誇らしげに堕ちろ! 【歌符再現】ヴァリエーション3!『ラヴィズ・ファイア』っ!」
「―――光の筋よ疾れっ! 【歌唱具現】ヴァリエーション2! 『ホーリーナイツ・アンブライト』っ!」
それは始まりの時とは明らかに違う、真のカーヴの融合。
カナリは自らの記憶を取り戻し。
ちくまは自らの力の真を知った。
一度目は互いにぶつかりあい、打消しあってしまった二人の力は。
まるでそうあるのが当たり前であったかのように、一つの新たな姿へを進化していく……。
それは、メビウスの天衣纏いし茜色の天使。
周りの温度はさらに上昇し、放つ光はまばゆくにじむ太陽のコロナのよう。
その腕には纏う衣と同じ、光十字の剣があって。
『『―――ラヴィズ・ブライトネスッ!!」」
二人は、その新しい力の名を。
一字一句違うことなく、迷うことなく口にして。
還るは七音に留まらない天上の声と。
その世界すら切り裂くほどの剣による一撃、だった……。
(第71話につづく)
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