第十章、『僕らの音』
第71話、プロならばその誇りを全うせよ
―――ちくまたちが異世に閉じ込められていると気づく、少し前。
知己たちは、いったんステージから降りると。
異世からみなが戻ってきた時のために、そのままバックヤードにある、ネセサリーにあてられた控え室に来ていた。
そこは当然無人だったが。
十数人で顔をつき合わせて会議が出来そうなスペースと、大きなサーキット型の白テーブルがある。
だが、主をなくした丸イスがテーブルから離れたところで遊んでおり、その机の上には飲みかけのペットボトルや何やらあって、今の今までそこに誰かがいたことを表していた。
初めの頃は、七色のアジールを発生させて異世のありかを探していた知己であったが。
その異世は随分広い範囲で現実と接しているらしく、なかなかその入り口となりえる場所を見つけることができないでいた。
逆に、当たりをつけられたとしても、中に大勢の人がいる状態の異世に、知己は自らの力をぶつける気にはならなかっただろうが……。
そんな知己は今、これといって何をしているわけでもなく。
ただ何かを待っているかのように、法久と顔を付き合わせて話し込んでいた。
「……ここに戻ってきたはいいが、もう結構時間が経つぞ。 わしらは何もしなくてもよいのか?」
圭太にはそれが気になって、思わずそう声をかけてしまう。
あれほど用意周到で手堅い感のある二人が、何も行動を起こさないのに疑問を持ったせいもあるだろう。
あるいは、もう既に圭太たちには分からないような、何かの手を打ってあるのかもしれないが……。
「それがでやんすねぇ。相手の目的がはっきりしないのでやんすよ」
「と、言うと?」
法久の言葉に相槌を打つように聞き返す圭太。
すぐさまそれに答えたのは、知己だった。
「ああ、うん。実際さ……お客さんたちが異世に閉じ込められた以外、今のところ何も起こっていないだろう? 彼らを人質にしてどうこうって話なら、己たちに対して向こうさんからなんかしらのアクションがあっていいはずだし、仮に異世に取り込まれた人たちに危害を加えることだけが目的だと言うなら、そろそろその結果が出てもいいはずなんだよ」
「……結果か。何なのだ、それは?」
再び反芻するように聞き返すのは圭太。
事情の分かりえない峯村と稲葉は、ただそれを聞いている以外に術はないようだった。
「たとえば……向こうの世界でパームのやつらに誰かが襲われたとする。ライブ会場でそんなことが起きたら当然パニックになるだろ? そのショックで何人かの人がこっちに戻ってきてもいいはずなんだ。もともと、カーヴ能力者じゃない一般の人と異世のつながりは薄い。ありえない! って程度のショックでも、普通の人ならその世界から剥離されておかしくないんだ。なのに、誰一人としてそんな人がいない……」
知己は、そこで言葉を止めて。
圭太を見、黙したままの峯村を見、おろおろしっぱなしの稲葉を見やる。
圭太には、その瞳の奥に何の感情も読み取れなかったが。
少なくともただ間を置いただけではないんだろうなと思っていた。
「それはつまり、向こうでも何も起こっていないか、あるいはうちらの連中がうまくやっているかのどっちかってことなんだろうな」
「そうでやんすね。信じて待とうでやんすよ。まあせめて、向こうにおいらのダルルロボがいたらよかったのでやんすが……」
法久の【頑駄視度】ヴァリエーション1、『スクリーンオフ』によって創り出されたダルルロボたちは現在、それぞれの班(チーム)の所にひっそりと付く形で、『喜望』本部も含めて5体が稼動中である。
ネセサリー班(チーム)おいては、ネモ専用ダルルロボ(IN法久)以外にもう一体、今まで魔球班(チーム)についていた鈍重な朱色のボディ&ひとつ目ダルルロボのドムドーがいたのだが。
法久の言う通り、ドムドーはちくまやカナリたちがいるであろう異世に入ることはなかった。
いや、敢えて入らなかったというほうが正しいだろう。
ちくまたちについて中に入っていたら、辰野稔との戦いの時のように、法久の能力ヴァリエーション3、『チェイズレイス・ダルルロボ』で知己とダルルロボを場所変えする、なんてことが出来たのだが……にもかかわらずそうしなかったのは、ちくまたちを閉じ込めた能力者がその異世の外、今知己たちのいる現実の世界に残っているかもしれない場合を考えたからだ。
「ううむ、そうか。だがしかし、辛いことだな。ただ待つしかできないというのは」
「ああ、そうだな。何もせずにただ待つのってすごく精神力がいると思う。でもな、待ってるだけでも出来ることは結構あるものなんだ。そうだろ? 法久くん」
「そうでやんすね。知己くんの場合は特にそうでやんすよ。いるだけで働くカーヴの抑止力。こっちの世界にお客さんたちを異世に閉じ込めた張本人がいるとしたら……それを肌で感じてるんじゃないでやんすかね」
知己、法久ともにその言葉は、ひどく意味深なものに圭太は感じられた。
まるで、近くにその犯人がいるだろうと確信しているかのような物言いだったからだ。
「それは……」
もしかして自分を疑っているのかと、圭太が言おうとしたその時。
しかしそれより早く、開けっ放しになっていた控え室の入り口から、一体のひとつ目ダルルロボ、法久のファミリアであるものが入ってきた。
「お、ドムドーのやつ帰ってきたな。どうだ法久くん、この近くに不審者とか、いなかったか?」
「待つでやんす。今、確認するでやんすよ」
法久は知己にそう言われ、ふわりと浮き上がると。
ドムドーと呼ばれたダルルロボと、顔を突き合わせる。
どうやら、それで情報を受け渡しするらしい。
しばらく機械独特の読んでいるかのような駆動音がして。
やがて法久は再び向き直った。
「とりあえず、近くに人はいないようでやんすね。少なくともこの桜咲中央公園内には」
「そっか……なるほど」
知己は、法久の言葉にそうとだけ答えてだんまりを決め込む。
その沈黙は長いような短いような、時の経過が曖昧になるような一瞬だったが。
しばらくして知己は、ぽつりと水面に波紋起こすように、言葉を漏らした。
「さっきさ、待つことしか出来ない、それは辛いって話になっただろ?」
「あ、ああ」
圭太は、その意図が分からないままに相槌をうつ。
「己が言うのもなんだけどさ、確かに辛いと思うよ。何もしていないフリをしているのなら尚更にね」
「……」
圭太は、そんな知己の言葉を聞いて思わず息をのんだ。
いつからそう言う風に疑っていたのだろう?
そう思って。
「何もしていないフリとか、嘘をつき続けるのってかなりの力が入るし、疲れるよな。 本当はバレてるんじゃないかって焦ったり、自分はちゃんとフリをしていられてるのかとか不安になったり。たとえどんなにポーカーフェイスで、心ゆるぎない人でも、嘘をついている時とそうでない時の違いは必ず出る。それは、常人には分からない、ほんの些細な違いなのかもしれないけど……例えばその違いを、僅かな表情の変化なんかを側で記録していたとしたら、どうなんだろうな?」
そう言う知己の声色は酷く低い。
まるで諭すかのような、そんな物言いだった。
「何が云いたい? もしかしなくてもわしを疑っているのか? わしが、今日の件を引き起こした張本人だとでも?」
圭太は結論を先延ばしにし、はっきりと言おうとしない知己の先手を打つように、そう呟く。
たとえそうだとしても、知己の言い分には無理があるように圭太は思う。
仮に知己が目の前でカメラを回していたとしても。
それこそ、心を覗き込まない限りは人が嘘をついているかどうかなんて分かるわけがないだろうと。
知己は表情を変えぬままに圭太の言葉を受けて顔だけあげるが。
その問いには答えなかった。
その代わりに、自らが言った言葉を証明してみせる。
「今言ったのはさ、ここにいる法久くんの力なんだ。だからそれを確認すれば、誰が何もしていないフリをしているかだって分かると思う」
「そう思うのなら見てみればいい。わしはそれを止めはしない」
圭太が知己を見据えてそう言うが。
しかし知己はただ力なく笑って、首を振った。
「しないさ、そんなこと。……今はね」
「……何故だ?」
「だって、まだネセサリーの出番が残ってる。今日しかない、今日だけのネセサリーの出番がね」
知己は、圭太の言葉に、気を取り直したように顔を上げる。
「己さ、パームのことやっぱりちゃんと分かってなかったのかもしれない。最初は、もう絶対相容れないとか思ってたけど。音を楽しむことに何の境界もないんだって気づいたんだ。だからせめて己たちの出番が終わるまでは、そのことは考えたくない。だって己たちは、プロなんだから」
「……」
圭太の問いかけに帰ってきたのは。
予め定められていたかのような、知己の長い長い本音だった。
プロフェッショナルであること。
それはすなわち音を楽しむ自分に誇りを持つことだ。
ネセサリーはまだその役目を終えてはいない。
それを途中で放棄するのは……自らの本質を、ミュージシャンとして生きてきた誇りを失うことと同義だと、知己は言いたかったのだ。
「……だから今は、ただ待とう。己たちの出番をさ」
そして、知己がそう言葉を発した瞬間。
その場が、世界が日の出の光にくれるように、明らみ始める。
圭太はそのまばゆいまでの明るさに思わず瞳を閉じた。
暗く赤い視界を脇に、だんだんと聞こえてくるのは人のざわめき、楽器の息遣い。
まるで、今までが音のない異世界にいて。
ようやくその世界から解放されたかのような、逆の感覚を覚える。
「ナイスなタイミングでやんすね」
ボソッと聴こえるのは法久の声。
まさしく圭太はその通りだと思う以上に、それは奇跡のようだと感じていた。
何故なら知己がそう宣言した瞬間に、世界が開かれたのだから……。
(第72話につづく)
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