第72話、ステージ上では別人になる、知己と法久



知己たちがそんなやりとりをしていた少し前。

同じ控え室……異世。



美弥はひとり、手持ち無沙汰にかまけてイスを回転させつつ、ネセサリーのための控え室で知己が帰ってくるのを待っていた。

 


「うう~。やっぱり一人はなんだか怖いのだ~」


ついさっきまでは知己や法久たちの後輩、一応美弥にも後輩にあたるアーティストたちが、出たり引っ込んだり(美弥の様子を見るように)やって来てくれたのだが。


『ZANETETE』と呼ばれる男性ギターユニットの二人組(本間(ほんま)と垣内(かきうち)という名前で、下の名前を美弥は知らなかった)がステージに出て行ってしまってからは、誰も来なくなってしまったのだ。


「知己さんはもちろん、ウチラの大先輩の青木島さんだっているんですから、心配いらないですよ!」


なんて言葉を後にして。

 


『ZANETETE』の二人はカーヴ能力を使えない『喜望』のアーティストたちの中では、最も知己たちとの付き合いも古く、その中でのまとめ役であり、彼らは言わば最後の砦であった。


つまり彼らが戻ってこられなくなるほど、会場が主役の登場を待ちきれなくなっているということであり、あわよくば恭子の言った「美弥もステージに立つ」といった冗談が冗談でなくなるかもしれないという状況に、美弥はお気楽にも気づくことはなかった。



「そう言えばカナリちゃんもちくまくんも、ノリのこと初めて見る感じだったのだ。どうしてかな?」


美弥はまるで関係のない思いついたことをひとりごちる。

そんな呟きが漏れたのは、『ZANETETE』の二人が法久とは大学の先輩後輩の関係で、その頃はまだ法久も普通だったなと美弥が思い出したからだが……。

(思ったことを口に出してしまうのは、心が繋がっているきくぞうさんに考えていることを読まれてしまうせいでもある)


そう言えば、今の法久が(最近美弥は会ってないが)ビン底眼鏡&紅白帽を被り、自らの人となりを隠すようになったのは、知己や自分と会った頃だったと今更ながら美弥は気づく。

 


さっきステージで見た自分が偶想(アイドル)と言われるべきことを自覚している『ノリ』は、今はもうステージの上でしか姿を現すことはなかった。


法久が言うには。

『おいらの今の状態こそが、本当の自分でやんす』、らしいが。

それはもう、イメチェンとかそんな域を超えてしまっているような気がしていた。

 

事実、カナリやちくまが今のビン底眼鏡の法久こそが本物と思っているように。

ステージの上以外では、昔の自分を法久は完全に消し去ってしまっている。


それは過去の人間関係も同様で。

法久は本間と垣内が慕うような理想の先輩像を見せることはもうないし、その頃に付き合っていたらしい娘とも、まるで初めて会った人のように接しているのだから。

 

 

「あれからどうしたんだろーな、あの娘……」


美弥が役立たずだと自覚しながらも知己の側を離れたくなくて。

同じカーヴ能力者として『喜望』にいた時。

そんな変わってしまった法久のことを知らずに、追いかけるようにして『喜望』に入ってきた一人の少女がいたのだが。


法久はその少女にも初めてあった人であるかのように応対していて。

美弥にはその時の何かが欠けてしまったかのような、寂しげな少女の姿が忘れられなかった。



二人の間に何があったのかは美弥には知りようもないが。

自分がもし今までの記憶も思い出も何もかも知己に白紙にされたらと思うと、震えが止まらなくなる。



「うう~。知己ー……」


一人でただいることに耐えられないからこそ、必然と多くなる美弥の独り言。


それまで今の状況とはあまり関係のないことに思考を巡らせていたはずなのに。

今いる場所が、無数の防音のための黒い斑点の鏤(ちりば)められた白く広すぎる部屋、というのもあって。

ふとしたきっかけで、今自分が独りであることを美弥は実感してしまったのだ。 

 



それはいつも美弥の近くに必ずと言っていいほど誰かがいたというのもあるだろうが。

その不安から来る震えは、知己が近くにいるはずなのに近くにいないという、現在の特異な状況ゆえだろう。


普段なら寂しいとは思っても、こんな不安な気持ちにはならないはずで。

その理由を考えた時、美弥の心に浮かんだのはきくぞうさんの存在だった。

きくぞうさんが何だかんだ言って気づけば側にいてくれるからこそ、寂しい気持ちも和らぐのだ。


 

「きくぞうさん、大丈夫かな? ちょっと探しに行こうかなー」


ペットは入場が禁止されているということもあって、見た目ペットなきくぞうさんには、ステージ会場入り口脇のところで待っていてもらっていたのだが。

 

とりあえずここで自分がなすべきことはもうないだろう。

そう考えたら、なんだか急にきくぞうさんの事が心配になってしまい(きくぞうさんにしてみれば、むしろその逆で、いつまでも待たせるダメな主に痺れを切らせているかもしれないが)、思わずきくぞうさんの声が聞きたくなって席を立って……。 

 


まさにその時だった。

美弥が控え室をいざ出ようというタイミングで、外の観客席につながる通用口のほうから誰かが騒いでいるかのような、言い合っているかのような声が聴こえてきたのは。


その声が、聞いたことのあるものだと分かった美弥は。

それでもおそるおそる、そっとそちらを窺ってみた。

 


そこには、同じ「あおぞらの家」に住む藤とひとえ、そして今まさに考えていたばかりのきくぞうさんがいるではないか。


「きくぞうさん? 藤ちゃんとひとえちゃんもこんなところで何してるのだ? ここ、一応立ち入り禁止じゃなかったのだ?」


美弥自身も、一応関係者以内にあてはまるのか微妙な所ではあったが。

とりあえずそのことは棚上げして、美弥はそう呟く。

まあ、見た目どう見てもパピヨン犬なきくぞうさんは、それ以前の問題だろうが。  



「あっ、美弥お姉さま。えっと、これはその」

「あ、きいてよ美弥お姉ちゃん。キクちゃんがね、言うこときかないでどんどん中に入ってっちゃって、追いかけてきたんだよ」

「……きゃん!」


すると、まるで示し合わせたかのように返ってくるのは三者三様のリアクション。

藤は驚きとともにいたずらがバレたかのような声色でしどろもどろに呟き。

ひとえは舌を出しつつもきくぞうさんに責任を転嫁し。

きくぞうさんはただ嬉しそうに尻尾をふって美弥に向かってくる。

 


「あれ? きくぞうさん、まだ帰ってきてないの?」

「きゃん、きゃん!」


美弥は、きくぞうさんを両腕で迎え入れたが。7

正真正銘可愛いパピヨン犬なきくぞうさんに、思わず首を傾げる。



「帰ってきてないってなぁに?」

「あ、ううん。えっと、なんでもないのだ」


美弥の言葉に、案の定不思議な様子で聞き返すひとえ。

美弥はきくぞうさんの柔らかな首元を優しくかきながら、曖昧に言葉を濁す。

 


美弥が『帰ってない』と言ったのは、いつも美弥の心を見透かし、罵詈雑言の毒舌を主に向かって平気でぶつけてくるファミリアなきくぞうさんがいない、という意味だった。


きくぞうさん曰く、「しゃべるのは疲れるからいつでもというわけにはいかない」らしいのだが。


三度のごはんよりもサンポよりもしゃべるのが好きなきくぞうさんである。

そうは言っても、こうしてだんまり決めこんでいる時がどういう時かは、たいてい決まっていた。



それは、ずばり知己が近くにいる時である。

美弥はその理由を、きくぞうさんの知己に対しての極度の照れ症なせいだと思い込んでいたが。


その実それは、ファミリアであるきくぞうさんが、知己のカーヴ能力の影響を受けていたためであった。

もちろんそんなこと美弥は知るわけもないが。

それでも知己が近くにいるのかと思い、美弥は辺りを見回す。



「お姉さま。どうしたの? 誰かお探しですか?」

「う、うん! たぶん近くに知己がいるはずなのだっ」

「え、知兄ちゃん? どこ? だって今、知兄ちゃんって……っ!」


今はこことは別の場所(せかい)にいる。

なんてことをひとえが言いかけた時。


ドクンッ! と辺りの大気が一瞬で塗り替えられたかのような感覚を、そこにいる誰もが覚えた。



「わわっ。今のっ、なんなのだっ!?」

「……あ」

 

そして。

美弥が挙動不審になる中、藤が呆けたように一点を見つめ、吐息のような呟きを漏らす。

 

それは、美弥の背後……今までなかったはずの控え室の向こう。

 

 


「ほんとに知兄ちゃんいるし……」


さらに同じように、呆れたようなひとえの言葉を受けて、美弥はばっと振り返る。

 


―――そこにはひとえの言う通り、知己が立っていた。




「知己っ!!」

「……おっと」


そして気づけば美弥はその名を呼ぶよりも早く、駆け出していた。

そしてそのまま出会ったらそれが当たり前であるかのように。

美弥は知己の懐に飛び込み、知己はそれを拒むことなくやさしく向かえる。



「ちゃんと美弥が見に来てくれてたの、分かってたぞ。二日ぶりくらいかな?」

「うんっ。よかったのだ、知己が無事で」

「その言葉、そのまま返すよ。たいへんだったろ? 無事でよかった」


美弥は知己の言葉に、泣き笑いのような表情をして頷く。

お互いに今まで何をしていたのか知っていたわけではないが。

それは問題ではないんだろう。

今ここにいる事実を確かめるように、互いを感じるだけだ。



だが、しかし。

知己は美弥の感じるいつもよりも大分短い間隔で、美弥の元を離れた。


「知己? ……あっ」


それをいぶかしげに思った美弥だったが。

藤たちはもちろんのこと、知己の後ろには法久や圭太だけでなく、美弥の知らないバンドのメンバーがいつの間にかいることに気づいてはっとなる。


無論、いつの間にでなはく、初めから彼らはそこにいたのだが。

美弥の目には知己しか映っていなかったわけで。


思わず恐縮してあたふたしかける美弥だったが。

そんな気分もすぐに知己の真剣な表情……言い換えるならプロフェッショナルな瞳にかき消された。

 


「ごめんな、美弥。まだ己たちはやらなくちゃいけないことがあるんだ。ファンのみんなも待ってる」

「知己……」


そしてそう宣言した瞬間。

それでもまだ穏やかさの残っていた知己の瞳がスッと細くなり、美弥をも映さなくなる。


一旦こうなってしまえば、もう何を言っても応えてはくれないだろうことを美弥は知っていた。

それでも無意識に手を伸ばそうとして引っ込めた美弥に知己は気づくこともなく。

藤たちにも一瞥をくれるだけでステージの方へと消えてしまう。



「……」


そしてその後に、張りつめた空気すら纏い、何も語ることなく圭太たちも続いて。


それからしんがりをつとめていた、今やステージの上でしか見ることのできない偶想めいた法久が。

年季の入ったアコースティックギター片手に振り返った。



「さ、みんなも席に戻って。いよいよ本日のクライマックスだ」



気づけば今や陽もスイッチが突然切り替わるかのようなオレンジ色に染まりゆく時分。


法久は、橙の光と照明によるシルエットを形作りながら。

おどけた調子でそう言うのだった……。



             

              (第73話につづく)






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