第73話、一秒前の歌には、もう二度と会えない
―――場面変わって、現実の桜咲中央公園砂浜。
「んあ、あれっ? ここは……」
異世を破った衝撃のせいか、気を失っていたらしいちくまは。
何だかステージの方が騒がしくなった気がして目を覚ました。
顔を上げると、いつの間にか夕方の始まりそうな時間帯であることがよく分かる。
遠巻きからざわめきが聞こえてきて。
すぐ側からは波の音しか聞こえない黄土色の砂浜と、波打つオレンジの海の境目にいると、何だか言葉では言い表せない不思議な気分になってくる。
それはまるで生けとし生けるものの始まりと終わりである場所がここであると思えるような感覚だった。
自分にも生まれた場所はあるのだろうかと、なんだかぼうっとしつつちくまがそのまま視線を彷徨わせていると。
オレンジの海から出でて砂地の黄金に捲かれたような漆黒の何かが視界に入る。
「……って、カナリさんじゃん!」
ちくまと同じく異世を壊したことへのショックからなのか、目の前に倒れ伏していたのはカナリだった。
漆黒色のものはそれまで纏めらられていたカナリの髪で、おそらく解けてしまったのだろう。
なんとなくちくまには打ち捨てられた海藻のように見えなくもなかった。
「カナリさん、大丈夫っ!?」
そう言いつつ駆け寄ってちくまがカナリの肩を揺すると。
心配するよりも早く、すぐに反応が返ってくる。
「んぅ? あれ、わたし……」
寝起きのような呟きだったが、意識はしっかりしているらしく。
カナリは緩慢ながらも起き上がり、辺りをきょろきょろと見回した。
そんなカナリを見たちくまは、自分と同じ行動してると思って自然と笑みをこぼしてしまう。
「……な、何がおかしいのよっ」
すると、それが功を奏したようでカナリは完全に自分を取り戻し、
ちょっと怒ったようにそう言ってばたばたと服やら髪やらについた砂を払い、解けた髪を結び直していた。
「ううん、なんでもないよ。それよりこれで現実に戻ったんだよね? なんか心なしかステージの方が盛り上がり始めてる気がするけど」
「ステージ? っ、もしかして知己さんたちが戻ってきたんじゃない?」
思ったことをそのまま言うのはなぜかはばかられて。
話題を逸らすようにちくまが本題に入ると、案の定カナリはそう叫んだ。
「じゃ、とにかく行ってみようよ」
「ええ、急ぐわよ!」
それならそうと確かめなくてはと二人は頷きあい、ステージに向かって駆けだしていって……。
行きのように飛び降りるわけにもいかず、入り口から再入場すると。
野外ステージの盛り上がりは最高潮に達しているのがすぐに分かった。
流れるメロディの中には先程感じていた、今日一番だと思えるアジールであってアジールでない力も含まれていて。
それはすなわち、今日のライブの目玉であるネセサリーの登場を意味しているんだろう。
ちくまたちは、とりあえず邪魔にならないように自らの席に戻ることにした。
すると、今までどこかに行っていたのか、美弥たちが同じように席に着くのが分かる。
その代わりに、恭子の姿が見えなかったが……。
それを考えるヒマもなく、今まで最高潮だと思っていた場のテンションがさらに加速した。
それは、暮れかけの陽とコントラストをなしたスポットライトを目一杯浴びて……知己たちが現れたからに他ならない。
それまでステージにいたアーティストたちは、自然と波引くように輪をつくり、彼らのスペースを作り出す。
その調和のとれた彼らのステージづくりに、誰もが何かを期待せずにはいられなくなり、そして何かを待つように辺りのざわめきが鎮まり出した頃。
「アンコールありがとう。今日最後の一曲、聞いてください……『僕らの音』」
静かに落ち着く声色なのに、沁み入るように響いてくる。
そんな知己の声が聞こえてきた。
それは本来ならネセサリーが三曲目に歌うはずだった曲であり。
その後に全員でのアンコール曲は別にあったのだが。
今となってはまだ聞いていたいという人はいても、そんな知己の言葉に疑問をもつものはいないだろう。
何故ならば、流れる前奏はラストにふさわしい独特の世界観を醸し出しており、たった一言の言葉であるが故にその言葉にはなんだかやけに説得力があったからだ。
そして。
その歌の世界に引き込むがごとく知己は口を開いて。
震えくるほどの力ある言の葉を紡ぎだしていく……。
鳥の声が、波の音が、今の僕には歌に聴こえる。
落ち葉の雨……テールライトと猫の鳴き声。
耳を傾ければ、その全てが生を歌っている。
会いたい日には、どうやって二人の距離を縮める?
この世に残したい歌や詩を諳んじたり聴いたりして。
少し誤魔化して無理したりもするけど……
君の事を考えるとすぐにに訳が分からなくなって……ただ胸が苦しくなる。
心いっぱいの君は九月の夕暮れに吹き荒れた通り雨。
吹きつけられて、虹を垣間見たら世界は変わる。
リズムやハーモニーが、気づかぬうちにずれてしまっても。
ゆっくりゆっくり音を奏でよう。
ほらまだ、エンドロールも始まってない。
心のままに、信じた音を奏でよう。
正解はないのかもしれないけど。
きっと間違ってはいないはずだから……。
―――それは、今在るすべての事象とすべての想い。
それらがすべて集約されて、高められていくような……歌だった。
時に力強く、時に脆弱で。
ここに在ることの喜びを表現し、ここに在ることへの哀しみを表現する。
愛を想う歌であり、世界を想う歌であり、すべてを歌う歌であった。
だが……どこか完全ではないと、思わずにはいられない何かがその歌にはある。
それはもしかしたら、知己の声色に僅かににじむ哀しみのせいなのかもしれなかったが……。
そんな事を考えている間に。
気づけば曲が終わりのテンポを刻み、知己たちネセサリーは静かに一礼をした。
一瞬の静寂の後、再び起こるはあの大波すら叶わない拍手の波。
その時くしくもちくまやカナリ、そして美弥が思ったのは同じことだった。
この拍手と喝采の中心にいるというのはどんな気分なのだろうか。
あるいは自分自身もその場所へ辿り着きたい……と。
この日のライブは来た人全ての心にどういった形であれ、永遠に住み続けるだろう。
それはもしかしたら、今日と言う日が二度と戻ってこない日であるように。
今日のライブがもう二度と味わえないものであると誰もが感じているからなのかもしれなかった……。
(第74話につづく)
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