第196話、降り積もる綺麗な雪のその下には……


本当の意味で、改めて慎之介と美冬は分かり合い、通じ合って。


しかしそんな浮かれ気分は一瞬だったのだろう。

いや、そもそもこんな時にいくら嬉しいからって気を抜きすぎだったのだ。


赤いヘドロの山のような慎之介の偽物の成れの果て。

その瞳が……まるでろうそくの火が消える寸前に大きく灯るように、それが怪しく燃え盛って。


あっ、て思ってからは一瞬だった。

それの口だろう場所から吐き出される、かまいたちのような鋭いカーブを描いた黄色の刃。


それは、水でできていた。

ざわざわと、空気を斬りさき波打つ。

そのまま、すぐに美冬の目前まで迫ってきて。


どん、と身体に衝撃があったと思ったら、それが視界から消えた。

いや、美冬の方が動いたのだ。

突き飛ばすように手を突き出したした、慎之介によって。



「ぐっ」


水の弾ける音と、慎之介のくぐもった声。


「しんちゃんっ!?」


慌ててそちらに視線を向けると、慎之介が背中を見せる態勢で蹲り、腕を押さえていた。


流れ滴る赤い血。

強い強い視線を感じて美冬が顔を上げると、赤いそいつが笑っていた。

心底嬉しそうな、吐き気を催すようなすごくすごく嫌な笑顔で。

その瞬間、美冬はかっとなって。


「垂氷、氷柱よっ!」


美冬は叫んだ、氷の仲間たちの名を。

それは、呪(まじな)いのことのは。

美冬の思いを受け取って、彼らが猛る。


中空に突如として出現した螺旋の棒条と、三角錘の形を取った舶来杭。

自然で生まれて育つ氷の眷属たち。

この世界では雪女って呼ばれることの多いものたちの心強い味方で。


彼らの矛先の向こうには赤い偽物。

相変わらず笑っている。

まるでとどめを待ってるみたいに。


でも、もう美冬は止まれなかった。

垂氷が、氷柱が次々とそれに襲いかかる。

氷は易々とそれを貫き通し、その場から凍らせひびが入り……ついには粉々に砕け散った。

夕日のオレンジを受けて、きらきらと反射しながら。


後に残るのは冷たい風だけで。

その美しくも儚い光景から目を反らすようにして、美冬は慎之介の方を省みた。




「……はは、すごいっすね。よく考えたら美冬さんの力を見るのってこれが初めてなんすもんねぇ。ただおこたでぬくぬくしてるだけかと思ってたっす」


慎之介のあどけない笑顔。

いつもよりほんのちょっと饒舌な言葉。

左手で押さえた右の肩。

もう、血は止まっていて。

なんて事なかったように見えるのに、じくじくとくすぶる不安がある。



「それはひどいよしんちゃん~。確かに大掃除のときは手伝わなかったけど……」


それは二度目の出会いの頃の思い出で。

……ひどく唐突な気がした。

美冬の中の、不安の種が少し膨らんでいく。



「それよりしんちゃん、大丈夫なのその腕、痛くない?」


そのせいもあって、美冬は思わず駆け寄ってそう聞いていた。

きっと、ずいぶんと情けない顔をしていただろう。



「大丈夫っすよ、ほら。ただのかすり傷っす。もう血も止まってるし」


慎之介は、安心させるようにまた笑って。

あっさりと押さえていた左手を外して見せた。

まじまじ見つめると……確かに、慎之介の言うとおりで。

なんだか焦ってた自分が恥ずかしくなってくる美冬である。



「まぁ、なんかばい菌でも入ってもなんだし、後で消毒でもしとくっすよ。……それより、美冬さんの方がよっぽどひどいじゃないっすか。周りの景色とあいまって滅茶苦茶寒そうって言うか、目に毒……って言うよりは眼福?」

「あぅ、そう言えばすっかり忘れてたよ」


それこそ大したことはなかったのだが。

全身水浸しの濡れ鼠で、折角の一張羅……真っ白の服が台無しになってしまっていた。


「……いや、そこはもっと恥じらいを持ってくださいっす」

「そこはスルーしてよ。しんちゃんになら見られたって別にいいけど」


もちろんスケスケに透けていて。

そんなこと言いつつもお互い赤くなっていたのは間違いなくて。



「……」

「……」


沈黙。

でも今度ばかりは嫌な沈黙ではなく。

いつの間にかさっきまであった不安もどこかに消えていた。



「とりあえずここから出るっすよ。王神さんや哲、一応勇のやつにもこれ以上迷惑かけるわけにはいかないっすし。……まあ、怒られる前にまず着替えっすけど」

「あ、うん」


あれだけ拒んでいたはずだったのに……気付けば美冬はそう頷いていて。


そんな美冬の心の変わりようの本当の意味を。


その時の美冬は、まだ気がついていないのだった……。



            (第197話につづく)







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