第197話、赤いうさぎ、やさしい過去に触れる



それは突然のことだった。

それまで阿海真澄を前にして、ツカサはどれだけ自分が鳥海春恵という人物が憎いのかを自慢するみたいに話していたのに。

まるでビデオの停止画面みたいにいきなりツカサがしゃべるのをやめたのだ。


「……?」


いい加減話を聞いているのもきつくなってきていたから、話が終わるぶんには真澄にとって願ったり叶ったりではあったのだが。



「ツカサ?」


思わず真澄は目を見張る。

ツカサは音もなく泣いていた。

大きな大きな黒目から流れる涙は止めどなく。



「春恵…………そうか、死んだのか」


あまりの有り様に思わず近づいた真澄の前で、吐き出すようにそう呟くツカサ。



「……え?」


真澄は、ツカサが言っていることがすぐには分からなかった。

でも、それが徐々に理解に及ぶうち、大波のような感情が真澄を襲った。



「な……なんでっ! だ、誰が!?」


真澄は叫ぶ。

どうしてそれをツカサは知り得たのか、いったい外でなにが起こっているのかと。


しかし。


「あははっ。……あははははははっ!!」


ツカサはもう真澄を見ていなかった。

その瞳には、もう何も映っていないのかのようで。

狂気の黒色と絶望の涙色が混ざり合って、ぐるぐると渦を巻いていた。



「ほんとに死んだよっ……いかれてる……復讐のつもりかっ……そうすれば、そうすれば僕が苦しむとでも、言うことを聞くとでも思ったのかよぉ! ええっ!答えろっ、答えろよっ!!」


激昂、悔恨、絶えた願い。

ごっ、と長い鼻っ柱から地面に叩きつけるように顔を埋めると、絶叫するような鳴き声をあげる。


とても見ていられるものじゃなかった。

だけど……この場にこうして居合わせた以上、見届けなければいけない気がして。



「なんでっ……なんでだ! いつもっ、自分勝手で!僕の言うことなんか聞いてくれない! 僕の気持ちも知らずにっ、ぐぅぅぅっ」

「ツカサ、きみは……」


悲痛なツカサの叫びに、真澄は悟った。

見届けなければならない理由。

ツカサは真澄と似ているのだ。


愛しい人の最も赦されない裏切り。

取り戻せない別れに嘆くその姿が、真澄の今までとこれからを暗示しているような気がして。


だとするなら、ツカサはいったい誰なのだろう?

春恵の、何なのだろう?


ツカサの今までの言動には、必要以上の。

お互いの深い所まで理解しようとしているからこその不満や怒りがそこにあって。

そこから考えればもう、ほとんど答えは出ている気がしたが。



「……えっ?」


その事を真澄が聞こうとしたその時だった。


ツカサが沈んでいる。

ゆっくりと、でも確実に。


まるでツカサのいるその場所が深い沼の上であるかのように。

絶望の涙の塊になって、地面に染み込んでいくみたいに。




「くうぅん……」


それは、悲しげな鳴き声だった。

さっきまでのツカサとは違う、最初に会ったツカサの声。


「あ……」


思わず伸ばした手は、まるで霞をつかむように手応えがなくすり抜けて。

そのまま、真澄はなにもできずに。

ツカサはどこかも分からない赤絨毯の下へと沈んでいってしまった。


残るのは恐ろしいほどの静寂。

そのまま何が起こるでもなく、真澄はただ一人取り残される。

色々な事が起こりすぎて時間の経過が分からなくなるほどで……。




「戻らなきゃ、リアのところに」


やがて真澄は、自分に言い聞かせるようにそう呟いた。

それが、今ここにいる真澄の役目なのだと。

それはきっと真澄のためでもあり、ツカサのためになるのだと。

そんな気がしていて……。






今まで真澄たちがいたのは、広い広い地下室だったらしい。

窓はなく、陰鬱とした闇が遠いところまで続いている。

そこで真澄は、ツカサに喰らわれる事でここに来たことを思い出し、何となく天井を見上げたが。


真澄の落ちてきた穴などは確認できなかった。

その変わりに、結構な高さの所に大きなシャンデリアが見える。

もちろん、明かりはついていない。

それは、等間隔のスペースでいくつもぶら下がっていて。

床の絨毯もあいまって、大人数を呼べそうな夜会場のように見えた。


ふっと浮かぶイメージ。

いとしいひとと手を取り合ってダンスを踊る自分の姿。

それは、当たり前のようにドレス姿で。

ずっと否定してきたはずの少女の姿で。



「……とにかく、出口を探さなきゃ」


そんな、既に叶うことのない願望を無理矢理払って気を取り直すと。

真澄は歩き出す。

闇に紛れてかすかに見える、石煉瓦の壁側に向かって。



「ん……?」


と、しばらく歩いたところで。

人の気配を感じた気がして真澄は振り返った。

しかし、そこには誰もいない。



「おかしいな、今確かに……っ」


誰かの視線を感じた気がしたのだが。

そう言いかけて再び向き直り、真澄は思わずたたらを踏んだ。



いつの間にかすぐ目の前に、目指していた灰色の石壁があって。

そのすぐ脇に、上へと続く先の見えない螺旋の階段があった。



「何で気がつかなかったのかな……」


それはさっきまで視界には入ってなかったはずで。

ちょっとした違和感。

だけどすぐに思い出す、この場所が……ツカサの異世であると言う事を。

となれば、ろくに考えもせずに歩いた先にこうして階段があった以上、それには必ず意味があるはずで。



「上がれ、ってことなんだろうな、きっと」


真澄は自分の言葉に頷き、近くに他の道がないことを確認すると、さっそく登り始める。


ここに来る前……つまりこの階段を上がった先にあるだろう場所は。

リアが雅と千夏って呼んでいた二人の女性がいた、屋敷の玄関ホールのような場所のはずで。

思い出せる限りでは、近くに階段などなかったはずなのだが。



「あれ……ここどこだろう?」


辿り着いたのは薄明かりの差し込む知らない部屋だった。

さっきまでいた場所と比べるとずいぶん狭く、尚且つ生活感にあふれた部屋。


階段出口の両脇からぐるりと部屋を囲むように書棚があり、ちょうど正面に暮れ始めたオレンジの陽を通す白いレースのカーテンがついた窓が見える。


中央には背の低い来客用らしきソファとテーブルの一式。

その前には大きなデスク。

出口らしきドアはその相対にあった。



「誰かの書斎、かな」


そう、たとえばこの屋敷の主か使うにふさわしい、そんな部屋だ。

すぐにリアのとこにといった気持ちももちろんあったのだが。


もしかしたらツカサのことで何か分かることがあるかもしれないと。

真澄は、このとき既に、ツカサこそがこの屋敷の主なんじゃないかってそう考えていたから、その考えを決定づける何かがないものかとデスクの方へと回り込む。



「これは……」


すると、真澄より背の高い大きな黒皮のデスクチェアの後ろが、ガラスのショーケースになっている事が分かった。


そこには、振り子時計やらトロフィーやら様々なものがあったのだが。

真っ先に目に入ったのは写真立てだった。



家族写真、なのだろう。

壇上で生徒に語りかけていたときとは比べものにならないくらいの、幸せそうな春恵理事長の笑顔。


今よりももっと幼く見える無邪気な笑顔のリア。

そんなリアに抱きつかれて、優しげな微笑みを浮かべているのは、リアの姉だろうか。

リアや春恵と同じブルーベリィの瞳がそう思わせて。


そして。

そんな三人を影ながら守るように、やんちゃでお茶目といった言葉が似合いそうな男が後ろに立っていた。


緩いウェーブのかかった栗色の髪が、リアの姉らしき子とよく似ていて。

この人が、リアの父なのだと、すぐに分かった。


この人が、春恵の夫で。

この屋敷の主で。

恐らく、ツカサの中にいた人なのだと。

そう、たった今真澄は確信する。


ツカサは……確かに二人いた。

最初に会った、しゃべらないツカサと。

リアの事、春恵の事を多く語っていたツカサだ。

あるいは、本物のツカサの中に、ツカサではない誰かがいたのかもしれない。


そういうカーヴ能力があると聞いてはいたから、そんな真澄の考えはそれほど外れてはいないはずで。


真澄はその確信を確実なものにしたい衝動に駆られた。

何かないだろうかと、デスクの引き出しを開けて回る。


そこに望むようなものはなかったが。

代わりに真澄の目に留まったのは、年季の入った小さなアルバムだった。

表紙をめくると、一枚目には写真立てのものと同じ写真があって。


ただ一つ違うのは、枠外に。


『僕のたからもの! まゆ、12才、めぐ、10才、ハルさん、ひみつだってさ』


なんて書き込みがあったことだ。

恐らく、この男が書いたものだろう。


「めぐ……恵ちゃんかな」


書かれた年齢で判断するに、それがおそらく、リアの本当の名前なのだろう。


(リアは自分のことをリアって呼んでたけど……)


思えばそれは、ここの学生たちやカーヴ能力者の間で噂話として蔓延している通り名にすぎないはずで。


どうしてリアは自分のことをそう呼ぶのだろう?

何か意味があるのだろうか?

一度気になりだしたら答えがどうしても知りたくなって。


消えてしまったツカサ。

目の前に映るリアの父かもしれない存在。

そうと決まった訳じゃないのに、その時既に真澄の中にはそれしか答えがなかった。


「ツカサはそのことも知ってるのかな……」


語りかけるように、写真の中で笑顔を浮かべる男に向かって呟く。

その人の笑顔は、顔こそ似ても似つかないのに、『彼』に似ている気がした。


いつも余裕があって。

包み込むような穏やかさとユニークさが混在している笑顔。

今はもう、見ることのできない笑顔。



「もう取り戻せないのかな?」


だからこそ、嘘みたいにまぶしくて、泣きそうになる。

無意識にそれを手で拭おうとして、背中に感じる人のいる気配。



「……っ?」


なのに、やはり先程と同じようにそこには誰もいなくて。

代わりに、さっきまできつく閉ざされていたはずの部屋の扉が半開きになっていた。


もしかしたら、そこに誰かいたのかもしれない。

真澄は意を決し部屋を出ることにする。



部屋を出たその先は、すぐ外に歩いて出ていける吹き抜けの通路になっていた。

細かい意匠の施された白い柱がいくつも並ぶその向こうに、手入れの行き届いた庭園と夕空が見えたが。

雰囲気のあるいい場所だ、なんて考えていられたのは一瞬だった。



「リアっ!?」


リアが倒れている。

長い廊下のその先に、突っ伏すようにして。


一気に血の気が引いた。

血の気が引くのは、身体が命の危険に対応するためだと言うが。


それはもう二度と見たくない光景だったから。

死んでも見たくない光景だったから、間違ってはいなかったのだろう。


真澄は転びそうになりながらもリアの元へと駆け寄った。

一瞬だけ、また何もできなかったらどうしよう、なんて気持ちになったが。


抱きかかえる手のひらには確かにリアの生きているあたたかい感触があって。

顔を近づけたらちゃんと呼吸もしていた。

どこかに怪我をしている様子もない。

どうやら、気を失ってるだけらしい。



「ふう……脅かさないでよ、リア」


真澄は取り敢えず安堵のため息を吐き、そう呟いた。

そして、どうしてこんなところでリアが倒れていたのかを考えつつ、もう一度辺りを見回した。



「……うーん。特に何かあるようには見えない、か」


それとも、リアは何か持病でも持ってたりするのか。


「うぅ、力ないなぁ僕って」


真澄は、そのままリアを背負い、まずはリアの部屋に戻ることにしたのだった。

体格があまり変わらないのも災いして……ずいぶんと情けなくはあったけれど。



            (第198話につづく)






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