第182話、氷の異世から、紅の異世へ、逃避行はつづく



気付けば先程とあべこべであった。

今度は長池慎之介が夏井美冬から逃げている。


いや、美冬からというのは少し語弊があるのかもしれない。

とにかく慎之介は混乱していて、ここが美冬の作り出した異世であって、いくら逃げたって意味のない事にも気付いていなかった。


美冬にはその事が、当然分かっていたわけだが。

二人がこうして離れることの危険性については、二人して気付いてなかった。



慎之介がそれに気付かされたのは。

突如として地面から生えた赤い手に、捕まれ引きずり込まれた、その瞬間だった。




「うわっ!?」


不意な事に混乱していたせいもあったが、慎之介は為すすべもなく。

いきなりふっと引っ張る力がなくなったかと思ったら、すぐに落下する感覚があって。

さらに尻を思い切り堅いんだか柔らかいんだかよく分からない地面に打ちつける衝撃に襲われる。



「いってぇ……っ!」


思わず声を上げた慎之介であったが。

それは目の前に広がる身に覚えのある気配と景色にかき消された。

視界を一杯に塞ぐのは、赤い異形。

ひとのかたちをした、ひとではないもの。



慎之介がセン……ちくまを送り届け、一人で帰るその途中に襲いかかってきた、慎之介にとっては因縁の相手であった。


魔久班(チーム)を壊滅させる要因となったもの。

もしあの時、慎之介が知己たちに心配かけないくらいの強さを持っていたなら。

知己たちは迷わず魔久班(チーム)を救援に向かっていたはずで。

彼らが壊滅に至る事はなかったかもしれない。


それは結果論だから慎之介が気にする必要はないと王神も言っていたが。

自身に責任があるといったん思ってしまったから、それをなかったことにすることなどできるはずもなく。

今度会った時には、勝手ながらけじめをつけてやるって、そう決めていて。


だが。

そこには最初に遭遇した数の倍はくだらない異形がそこにいた。

しかも、彼らその時と比べて、明らかに様相が変わっていた。


前の時は、数が多くてもなんとかなるだろうといった程度だったが。

今目の前にいる異形の一体一体が侮れないことがその佇まいで判断できる。

それだけでも充分のっぴきらない状況なわけだが。




「……ふむ。一人で行動することの危険さは前回で諭したつもりだったがな。どうも学習能力がないようだな? 長池慎之介君?」


そんな赤い異形が畏れ敬うかのごとく囲むその中心に、一人の男がいた。


「な、何者っすか!」


聞かなくても、異形たちを操る能力者本人であることは分かりきっていたが。

あの時一度だって姿を現さなかった大本が目の前にいるのが信じられなくて、思わず慎之介はそう口にしてしまう。



「初めましてじゃあないが……お初にお目にかかる。東寺尾柳一(ひがしてらお・りゅういち)だ」



そんな信じられない気持ちすら見透かしたかのように。

その男はなんの躊躇もなく名乗りを上げる。


当然その名は知っていた。

初めてこの赤い異形に遭遇した時、法久がその赤い異形を操る能力者の名前をそう呼んだからだ。


だけど、慎之介は今こうして対面するまで、その名を騙る偽物がいるのだと、そう思いこんでいた。



「あなたがあの柳一さんだなんて……ウソっすよね?」


まさか本当に本物だったなんて。

慎之介はただ呆然とつぶやく。



「ほぉ? 生きてる頃のオレの存在を知っててくれるとは、長池くんは玄人好みだな」


慎之介のリアクションを見て、なんだか嬉しそうな口笛を吹くその男を、慎之介は確かに知っていた。

ギターを手に取り、その道を歩く人間ならば知らぬものはいない、ギタリストの四天王に数えられる伝説の男。

その筆頭に上げられる法久や榛原会長よりもずっと、慎之介自身が密かに目標にしていた人物だった。


いつかは会って話してみたいって、そう思っていたが。

あの黒い太陽が落ちた日に、帰らぬ人となったはずで。

それは叶わぬ願いだと思っていたのに。

皮肉にも、柳一はそこに間違いなく存在していて。



「ウソっすよ、こんなの……」


慎之介は柳一さんから目を背けるように、もう一度呟く。


「目の前の事実から目を背けるのは感心しないな。青木島くんも言っていただろう? 故人が『パーフェクト・クライム』の力によって蘇ったのがSクラスだと。……いや、そこまでは言ってなかったかな?」


少し呆れたような柳一の言葉。

確かに、法久は言っていた。

この赤い異形を使役する能力者は故人であると。


そんなことは分かっている。

だから慎之介はそんな柳一に首を振った。



「違う、そうじゃないっす! なんでっ、なんで柳一さんともあろう人が『パーフェクト・クライム』の仲間なんすかっ! ……そんなの、そんなの何かの間違いっすよ!」


そして叫んだ。

死んでしまったことより、その事実の方がよっぽど悲しかったから。



「ははははっ!」


すると、柳一は場違いな笑い声を辺りに響かせた。

そこに、苛烈な感情が含まれている気がして、慎之介は思わず息をのむ。



「オレともあろう人がときたもんだ。……一体長池くんにオレの何が分かると言うんだ? 勝手なイメージを押し付けられるのは心外だよ」


馬鹿にするような柳一の言葉。

だけどそれすらも本当は虚実のような気がしていて。



「きっと、何か事情があるんすよね? 『パーフェクト・クライム』に脅されたとか」


慎之介は追いすがるように、そんなことを言う。

すると、柳一の笑みがぱっと消えた。

続いて、場の空気が一気に重くなる。

そこにいる異形達から一斉に敵意を向けられたかのような、そんな感覚を受ける。



「見ていて見込みのありそうな奴だと思ってたが……どうやら見込み違いだったようだな。そう思うのなら、このまま消えてくれな? 俺のためにさ」


そして柳一がそう言い終わるや否や、爆発的に膨れ上がる、真っ赤なアジール。

一斉に襲いかかってくる異形たち。



「くっ。【瀑布連砲】っ!」


慎之介はまとまらない精神状態のままに、自分の能力を発動させる。

突如として生まれた水の連なりが、錐状に隊列を組んで慎之介に迫ってくる異形たちを迎え撃つ。


その時の慎之介のイメージは、先頭の一体に一撃を加えてそのままドミノ倒しのように隊列を崩す手筈であったが。


そう思い通りにうまくいくはずもなく。

集中力が足りなかったのかなんなのか、直線を描いて延びていく水の一撃は、それでも狙い違わず異形のどてっ腹に命中して……ただそれだけだった。

まるで何もなかったかのように、そのまま突っ込んでくる。



「【逆命掌芥】セカンド! 『ステュードレン』っ!」

「なっ?」


分かってはいたはずだが。

間髪置かずに発せられる、柳一の力ある言葉。

今更自覚する、憧れの遇想とも言うべき人物と戦っているという事実。


気づけば異形たち全員が、その手に燃え盛る火球を手にしていて。

それがなんなのか理解するその前に、数十をこえる火球が、寸分の狂いもないタイミングで、慎之介に襲いかかってきた。



「くっ!」


とっさに、無詠唱カーヴによって作り出した水の盾を展開するが。

かろうじてできたのはそのくらいで。


集まってきた火球が全て慎之介の胸元目掛けて殺到し、互いがぶつかり合い一瞬五感が奪われるほどの大爆発が起こり、慎之介の紙より薄い水の盾をあっさり無に帰し……そのまま慎之介は爆発の勢いに押されて激しく吹っ飛ばされた。



「ぐ、おおっ」


熱に全身を焼かれる感覚に身悶えながらも、無意識の防衛本能の賜物なのか、それなりに戦いを経験してるが故か、自らの力で身体を冷やし、慎之介は痛みをこらえてすぐさま起きあがる。


そして、今の爆発と自身の水の盾によって生じた霞に紛れ、慎之介はその場から逃げ出す。

理由は単純だった。


この状態で勝ち目がないのは目に見えている。

かといって異世の壁を破れるほど、慎之介の能力は強くない。


だから、慎之介がいなくなったことを察して駆けつけてくれるだろう美冬がやってくるまでの時間稼ぎをしようって、そう思ったわけだが。



今更ながら気付かされる、能力者との戦いに美冬を巻き込んだことなど一度もなかったという事実。

異世を作り出していたり、氷の眷族、なんて自慢していたからなのか、無意識のうちに頼りにしていたが。


彼女は戦う術を持っているのだろうか?

自身の浅慮な行動のせいで、危険な目にあっているかもしれない。

一刻も早く美冬さんのところに戻らなくちゃいけない。


そう思ったら、自然と慎之介の足は速くなった。



慎之介の力では一度衝撃を加えたくらいじゃ異世の壁は破れないかもしれないが。

諦めの悪い事だけが取り柄だと、強く思っていて……。




            (183話につづく)





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