第181話、忸怩たるラストシーンから始まるものは……



その時、フラッシュバックしてきたのは。

くだらないこともそうでないことも、たくさん話した、怜亜が初めて『ママ』と呼ぶことを決めた、ワンシーンだった。



―――『怜亜ちゃんがうらやましいわ。私はあなたのように、恋することに慣れることができなかったから』



それは一見、ダーリン……王神に対して暴走しがちな怜亜をたしなめるような、そんな言葉で。

実際その時、怜亜はそう思っていたわけだが。



それはそう言う意味なんかじゃなくて。

昔呼んだ天使の出てくるおとぎ話にあるように。

人に幸せを……あるいは恋路を成就させるのが使命である天使は、自分自身のこととなると、てんで駄目なんだってことに気づかされる。


『ママ』は、怜亜に対して本気で羨ましいって思っていたのだ。

人を好きになること。

慣れないなりに全力でぶつかって、大好きな人を射止めて。

愛し合って結婚して。子供もいて。


怜亜より断然先輩なはずなのに。

その気持ちが思うように表現できなくて。

慣れなくても……全力だったのに、それをうまく伝えることができなくて。

自分が悔しかったのかもしれない。


だから『ママ』は。

羨ましいってそう言ったのだ。



そう思うことに、根拠なんていらない。

じゃなきゃこんな所に閉じこめられてひどい仕打ちにあってるのにも関わらず。

その張本人に向かって。

その人が来てくれたと信じて。

『ありがとう』なんて感謝の言葉が出るわけなんてないのだから。



その感謝の言葉は。

来てくれた事への喜びだけじゃなくて。



『ママ』がしたくてもできなかったこと。



―――『お前が犠牲になればいいだろう?』



残酷な言葉。

だけど、『ママ』自身は。

そう思ってなかったのかもしれない。


『ママ』がそれをできなかった理由は。

その背中にある闇……『パーフェクト・クライム』のかけらがあったからで。

『ママ』がそうしなかったのは、封じ込めていた『パーフェクト・クライム』が解き放たれて、多くの人に被害が及ぶ事がわかってたからで。


それは、『ママ』が最も嫌うことだから。

随分、その矛盾に苦しんだのだろう。



だけど。

今、この場所ならば。

苦痛伴うほどに戒めの強い異世の中でならば。

少なくとも、『ママ』がやりたかったことができる。

自らの身を持って世界を救うことができるって……そう思ったのかもしれない。



だからママは、感謝の言葉を。

ここに閉じ込め、残酷な言葉を吐いてもなお、大好きな人に残そうとしたのだろう。


その人がここに来てくれると……ただ信じて。





そのことに、気付いた瞬間。


かっ、と身体と心が熱くなって。

永遠の眠りにもにた自己の忘却から、怜亜は強引に飛び出した。



―――殺せ殺せ殺せ殺せ殺せっ!



それを自覚したとたんに聞こえてくるのは。

呪詛にも似た『パーフェクト・クライム』の訴え。



「うるさいっ!」


どこか……苦しみ、焦り、恐怖を感じるからこそ。

断ち切るように怜亜は叫んだ。


ちゃんと分かっている。

呼吸する事と同じくらい人を滅することを当たり前だと思っていた『パーフェクト・クライム』が、それでも人に触れるうちに、そのことに戸惑いの気持ちを持つようになってきていることを。


呼吸をしなければ死んでしまうことが分かっていても、自分のやっていることに躊躇っていることを。


だから……自分達がいるのだと、怜亜は強く思う。

『パーフェクト・クライム』が滅すべき敵だと考えてしまっている時点で、この世界は救えないのだと、声高く叫ぶために。


それは、あの黒の太陽が落ちた事件の時に、『ママ』だって痛いくらいに感じてるはずなのだ。

大切な人を失った、その敵に対する憎しみよりも、きっと強く。


怜亜がそう思ったからなのか、

それほどまでに、この世界の戒めが強かったからなのかどうかは分からない。


気付けば呪詛めいたその言葉も消えていて。

辺りを漂う黒よりも黒い闇が、薄らいでいくのが分かった。




「ママっ」


理由なんてどうだっていいと。

怜亜は叫び、自由になった体で『ママ』に駆け寄る。


「ママっ、しっかりしてっ!」


怜亜は『ママ』の血で自分が赤く染まるのもかまわず『ママ』をそっと抱きあげた。


ぞっとするほどに冷たい。

背中の怪我は、たぶん『ママ』自身がちぎったのだろう。


考えたくもないひどい怪我だが、氷ように冷え切っていてなお息のあるこの状況を見ていると、『ママ』がこんな風になったのは、そのことが直接原因じゃない気がした。

でなければ、目や……おそらくは耳すら聞こえなくなっている説明がつかないからだ。



「……っ」


ふと、『ママ』は聞き取れない言葉で何かを呟き、身じろぎした。

見ると、『ママ』は手に、手紙のようなものを持っていた。


血まみれのそれを見て、一瞬迷う。

自分が見てしまっていいのかって、そう思ったからだ。



だけど。

『ママ』は信じている。

信じようとしている。

こうしてやってきたのが、大切な人だと、どこまでも純粋に。


それを受け取らなければ、『ママ』は気付いてしまうかもしれない。

『ママ』が信じていたその人はそこにはいないってことを。


それは、この世でもっとも無慈悲な絶望で。

たとえふりでも、怜亜は『ママ』にそんな思いをさせたくなかったから。

そっと、身を絞られる思いでそれを受け取った。



受け取りつつも、逆に怜亜はこうも思っていた。

果たして『ママ』が信じてるように、その『ママ』の大切な人はここへやってくるのだろうかと。


怜亜だって、『ママ』のことを考えれば信じたいが。

もう、来るまでずっと待ってられるほど、『ママ』に時間が残されていないのは明らかだったから。


怜亜は決めた。

『ママ』が伝えたかったことを、自分がその人にちゃんと伝えてあげようと。

意を決し、血塗れの便せんを取り出すと。

そこには一通の手紙があった。


どうやら、その大切な人に託すものが入っていたらしい。

怜亜は、ソレをおもむろに取りだし、そこに書かれている内容に目を通して。




「……」


そこには、『ママ』の精一杯な気持ちが溢れていた。

不器用だけどまっすぐで、『ママ』の見た目の雰囲気とは全く違う、幼いともとれるくらいのピュアな気持ちが。


怜亜は後悔した。

やはり、自分が読むべきものじゃなかったって。

受け取ってそのまま読まずに渡すことも考えたが。


焦点の合わない瞳で、『ママ』は怜亜を見ている。

ここで読まずにしまっていたら、怜亜を大切な人だと信じようとしている『ママ』を傷つけてしまうような気がしたから。


それはできなかった。

『ママ』に起ころうとしていることを知りたいと言う内心の打算も確かにあって。


そんな怜亜が言える事ではなかったが。

『ママ』が大切な人のために綴ったその想いは、やっぱりその人しか知るべきじゃなかったのだろう。

だから怜亜はそれを胸にしまっておくことにする。

なんと言われようとも『ママ』の想いを受け取る権利は、その人にしかないのだからと。


ただ。

どうしてこんなことになったのかも、なんで『ママ』が自分にこんなことをしたのかも、そこにはちゃんと書かれていた。


『ママ』は自分の命を、時の扉を開くための捧げものにしたのだ。

生けるものの魂。

それと引き替えに、時の扉は開く。

開いた扉から、『ママ』の娘……恵は世界を救う旅に出る。



『そう思うなら、お前の命を犠牲にすればいい』


その言葉はやはり、『ママ』にとっては残酷でも何でもなくて。

純然な事実だったんだろう。

何疑うこともなく、ただその言葉を受け入れた結果が、今ここにあるのだから。


よく見ると、『ママ』は怜亜には理解できないほどに複雑な、魔法陣のようなものの上にいた。

それはまさしく生贄のようで。

『ママ』が、時の扉の鍵となるための儀式の完了を意味していて。

もはやとっくの間に手遅れであることに、怜亜は気が狂いそうになる。



……思えば『ママ』は。

怜亜に離れるように言った時から、こうすることを考えていたのかもしれない。




「自分勝手すぎるよ、ママっ」


怜亜は無意識のままに呟く。

この結果が、『ママ』の予定通りなのだとしたら、誤算だったのは怜亜がここにいて、大切な人が今ここにいないこと、なのだろう。



それはひどく、哀しすぎて。

衝撃が強すぎて機能が停止していた涙腺が、再び決壊する感触。



と……。

そんな怜亜の前で、『ママ』は急に苦しみだした。



「ママっ? どうしたのっ」


それが、本当に痛そうだったから、思わず抱える腕に力が入って。


「っ!?」


まるで砂のように、触れていた『ママ』の右肩が崩れて、怜亜は言葉を失う。

自分のしてしまったことに、ただただ慄くことしかできない。



かと言ってその手を離すわけにもいかず。

そのまま固まっていると。




「ね……っ……る……てっ……」


苦しみの中、『ママ』が必死に何かを訴えていた。

怜亜は慌ててちゃんと聞こうと顔を近づける。


キスするくらい、近い距離。

本当はここにいるはずだった人しか、許されない距離。


そこで怜亜は。

自分の心ががらがらと崩れていくような、壊れていくのが分かるような。


そんな言葉を聞いた。



―――最期のお願い。


―――今すぐ私を楽にして欲しい。


―――どうせ朽ちるのならあなたの手で。



ぐるぐる、ぐるぐると、言葉の羅列だけが、頭の中をかけめぐる。

理解なんてできない。

理解なんてしたくもない。


だけど。

それを拒否することはできない。


拒否すれば。

信じていたものがそこにないことを認めてしまえば。

そこに残るのは絶望だけなんだから。


『ママ』が絶望の縁の中で死んでいくなんて絶対あってはいけないと、怜亜は思った。

たとえそれが『パーフェクト・クライム』の言った通りになったとしても。

それだけは止めなくてはと思っていた。




「【魔性楽器】フォースっ、『コージィ・ギルト』……」



怜亜は、安らかなる餞の歌を奏でる。


あまりにも怖くて。

一度も使ったことのない葬送曲を。

ただ、大切な人の安らかな眠りを願って。



ぼうっと、魂が燃える。

青とピンクの混ざり合った……春の色した魂が。



気付けばそこには『ママ』の姿はなくて。

変わりにあるのは、鍵のついた七色の翼のアクセサリー。

怜亜はかき抱くようにそれを拾い、血にまみれた手紙と一緒に懐にしまった。





「……ママの想い全部、あたしが叶えてあげるからね」



ふと口についてでた言葉にはもう悲しみはなく。


怜亜はもう……壊れてしまっていたのかもしれない。




「本当はね、ママにたのみたいことがあったんだ」



まるで隣にいるみたいな気安い感じで怜亜は言葉を紡ぎながら……その部屋を出る。



「あのね、あたしとママが戦うの。それでね、死闘の末にママが勝って、命を助けてもらったわるもののあたしは、改心するんだ」


端から見ればおかしくなってるって、そう思われても仕方がなかったと思う。


「それでね、あたしはダーリンと仲間になるの。昨日の敵は今日の友っていうでしょう?……すっご~くベタだけどね」


でも、それこそが今の怜亜にとって必要なことで。

『ママ』の想いを叶えるための強い強い決意として。

彼女の、もう叶わない夢を捨てる作業だったのだろう。




だから……。


螺旋階段を登りきったその先に。


とてもとても怖い顔をしたダーリン……王神がいても。



怜亜は笑うことができたのだろう。


自分の運命を嘆く……たった一粒だけこぼれた涙を糧にして。




             (182話につづく)






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