第180話、レアな彼女と、リンクするバッドエンド
勇と別れてからすぐに。
再び怜亜の元におっさん……柳一から電話がかかってきた。
柳一によると。
今この信更安庭学園には、不自然な異世は二つほどあるらしく(異世なんてもともと不自然なものだと思うが)、一つは学園中央にある広場の近くで、もう一つは『赤い月』の地下、とのことで。
怜亜は、『赤い月』の方に向かってほしいって、そう言われたわけだが。
「俺より怜亜が向かうほうがいいだろう」
なんて、何でもお見通しかのようにかっこつけで言われただけならともかく。
「辛い役目ばかりさせて、すまんな」
終いにはそんな捨て台詞を残して、電話を切ったものだからたまらない。
正直、なんなのよ! と憤るしかない怜亜である。
そう思うなら何が辛いのかくらい説明して欲しいといったところだが。
恐らく柳一は自分の力で何かを視たのだろう。
結局怜亜がそれを問いたださなかったのは。
柳一が話さなくても、『辛いこと』に予想がついていたからなのだろう。
それは、怜亜の考えうる、最悪の想像。
体中に溢れるいらいらは、本当は柳一のせいなんかじゃなくて。
そんな最悪なコトを想像してしまっている、自分自身に対してで。
叫び出したい気分なのは。
この場所に帰ってきたときから既に、言い測れない予感があったからで。
さっきまでの勇とのやりとりが嘘だったみたいに、怜亜は走り出す。
『赤い月』に向かって。
それは、もっと早くに気付くべきこと、だったのだ。
『ママ』……鳥海理事長が怜亜にパームのとこに帰るように言ったのはどうしてか。
裏切り者だと思われないように?
そんなわけがないのだ。
放っておかれていたようで、怜亜の行動は彼らに筒抜けだったのだから。
怜亜の行動は、最初からパームの予定の範疇のものだったのだから。
裏切り者の罪を裁かれる、なんてことはもちろんなくて。
『ママ』が怜亜を帰した理由は、別にあったのだと考えるのが妥当で。
恐らく勇達のような、他の『ママ』の子供たちも。
怜亜と同じように『ママ』から離れることを仕向けられていたはずで。
考えるだけで吐き気がした。
どうしてそのことに、気付けなかったんだろうと。
遠くで、戦いの旋律が聞こえてくる。
でも、怜亜はそれに耳を傾けている余裕はなく。
転がるような勢いで、『赤い月』と呼ばれる珍しいつくりの塔みたいな建物の中に入ってゆく。
当然のように人の姿がないことにも気付かなくて。
ただひたすらに言われた場所目指して螺旋階段をくだってゆく。
目的の場所は、すぐにわかった。
だってそこは、これでもかってくらいに厳重に封じられた場所だったから。
まず目に入ったのは、鈍重な鉄格子。
その先にある広まった場所は、竜脈と呼ばれるカーヴ能力を制限する力が強く設定されている場所なのだろう。
大量のお札のようなものや、結界めいたものが無造作に混在していた。
そしてその向こうには銀行の金庫とかで使っていそうな、巨大な円形の鉄扉が見える。
怜亜はそれに、計り得ない悪意と嫌悪を感じた。
その先に『ママ』がいるのなら。
ここに『ママ』を閉じ込めたのが『ママ』の夫にあたる人だというのなら。
ここまでの悪意を、どうして持てるのだろうかって。
愛と憎しみは裏表の紙一重だと言うが。
もしそうならば、今怜亜が感じているこの嫌悪は、同族嫌悪なのかもしれなかった。
意味合いは逆だが、そこには確かに相手のことを強く感じられる想いがあって。
『ママ』をここへ閉じこめた人物は、どこか自分に似ている部分があるんじゃないか……なんて怜亜は思っていた。
何故なら怜亜だって、どうしてここまで『ダーリン』が好きなのかと聞かれても、きっと答えられないからだ。
だが、似ている事と今の事態は別問題で。
「【魔性楽器】ファーストっ、『ギリィ・ベリアス』っ!!」
怜亜は自身のカーヴ能力を解き放つ。
左耳にあったイヤリング型のギターが光り、原型の姿になって……爪弾いたその一音が、破壊を具現化する。
狂った思いの旋律に乗った音は。
目前の鉄格子を、結界を、円形の鉄扉を襲いすりつぶす。
跡には、怜亜が進むための道だけがある。
能力を制限するための結界なんて、歯牙にもかけない圧倒的な力。
何故ならこの力は、反則だから。
もともと今みたいなことができるシロモノを、ウェポンカーヴとして無理矢理に使ってるだけだからだ。
なんでも、ウェポンカーヴの元になったと言う、天使が使ってた遺物らしい。
その突拍子もないことは、もらったばかりの頃は話半分以下で信じてなかったが。
今は元々の持ち主だった『ママ』がいるから、当たり前のことになっていて。
「ママ……」
小さな子供がそうするように、怜亜は呟く。
蛇行するように抉られていた道にも構わず駆け出した。
呟いたら、ますます居ても立ってもいられなくなったからだ。
……そして。
ぽっかり空いた鉄扉の先に足を踏み入れた瞬間。
怜亜は二つの感覚を受ける。
一つは、通り道にあった結界とは比べものにならないくらい強い、異世。
カーヴの力を封じようとする磁場だった。
恐らく、先程のものは念のため設置されていたものだったのだろう。
【魔性楽器】の方はさほど影響受けてないみたいだったが、怜亜自身には覿面にその効果を及ぼしていた。
まるで体内に流れる血液を支配されてしまったかのように、芯から体が動かなかった。
だけどそれは、想定の範囲内のことでもあって。
それより何より怜亜を戦慄させたのは……もう一つの方の感覚だった。
それは、薄暗いこの場所の黒をより深めるかのような漂う闇の気配で。
馴染み深ささえ覚えるそれは、それこそ怜亜の身体じゅうに流れる血液みたいなものと同じもので。
(なんで? なんで『パーフェクト・クライム』の気配があるのっ?)
そう漏らしつつも、その理由を怜亜は気づいていた。
怜亜は『ママ』から、そのことを聞かされていたからだ。
『ママ』が最初に封じた『パーフェクト・クライム』。
それが、何らかの理由で溢れだしてしまったのだと。
異世に入ってすぐの所には『ママ』の姿はなかった。
怜亜は自問自答しながら、先ほどまでとは打って変わって、剥き出しのコンクリートの壁しかない狭い通路を進む。
『パーフェクト・クライム』の気配は、その狭い通路の突き当たり、左に折れた道の先にあった。
怜亜は、目的の場所がすぐ先であることを実感し、一つ息を吐いてその角を曲がっていって。
「……ぁ」
そのまま怜亜は立ち尽くす。
自身の心が、闇色に染まっていくのを感じながら。
最初に感じたのは血の匂い。
次に視界に入ってきたのは黒い羽。
力任せに引きちぎられ、飛び散って。
闇色の血だまりの中……その色に同化しながら、くるくると回っている。
そして。
怜亜の脳が最後に認識したのは。
できるのなら知りたくなかった。
できるのなら見たくなかった。
倒れ伏して動かない、『ママ』の姿。
考えていた最悪の結果がそこにあって。
だけど、目の前の光景に心が追いつかなくて。
まるで、こうなることが予め定められていたかのように、近寄りがたく侵しがたい天使の末路。
怜亜は動けない。
「……っ」
だが。
微かに聞こえた『ママ』の息遣いに、怜亜はその呪縛から解放される。
「ママっ!」
怜亜は悲鳴のような声を上げ、『ママ』に駆け寄った。
まだ、生きてる。
まだ、助かる。
そう思い、それだけを思い、怜亜は自身の能力を発動するために自分のアジールを強めた。
だから……怜亜はその瞬間。
周りにたゆたう闇のことを失念していた。
そんな余裕なんてなかったって、言った方がいいかもしれない。
闇は、絶好の獲物を見つけたかのように、あるいは旧知のともだちに久しぶりに再会でもしたかのように。
怜亜を襲い、怜亜の身体の中に入り込んでくる。
「くぅっ」
とたんに、常日頃感じていた、怜亜を乗っ取り、我がものにしようとする『パーフェクト・クライム』の意思みたいなものが、膨れ上がった。
それが、苦痛を伴うものだったのなら、抵抗もしやすかったのかもしれない。
だけどその感覚はどこまでも甘美だった。
それはそうだろう。
この闇を受け入れることは、失くしていた半身を取り戻すようなものなのだから。
怜亜は、抵抗らしい抵抗もできずに、その感覚に身を委ねてしまう。
彼女の意識が彼女のものでないものに取って代わろうとした、その瞬間。
『ママ』が、怜亜に気付いた。
「……れて…………ぁ……りが……」
怜亜に何かを必死に伝えようとしている。
……初めはそう思っていたが。
その言葉を聞くうちに、それが怜亜に向けられたものではなかったことに気付かされる。
何故なら、ピンク色とも紫色ともつかないその瞳は、怜亜のことをとらえて認識してはいなかったから。
なら、『ママ』は誰に向かって言葉を向けようとしているのか。
いったい誰に向かって、嬉しそうな……感謝の気持ちすら滲むような、この状況には場違いな言葉を、いまわの際のその状況で口にしているのか。
それはたぶんきっと。
『ママ』が一番好きな人、に違いなくて。
その時ふと、フラッシュバックしてきたのは。
くだらないこともそうでないことも、たくさん話した。
怜亜が初めて『ママ』と呼ぶことを決めた、そのワンシーンで……。
(第181話につづく)
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