第二十四章、『AKASHA~Last Sun~』
第179話、面影に怯えながら、流れ黄昏れ、揺れて
それは、現実の信更安庭学園と似て非なる異世。
目の前にあるのは、圧倒的な数の暴力を以って迫ってくる、血のような赤黒い人影たち。
さながら亡者のようなそれは、勇と哲に向かってじわり、じわりと近づいてくる。
二人を自らの糧にするつもりなのだろうか。
それとも、自分たちの仲間にしようと企んでいるのだろうか。
その、顔のないうつろな赤の固まりからは、真意を読みとることはできなかったが。
と。
それの一体が、兄である勇に迫り来る。
その隣にいた弟の哲は、しかしそれを見ても、普段の兄を気遣う心配症なところを微塵も見せようとはしなかった。
ただ、目の前の敵から視線を外さずにいた。
それは、哲が勇のことを信じているからだ。
あるいはこの舞台において、自分たちと目の前の血の色をした異形たちと比べて、
どちらの役者が上なのか、この戦いの主人公がどちらなのかということを、ゆるぎない自信をとともにお互いに理解していたから、とも言えて。
響く斬撃とともに中空を染める血しぶき。
いや、それは血ではなく赤い異形の肉片と言っても良かったのかもしれない。
勇に不用意に近づいたそれは、勇のタイトルもフレーズもない無詠唱カーヴ……その手に瞬時にして出現した、赤光跳ね返す円月刀(シミター)の一刀により、大気の塵と化していた。
その刀は、手に持つ勇の背丈に届くほどの長さと、斬馬のごとき分厚さをもっていた。
死神の鎌に遜色ない曲線を描く、ただただ圧倒的な力で敵を屠るためだけに創られた、『ウェポン』に類するカーヴ能力。
戦いにおいて、攻撃する事に特化した性格を持つ、勇らしい能力と言えて。
「一掃する! 防御は任せたっ」
勇は叫び、そのまま敵陣の真ん中へと飛び込んでいく。
その重量感のある獲物をものともしない身軽さこそ、彼をゆるぎない一流のカーヴ能力者に押し上げた要因の一つ、なのだろう。
「いきますっ、【紅月錬房】ファーストっ! ダイヤ・イシュト!!」
勇の言葉に、哲は自らの能力を発動することによって応えた。
【紅月錬房】は、AA(ダブルエー)のネイティアに類する能力で。
【土】のフォームを有している。
数秒間ではあるが、対象をダイヤのごとき何をも受け付けない硬度を誇る不可視の障壁で包み、相手の攻撃を防ぐというものが、ファーストの力で。
「破っ!」
勇は無敵の障壁が、見えないまでも自分を包み込んだのが分かったのだろう。
息を吐き、攻撃のみに精神を集中させ、顔が完全に映り込むほどの広い刃を、風のような……重さを感じさせない動きで一閃した。
目前にいた数体が胴から真っ二つにされ、くずおれるのを皮切りに、遠心力を加えた横なぎの二撃目が、大地に突き立てられて衝撃波を伴った三撃目が、間を置かず繰り出されていく。
気付けばその場にいた大半の赤い異形が、塵と化していた。
その数秒後に哲の障壁は消え、それを身体で理解している勇は、再び異形たちとの間合いを取って。
そこまでで、時間にすれば十秒にも満たなかっただろう。
早業、とはまさにこのことなのだろう。
哲の障壁など必要のないくらいに、その動きは洗練されていて。
しかも、勇は未だにタイトルもフレーズも口にしていないのだ。
それは、彼自身の一見の印象とは異なる慎重さによるところもあったわけだが。
その戦い方は、格の違いを見せようとする姿勢の表れ、だったのだろう。
最も、勇がそうしてゆるぎない自信を持って戦えるのは、哲の補佐あって故、なわけだが。
「この調子で片づけるぞっ」
勇は叫び、哲を促す。
それは、後方にいて勇の攻撃範囲から外れていたものたちが、二人の方へ近づいてくるのが分かったのもあるのだろうが。
よくよく見るとすべての赤い異形たちが同じ行動をしているわけではないことに気付かされた。
まるで何かを捜し求めて彷徨い歩いているような、そんな雰囲気で。
勇たち以外に敵のファミリアが捜し求めるとしたら、それは一体何なのか。
もしかしたら、この敵が創り出した異世に、二人以外のものが紛れ込んでいる可能性もあって。
それが、信頼の置ける仲間の王神や長池であるならば、勇はきっと彼らに任せておけばいい、なんて言うのだろうが。
例えばここからはそう遠くないところに見える、『赤い月』の中にいる人たちまでこの世界に取り込まれているとしたら?
その危惧を、勇は感じ取っていたに違いなくて。
哲は、勇の言葉に頷き、再び能力を発動した。
「【紅月錬房】ファーストっ! ダイヤ・イシュト!!」
十五秒にも満たない無敵時間。
単純な戦闘においては、長いくらいの時間だが、好き勝手に歩き回る異形たちを掃討するには短すぎる時間だったかもしれない。
勇はきっと、防御より先に攻撃優先だと、哲の能力が切れても構わず突っ込んでいく算段だったのだろう。
しかし。
それが、相手を甘く見ていたのだと気付かされたのは。
勇が上段に構えた円月刀を重力に任せて降り下ろしたその瞬間だった。
ずぶり、と切り裂く音立てて刀が赤い異形の体にめり込んだと思ったら、その傷口から生まれたかのごとき数条の青白い鎌鼬が、勇を襲ったのだ。
「なっ?」
「……っ!」
二人はほぼ同時に声を上げていた。
勇は、相手の突然の反撃に対する驚きに。
哲は、自身を襲う衝撃に見覚えがあった事への驚きに。
「兄さん!」
「ああ、平気だ。まさかこんな隠し玉を持っているやつがいるとはね。すべての個体が同じではないということか」
哲が呼ぶと、能力のおかげで傷一つ負わなかった勇は素早く敵から間合いを取り、それに答える。
僅かに悔しさのようなものを滲ませているのは、防御をないがしろにしようとしたツケを、よりにもよって敵に教えられた形になったからなのだろう。
「お前は平気か?」
と、勇は気持ちを切り替えるようにして、哲にそう問いかけてくる。
それは、ちゃんと説明したこともないのに、哲の能力がどんなものか分かっていたからなのだろう。
哲のファーストの力は、まさに盾のようなもので。
その盾を支えているのは哲自身なので、その攻撃を直接受けることはなくても、その衝撃は確かに伝わってくるわけで。
「うん、僕も大したことはないです。ただ……」
「ただ?」
「今の攻撃、受けてみてわかったんですけど、兄さんの斬撃と似ていたんです。……もしかしたら、彼らは、一度受けた攻撃を学習できるのかもしれません」
たいしたことはないと、はっきりアピールしつつも、今起こった事への自分なりの見解を述べてみる哲。
すると、勇はふむ、と相づちを打って。
「なるほど。学習能力を持つファミリアか。うかつに能力を発動すれば、それすら記憶されてしまう可能性があるわけだ。……なかなかどうして、厄介な相手だね」
あくまで予想の見解である哲の言葉を、何疑い迷うことなく信じ、言葉を続ける。
「何か対策はあるかい? これも怪我の功名って言っていいのか分からないけど、そのぶんだとやつらの能力がどんなものか分かったんだろう?」
勇が確信を持ってそう言うのは、当然のように哲のもう一つの能力に全幅の信頼を置いていたからで。
―――【紅月錬房】セカンド、ダイヤ・キュート。
それは、法久の力によく似た、相手の能力を識る能力で。
盾であるファーストによって攻撃を受けることで、自動的に相手の情報が哲の頭の中に入ってくるらしい。
おそらく、法久のスキャンデータにもそう記されているはずだが。
……本当はそうではないことを、知っているのは哲と法久だけだった。
昔、法久は自身の能力についてこう語っていた。
『スキャンステータス』で表示される情報は、その本人の自覚に基づき、尚且つ希望に準ずるものなのだと。
とかく、曖昧でうつろいやすいものなのだと。
「はい、能力は、概ね今話した通りです。それによって導き出される戦法はひとつ。このまま同じ戦いかたを続けるんです。反撃は返ってくると思いますが、全て僕が防ぎますから」
哲は勇の言葉に頷き、そう答える。
自身の能力が勇の考えるものとは大きく異なることなど、些末なことだと言わんばかりに。
「分かった。ボクの防御は哲に任せる。その代わりに、ボクの側を離れるなよ」
それは、二人の弱点であった。
哲が、自分に自分の能力をかけられないという。
「……はい、兄さん」
ほんの微かに、複雑そうな顔をして哲は頷く。
それは、その事すらも虚偽であるのにも関わらず、ただ甘受している自分の愚かさのせいで。
「あとは奴らの目的だが……」
だけどそうやって頓着せずに話題を変えてくれるから、ついつい調子に乗ってしまうのかもしれなかった。
いつ来るとも分からない終わりを……肌で感じながら。
「目的は、おそらく手駒の確保、あるいは活動のための活力の維持だと思います」
哲は、そう言って視線で『赤い月』の方を見やる。
「……よし、それじゃあ計画の変更だ。とりあえず慎之介の方は後回しだな。奴らを蹴散らしながら『赤い月』に向かおう」
そんな勇の言葉に哲は頷いて。
二人は駆け出したのだった。
その先になにが待っているのか、その時にはまだ知る由もなく……。
(第180話につづく)
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