第178話、だから大きな声で、何度も名前を呼んで
そして……。
ちくまは、その場所に辿り着く。
この場所で一番青空に近い場所。
カナリのいる、屋上へと。
勢いよく扉を開ける。
するとすぐに、風になびくカナリの長い黒髪が目に入った。
カナリは、やってきたちくまに気付いていないのか、ただ背中を向けて青空を仰いでいる。
その姿は、今にも空に溶けて消えてしまうかのようだった。
事実、彼女の輪郭がぼやけているかのように、ちくまには見えた。
「カナリさん!」
「……」
ちくまは叫ぶ。
しかし、カナリは振り返りもせず、返事もしなかった。
聞こえていないわけじゃないだろう。
その細く華奢な肩がわずかに震えていたから。
もしかしたら……自分が人でない存在であることを知って、顔をあわせることすら、畏れているのかもしれない。
その時ちくまは、そう思っていて。
厳密に言えばそんなちくまの思いは正しい、とは言えなかったのだが。
「だいじょうぶだよ! 僕、カナリさんが最初からファミリアさんだって、分かってたから! 何も変わらないよ。僕には最初から、カナリさんはカナリさんだから。みんなだってきっとそうだよ。だからだいじょうぶ、何も怖いことなんてないから!」
「……っ」
正直に思った通りに、ちくまはそう口にすると、カナリが息をのむのが分かった。
大丈夫、話を聞いてくれているのは間違いない。
後は、こんなとこでくさくさしてるのなんてカナリらしくないって、背中を押すだけだって、ちくまは考えていた。
「……」
「……」
自身のことを口にするまでの、覚悟のための一瞬の間。
弥生たちの前では言えずにいたこと。
だけどカナリになら、言える気がする。
その時ちくまは、その理由が分からなかったが、確かにそう思っていて……。
「そうさ、何も怖いことなんてないって。だって、僕だって人間じゃないもん!」
「……え?」
カナリがこの世界へ留まってくれるのなら、なに恥じることなどないと。
その思いだけで、ちくまは叫んだ。
すると、言うほど時間は経ってない気がするのに、何だか久しぶりなカナリの驚愕の混じった呟きとともに、いまだ消えることのない、強い魂の棲む……赤みがかったカナリの瞳が、ちくまを捉えた。
カナリと言う少女の存在を証明するその炎が、変わらずに燃え盛っていることにちくまは安堵を覚える。
「自分もファミリアだって……そう言いたいの?」
ちょっと怒ったような、投げやりともとれる、カナリのそんな言葉。
だが、それと同時に、そこにはちくまの言葉が信じられないのか、不安と不信もあるようだった。
自分をそれで納得させるために、嘘をついているんじゃないのかって。
「ううん……たぶん違うと思うよ。僕はね、未来から来たんだ。この世界の歴史が一度閉じてから、ずぅっとずぅっと後のね。僕はその世界を守ってる、『ひと』とは違う、ファミリアによく似た存在……僕たちは自分たちのことを『根源魔精霊』って呼んでるけど……その子供なんだ。たくさんいるお父さんお母さんたちは、僕のことを『始祖』って呼ぶけど。少なくとも人間じゃないかな。やっぱり、どっちかっていうとファミリアさんたちに似てると思う。もしかしたら、子孫かも」
自身の言葉が嘘ではないと証明するにはどうすればいいだろう?
ちくまにはただ正直に語ることしか、術がなかった。
他に方法が思いつかなかったから、必死で自分のことを話す。
カナリほどではないけれど、この世界にやってきた最初は、忘れていた自分のことを。
ちくまは知らない。
『始祖』と言う存在が、この世界の根底を覆しかねないほどの、強大な存在であることを。
自分が『始祖』であることを宣言することが、どれほど危険であることかを。
だが、そんなことはちくまにとって知らなくてもかまわない、どうでもいいことだった。
ただ、自分が嘘をついているわけではないことを、カナリに知ってもらいたかっただけなのだ。
「本当の話なの、それは? あんたが人間じゃなくて……しかも未来からきた、なんて。まぁ、あまりに突拍子がなさすぎて、嘘にしてはばかばかしすぎるけど」
「ばかはひどいよ~。本当なんだってば」
不安や不信が和らいだその代わりに、とても胡散臭そうな顔をしてそんな事を呟くカナリ。
こっちは真面目に話してるんだけどなって、ちょっと半泣きでそう抗議すると、しかしカナリは興味を持ってくれたらしく、
「……でも、『始祖』ってどこかで聞いたことあるような気がするわね。まぁ、とりあえずちくまの言ってることは正しいと仮定しましょう。その、未来人で『始祖』なちくまは、なんでこの世界に来たのかしら? しかも、わざわざ人間のふりをして」
そんな事を聞いてくる。
「……え? いや、人間のふりしてたわけじゃないよ? 僕も、最初は自分が誰だか知らなかったもん」
「じゃあ、どうしてそのこと、黙ってたのよ」
「聞かれなかったから……って言うのもあると思うけど、たぶん、怖かったから、かな。カナリさんも、そう思ったんでしょ。だから、逃げちゃったんでしょ?」
「それは……って、逃げたって何よ! わたしはそんなんじゃ……ないわ、よ?」
もう既に、いつもと変わらぬやり取りになってきていることも気付かず、二人の会話は続く。
ちくまに逃げた、とはっきり言われて反論しそうになって、でも図星でもあるからそれもできなくて。
何だか言い負かされてるような気がして、カナリは気を取り直してきっと顔をあげ、さらに言葉を続ける。
「わ、わたしのことは今はいいのよっ。そう、それじゃ、ちくまは何しにこの世界に来たの? 忘れたとか、知らないとかはなしだからね!」
それは逆に、ちくまがここに存在している理由、といってもよかったのかもしれない。
『始祖』は、再生の象徴だ。
ちくまは、本能でそれをわかっていた。
「ええとね、たぶん、この世界を救いに、じゃないかなぁ?」
「なによ、ちくまのくせにずいぶん大それたというか、曖昧じゃない。何? それじゃあなたは、そのためにこの世界に送られた、とでもいいたいわけ? あなた一人で、世界を救うなんてこと、できるの? その方法、知ってるってこと?」
カナリのその問いは、そのまま自分に返ってくるものだったけど。
自分が使命を全うせずともそんな方法があるのなら、という希望もそこにあって。
「うーんと、あのね。僕をこの世界に送ってくれた人は、ここでの体験を……帰ってきたらそのことをちゃんと報告してほしいって」
「答えになってないわよ。それに、その送ってくれた人って誰よ?」
なのに、考え考え口にしたちくまの言葉は、カナリの意に沿うものではなかった。
落胆が現れたのか、自然と憮然とした口調になる。
「ピカピカ光るひと? うん、ジョイがそう呼んでたよ。僕、ほんとの名前はまだ思い出せてないんだ。ごめんね」
「……」
だが、その後に続いたちくまの言葉に、カナリは聞き覚えがあった。
ちくまの言う通り、自分たちが……ジョイが、この世界を救うための使命を追わされたきっかけの人物だった。
今まで神出鬼没で正体不明だった、その存在。
しかし、その人物は言うに事欠いてちくまの同郷、だという。
不意に繋がる、ひとつの線。
これで少なくとも、ちくまは嘘を言ってないことはほぼ間違いない、ということになるわけだが。
線がつながったことによって、一つ気づいたことがカナリにはあった。
「今、帰るって言ったわよね? ……ちくま、その方法、知ってるの?」
どんな顔かたちをしていたかを下手なジェスチャーで必死に説明しようとしていたちくまを制し、カナリは問う。
「えーっと、たしかー。ときのふねとかいうアイテムを探すんだって」
(やっぱり、か……)
頭を叩いて記憶を引っ張り出す仕草をして、ちくまは呟く。
それを聞いたカナリは、深い深い……溜息を吐く。
なんとなく、予想していたことではあるのだ。
線が一つになるということは、自分たちの目的と、ちくまの帰る方法が同じであるということは。
いずれはその世界に帰ってしまうと。
ちくまはそう宣言したに等しいのに。
カナリはそれを、淋しいとも、悲しいとも、痛いと思うよりも。
『答え』が出た、と言う事実のほうが大きくて。
「探すんだってって、人事みたいに。あんた、それがどういうもので、どこにあるのかとか、どうやって使うのかとか、分かってるの?」
「あぅ……ごめん。何にもわかんない。ほ、ほら、『喜望』のお仕事で、そんなヒマなかったでしょ?」
まるで、宿題を忘れた子供のように、そんな言い訳して誤魔化し笑いを浮かべるちくま。
「しょうがないわね。わたしもいっしょに探してあげるわよ」
「ほ、ほんと!? っていうか、カナリさんもう逃げないの?」
「に、にげっ……逃げてなんかいないっていってるでしょ! ちょっと休憩したかっただけよ! そ、それより、あんたなんでここが分かったのよ。立ち入り禁止でしょうにっ」
「あ、うん、よく言うじゃん。なんとかは高いところが好き?って」
「……それはさっきのお返しのつもり? わたしがばかだって言いたいわけ?」
「ふがっ、いひゃいよっ、くぅあなりしゃん~」
気付けば。いつものように。
カナリはちくまの両頬をつねりあげていた。
されるがままのちくまの瞳。
それでも優しい、アメジストの輝きが滲む。
いや、滲んだのはちくまの瞳ではなく、カナリ自身の視界だったのだろう。
その優しい光を見てしまったからかどうかは分からない。
いつものように。
そうしてたつもりだったのに。
不意に来る、つんとした衝動。
カナリはそれに耐えられそうもなくて。
「かっ、カナリさん?」
そんな表情が見えないように。
泣き顔なんか見せないように。
カナリは、ちくまの胸に顔を埋めていた。
「あんた、いい加減さんづけするの、やめたらどうなの?」
こもった声で、そのまま心に届くように、カナリは呟く。
「え? いや、そうじゃなくてっ? なんでいきなり抱きつくの!」
ちくまはただ、困惑しておろおろしていたから。
「やめてくれたら、離してあげるわよ」
言葉尻だけはせめて、悪戯なものになるように心がけて、カナリはそう呟くのだった。
「うぅ~。なんかとても入っていけない雰囲気なんですけど~」
一連のやり取り全てを聞いていた人物が扉の向こうにいることなど、気付くはずもなく……。
(179話につづく)
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