第227話、ありえないはずの組み合わせで、ど付き合い
―――金箱病院、地上。
反則的な加速度で元々は病室の天井だった瓦礫が吹き飛ぶ。
現れたのは、漆黒の暗闇の中でより輝きを増した金糸の波。
身の毛のよだつ妖気と、静かな怒りを湛えた笑顔を浮かべる、人智を越えたちいさき少女。
数十の太陽に焼かれ、破壊尽くされた瓦礫に埋もれてなお傷一つつけられない。
少女……小柴見美里の美しさは陰る気配すらなかった。
「誰に頼まれたの? こんなことしたって美里は倒せないのに」
深緑の双宝が違えることなく立ち尽くす黒の翼持ちし天使を射抜く。
そのまっすぐで、感情を隠そうともしない美里の瞳に射すくめられ、幸永は知らず知らずのうちに笑みをこぼしていた。
いきなりの不意打ち。
怒りや驚きは当然のことだったのだろうが。
それより何よりも。
そこには確かに幸永自身を心配している気持ちが含まれていた。
「……叶わないな、まったく」
そしてそれは、彼女に対しての恐怖にも繋がってくる。
何の目的も使命も果たせずに終わってしまう。
そんな自分を幸永に連想させるからだ。
「こうみん、こんな悪いことする子じゃないよね? 戦った美里には分かるもん。……誰に頼まれたの?」
再び同じ言葉を繰り返す美里。
「別に誰かに頼まれたからってやってるわけじゃない。元々人の指図を大人しく受けるようなタマじゃないしな。ぜんぶ先輩の買いかぶりだよ。オレは元々こういうヤツなんだ」
自然と饒舌になる幸永。
だがそれは……真実のすべてではないとしても、嘘ではないことは確かだった。
聡い小さな少女はそれに気づいたのだろう。
悲しそうな、残念そうな表情を浮かべる。
「一体、何が目的なの?」
「初めに会った時も言っただろう? オレは先輩と戦うためにここにいる。人ならざるものの先輩のあんたと、本気で戦うために」
それは、乾きにも似た願望。
世界の枠から外れたもの同士の救心と言ってもよかった。
「だったら! こんなことしなくても方法はいくらだってあるはずでしょう?」
美里は叫ぶ、修羅を宿しなお曇りなき瞳を向けて。
だからこそ彼女は外れた力を持ちながらも善なのだろう。
お互いが救える道があると、そのための力が自分にはあると疑っていないのだ。
でも、それでも。
幸永は首を横に振る。
「ないよ、少なくともオレには。……オレにはもうこの道しか残されていないんだ」
これは結果論でもあるが。
彼女の本気を引き出し、尚且つそんな彼女と戦いうる力を幸永が手にするためには、この方法しかなかったのだ。
魂に打ち込まれた楔を無理矢理抜き出し、相入れぬ敵として立ちはだかる以外には。
たがしかし、まだ美里にとって幸永は全霊を持って滅すべき敵ではないのだろう。
認識を改めさせなくてはいけない。
そんな余裕めいた言葉など口にできないくらいには。
だから幸永は美里の言葉を否定し手を上げる。
そこに生まれるは、二重の意味でまがい物の太陽。
それに習うように……10体の羅刹紅がそれぞれの無骨な手のひらに同じ光を生み出す。
「こうみん……そっか」
呟くように聞こえたのは、悲しみの混じった納得の言葉。
美里はそれだけで理解したのだ。
闇色に燃え盛る幸永の命の炎。
それが、今まさに消える寸前の蝋燭のであることを。
その底知れない力の代償が幸永自身の命であることを。
ならば、美里の為すべき事は一つだった。
幸永のその力の求めに、全力で応えること。
そのためには、彼女の憂いを早急に取り去る必要があった。
「ただのデクってわけじゃなさそうだけど……」
そして、そこで初めて美里は病室を襲撃したものたち……
氷の鎧を纏い、紅の臓をその透き通る身中に潜めし異形達に視線を向ける。
まるで、今初めて気づいたとでも言いたげに。
「……悪いけど邪魔だから」
美里にしては珍しく、それはにべもない言葉だった。
美里たちのいた病室を襲撃したのも。
囲むように小さき太陽を掲げるファミリアたちも。
幸永の意志によるものでないことに、美里は確信があった。
幸永の真の願いを叶えるためには不要なもの。
美里は確かに怒っていたのだ。
それが相手の目論見であると分かっていても。
その感情を止めることはできそうになかった。
幸永の真摯な願いをを陰で利用しようとしている輩が……とにかく許せなかったのだ。
瞬間、ついそまでなかったはずの黄金の弓矢から光跡がつま弾かれる。
そこに当たり前にあったかのようにその存在を主張するのは、たとえるならば、天から落つる瀑布。
あるいは、戦いの士気を昴める銅鑼。
音速を凌駕し、衝撃波引き連れた光の矢は、10本。
違えることなく標的目指して中(あた)り行く。
それを避けたものはいなかった。
着弾し大気が悲鳴を上げ、それにより発生した蒸気がのたうち回る。
たちまち、視界を覆うのはけぶる白。
包み込まんとする煙とともに迫りくるは、濃密な殺気。
「……はっ!」
美里は、それに臆することなく敢えて向かっていく。
そして、踏み出しの足と同時に、地面からえぐるようにしてしなる弓を振り上げる。
「っ!」
ぶつかり合う弓と鉄笛。
衝撃に耐えるように、美里と同じように息を吐く幸永。
お互いの得物の強度はほぼ互角らしい。
そうなってくると、互いの力、技術の差が初撃の勝敗を分ける。
撃ち合いの均衡を自ら力を抜くことで解消した美里は。
勢い余って倒れ込むように向かってくる幸永に追い打ちをかけるように弓を凪ぐ。
まるで力入っていないように見えるそれはいとも容易く幸永を弾き体勢を崩す。
美里はそこからさらに幸永の懐に入り込み、目視できない手さばきで一本の矢を投じた。
目標は足元。
ミサイルか、はたまた隕石か。
大地は一瞬にして削り取られ、惰性で中空に弾かれる幸永。
しかし、同じくして直撃を受けたはずの美里は抉られた地面に立っていた。
大地踏みしめ、さらなる追撃に体勢を低くして。
幸永、美里ともに砂塵と白煙に紛れ霞んでゆく。
だが、美里は幸永の気配をはっきりと捕らえていた。
美里は溜めた力を解放するかのように大地を強く蹴って飛び上がる。
金糸纏い宙舞うそれは、天目指す飛翔。
美里はその状態で器用に体勢を変え、矢をつがえる。
放たれた矢は一本。
しかしそれは黙視できるほどの凶悪な具風を纏った一本だった。
それは、幸永にではなく……美里の目に最初に入った羅刹紅めがけ飛んでゆく。
それに気づいた羅刹紅の一体はそれまで手のひらにかざしていた炎球を消し去り、赤く歪曲した刀で受け止めようとする。
拮抗する力と力。
摩擦により発生する紫電。
結果として、その風の一撃を羅刹紅が受け止めきった形になったが。
それを受けてしまった時点で勝敗は決していた。
目視できる刃のその周り。
包み込むように圧迫する不可視の風がある。
ぎしりと軋む音立てて大地に縫い止められる羅刹紅。
「まずは一人っ!」
美里は声高く宣言し、降り注ぐ光矢と同じ勢いで急降下する。
それは美里の自信に裏打ちされた絶対予告。
降下しながら繰り出される連矢……その数五つ。
一本の線となって繰り出されたそれは、数珠つなぎのダーツのように羅刹紅の胸に打ち込まれた。
矢は氷の鎧を貫き、羅刹紅の核となる赤い身体をも貫いて。
寸分違わず、勢いのついた美里の弓がとどめを刺す。
怒濤の連撃を受けた羅刹紅は声もなく、亀裂さえ作らずに粉砕されてしまった。
能力により白煙と化している幸永は尽きることのない驚愕に息をのむ。
カーヴ能力をその身に受け、学習してそれに対しての対処法を構築すると言われる羅刹紅がまるで歯が立っていなかった。
幸永はそれに違和感を覚えたけれど。
幸永にとっての本当の戦慄はこれからだった。
敵を倒し、勝利の余韻に浸るはずのその瞬間。
そんな僅かな隙を狙ったはずの羅刹紅四体による挟撃。
殺到する四つの凶刃。
だが、それらは空を切り、互いに互いを打ち合っただけだった。
当然のように、今までそこにいたはずの美里の姿はない。
否、美里は天を仰ぐようにして彼らの足下にいた。
矢放つ音とは思えない射撃。
花火打つように上空に放たれた光跡は、せめぎ合う羅刹紅を舐めるようにして天高く昇ってゆく。
「流星っ!」
そして、美里がそう叫ぶことが合図だったかのように。
はぜるような音がして光は膨張、破裂する。
たちまち地上に降り注ぐは矢の雨……まさしく流星だった。
慈悲も容赦もない星の爆撃。
残っていた羅刹紅のうち2体がその餌食と化し溶け消える。
「これで三人っ!」
「……っ!?」
それに幸永が気を取られ上空に目をやったのは僅かの時間だった。
それなのにも関わらず、耳元で囁かれるかのような美里の声が聞こえる。
振り上げられる美里の右手。
その手に持つは本来の使用目的とは逸脱しているはずの弓。
それをまともに受ければ最後、柘榴になる自分自身が容易に想像できて。
「……ぐっ」
幸永は触れられぬ身である事も忘れて剣にも盾にも心ともない……しかし何度もその身守った鉄笛でそれを受け止める。
鉄笛と弓。有り得ないはずの組み合わせでの鍔迫り合い。
「くそっ、最初にオレだけ攻撃しなかったのもブラフかよっ!」
拮抗どころか一分持つかも分からないせめぎ合いの中、強がりを含んだ幸永の呟きが漏れる。
「……すごいねこうみん、煙に変身できるんだ」
笑顔で感心する美里。
どこがと叫びたい幸永だったがそれは言葉にならない。
ただ、自分の戦闘経験の浅さと、圧倒的な強さを持ちながらも、狡猾な美里に舌を巻いていた。
初撃で美里は幸永を攻撃しなかった。
幸永はそれを、美里がまだ自分を滅すべきものと認めていないが故の行動だと勘違いしていた。
だが結局のところ、自分がなにに喧嘩を売っていたのか失念していたのは幸永らしい。
その油断を縫うような怒濤。
結果、ただ自分の能力、その一つの正体を曝してしまったのだ。
―――【過度適合】セカンド、エレメンタルマーチ。
この世を構成すると言われる、12の属性(フォーム)に自分自身……あるいは身体の一部を融合、変容する力。
その正体が知れた所でそうそう破れるものでもなかったのだが。
もう美里には通用しないかもしれない。
その時幸永は、そんな強迫観念にとらわれていた。
美里にのまれた、といってもよかったのかもしれない。
「……っそお!」
だが、精神的に追いつめられたことが、その場を打開する結果を呼び込むことになる。
(第228話につづく)
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