第228話、なんだかんだいって悪役にはむいてない


「……っ!?」


突然雰囲気……いや、幸永と美里の間にある空気の質が変わった。

美里は半ば本能的に幸永から離れ、間合いを取る。


幸永とこうして相対して身の危険や恐怖を感じたことは一度や二度じゃない。

それは美里にとってそれは願ってもないもので、生きるための極上のスパイスのはずだった。


それなのに。

美里はその瞬間、初めて幸永に対しほんものの恐怖を覚えた。

それが、未だ幸永がひた隠しにしている最後のカーヴ能力によるものなのか、天使としての力なのかは分からない。


ただ、そんな恐怖を上塗りする感情が美里にあるのも事実だった。

それは好奇心だろうか。

美里には、その泣きたくなるくらい感情を高ぶらせるものの正体が分からなかった。




それまで優位だったのに、突然引いた美里。

幸永はそこでようやく我に返り……自分がほとんど無意識下に残された最後の力を使役しようとしていたことに気づいた。

きっと美里は、その特別とも言えるアジールの危険さを肌で感じ、身を引いたのだろう。


馬鹿正直に能力を受けてくれるはずはないことくらい分かってはいたけれど。

自分自身には使命を達成できる可能性がまだ残されているということを理解し、先ほどまでの恐慌が和らぎかえって冷静になれていることを幸永は自覚して。


それが功を奏したのか、あるいはますますの恐慌を呼び込むかどうかは分からなかったけれど。

幸永はある一つの事実に気づかされた。



「どうして先輩は本気……いや、能力を使わないんだ?」


それを口にしたからと言って別に今の事態が好転するとも思えなかったが。

気づけば幸永はそんな言葉を口にしていた。



「……っ」


はっとなって息をのむ美里。

それが釣りではないとは言い切れなかったけれど。

幸永はそこに攻略の糸口があるような気がしていた。



「えっと……使ってるよ、いちおう?」


疑問系の美里の言葉。

心なしか動揺しているように見えるのは気のせいじゃないのだろう。

確かに、あの怒濤の攻撃が美里本人の元々の資質も含め、カーヴ能力に依るもので間違いはないんだろう。


しかし、幸永の言っているのはそれらのことではない。

タイトルとフレーズ。

それらを力ある言葉で口にして生まれる、能力者の真骨頂とも言うべき力のことだ。


幸永は、これまでの戦いでタイトルを口にした美里を見たことはなかった。

ただ……あれだけの攻撃を受けて無傷なところを見ると、幸永のセカンドの力がそうであるように遅効時限式(予めタイトルを口にしておき、好きなときに発動する……ただし、通常のものより力は落ちる)の能力者なのかもしれないし、これを言ったら身も蓋もないが、それ以前にカーヴ能力者の範疇から外れてしまっている可能性もある。


つまりは、口にする幸永の言葉は、お粗末な予測に基づいた挑発でしかなかった。

これで美里の能力の一つでも分かれば儲けもの、くらいの気分でいたのだ。



「もしかして、今先輩能力使えなかったりするのか?」


可能性としてはそれもあるかもしれない、なんて思ってはいたけれど。

発した言葉は気を逸らす程度の意味しか持ち得ないだろうと幸永は考えていた。


先の攻防でやられた羅刹紅は三体。

あれだけの攻撃を受けて、よく持っている方だろう。


しかもメインの特別な2体は残っている。

幸永はそんなみえみえな安い挑発を口にしつつ、実のところ幸永は残った六体の隊列を整えようとしていたのだが。



「むぅ、そこまで言うなら使うもん」

「え゛っ?」


ちょっとお怒りの様子であっさり挑発を真に受ける美里。

まさか馬鹿正直にそう返されるとは思わなくて、呆気にとられる幸永。

びり、と大気のふるえる音がして、深緑のアジールが膨大してゆくのが分かった。



(……なんでっ!? どういうことだ?)


予想の斜め上をいく美里の行動に混乱する幸永。

今までだって美里は隙などまるでなく、多人数対一の不利など全く感じさせないほどに圧倒的だった。


能力を美里が出し惜しみしていた理由だって本当のところを言えば理解している。

紅たちの学習能力に対して、警戒していたのだと。


それなのにも関わらず。

美里は幸永に応えるかのようにアジールを高めている。


幸永には美里の真意が読めなかった。

確かに彼女は素直で純粋そうには見えるけれど。

事戦いにおいてはそう単純にはいかないことくらいここまでで十分承知していたからだ。



「【美操引狭】セカンド、趣候の二影っ!!」

「くうっ!?」


始めてみる美里の本域。

相打ちを狙って攻撃をするべきか。

全力で防御……またはかわす事に専念するべきか。

あるいは犠牲を覚悟で羅刹紅にそれを体験させ、覚えさすか。


その能力がどんなものか分からない以上、どの選択肢も確実性に欠け、とっさの判断ができない。

と、ただ鉄笛を構えて下がることしかできない幸永の目前で、美里の弓がその形を変える。


元々三日月型をしていた弓が満月のごとき形を作る。

つがえられた弓は二本。

矢羽がお互いに触れ合う場所に据え置かれている。


持ち手は、互いを隔てる中央。

一体それをどのようにして使うのか。


幸永がそう考えた瞬間。

ぶぅんと虫の羽音のような弦鳴く音が耳に響いて、つがいの矢が解き放たれる。



「……っ」


それは、赤と青二色混じった光跡。

そのうちの一つが放った本人……美里自身の身体を射抜く。


その勢いで弾かれる美里。

出血はない。

その代わりに、美里の身体から白い湯気のようなものが立ち昇っている。



「ちぃっ!」


そしてもう一本は真っ直ぐに幸永のもとへと向かってきていた。



(どうするっ!?)


どうやら単純に攻撃するような類のものではないらしい。

だからと言って甘んじて受ける気にもなれない。

だが、そんな幸永の逡巡も一瞬だった。



幸永の前に立ちはだかり、矢をその身に受ける一体の羅刹紅。

矢は氷を貫き紅の部分にまで到達する。


すると美里と同じようにその羅刹紅の身体から白い湯気が立ち昇って……。

刹那、美里と羅刹紅の姿がかき消えた。



「異世かっ……?」


お互いが消えたことで、単純にそう思った幸永だったけれど。


瞬きするほどの短い時間をもって矢を受けた羅刹紅が出現する。

上半身を抉られ失った状態で。


「なっ」


何をされたのかその時の幸永には全く分からなかった。

力を失い倒れ伏す羅刹紅の残骸がひどく滑稽に見える。

だが、それだけで美里の攻撃らしきものは終わらなかった。


自然と一歩下がる幸永を脇目に、刹那の蹂躙は続く。

残っていた羅刹紅のうちの3体が矢を受けることなくにたような運命を辿ったのだ。

まるで紙粘土か何かのように易々と割かれ、ちぎれ飛び無に帰していく羅刹紅たち。


しかしそのおかげでその峻烈なる攻撃の正体が分かった。

美里の弓による居合いのごとき斬撃。

いや、美里自身の姿が見えないのだから厳密に言えば違うのだろう。



「超スピードってやつか?」


一度カラクリに気づけば、それは単純なものだった。

美里のスピード、そしてパワーが格段に上がっているのだ。

幸永がじっと目を凝らさねば目視できず、金剛の強度を誇る羅刹紅たちの氷の装甲を易々引き裂けるくらいに。


慣れてくれば分かる。

美里はただ、弓の一撃を物理的に加えているにすぎないことを。

おそらく、矢を受けたもののポテンシャルを跳ね上げる能力なのだろう。


ただ気になるのは、その矢を敵にも撃ったことだった。

矢を受けた羅刹紅が、もっとも破壊の度合いが高いのも気になる。

もしかしたら当たる矢によって効力が異なるのかも知れないが……。



(来るっ!)


だが当然のように、美里は幸永にそんなことを考える隙を与えてはくれなかった。



「【過度適合】セカンド、エレメンタルマーチッ!!」


翼打ちつける風に予感はあった。

美里の高速の斬撃がくるよりも早く、幸永は自身の能力で吹きすさぶ風へとその姿を変える。


間一髪、そんな幸永を貫く力の感覚が幸永をすり抜け、一瞬で消える。

まともに受けていたら間違いなく死んでいただろう一撃。


どこに美里の心情の変化があったのか、目論見通りとは言え幸永の心は震えた。

だがそれは決して死に対する恐怖ばかりでない。


そこには、強者へあいまみえることへのうち震えと。

ふがいなく犠牲を重ねてしまった自分への怒りがある。

そんな感情を持て余しながら……それでも幸永は残った羅刹紅の一体に新たな命令を与える。


今学習したばかりの能力の使役を。

それは、イメージするだけで羅刹紅に伝わる。


幸永にはその仕組みがさっぱり分からないが。

ここにいた羅刹紅10体の命令権が幸永に与えられているから可能、とのことらしい。


逆に言えば彼らの生き死には幸永にかかっていたと言っても過言ではなかった。

いくら犠牲になることが存在意義の彼らと言っても、それが気分のいいものではないのも確かで。


羅刹紅の犠牲によって生まれる利を無駄にしたくない。

そんな思いに羅刹紅のひとりが応え、その無骨な腕に先程美里が手にしていた円形の弓が出現する。



添えられた矢は二本。

何の躊躇もなくそれは放たれて……。


そのうちの一本が羅刹紅へと。

つがいのもう一本が美里に向かって飛んでゆく。


「……っ」


美里は、それにためらうどころか進んで当たりにいった。

避けるか防ぐかすると思っていたが、どうやら幸永は読み違えていたらしい。

立ち昇る白の陽炎の中、美里は笑顔だった。

戦いを心底楽しんでいる修羅の笑みで何するでもなくそこへ立ち尽くす。


そして、再び幸永が戦慄に心震わせたとき。

先に動いたのは羅刹紅だった。


美里めがけて、その姿がかき消える。

対する美里はそっと弓を構えるのみで……。


勝負は一瞬よりも早くついた。



羅刹紅の胴体を突き破る美里の弓。

それでもなお羅刹紅の勢いは止まらず、そのまま胴体を引き裂かれて美里の後方へと吹き飛んで。

そのままもと病室だった残骸へと突っ込み、砕け散った。



(……カウンター? いや、しかし。)


幸永には美里が動かずに構えているだけに見えた。

そこに、羅刹紅が自分から突っ込んできたのだ。


カウンターというよりも自爆に近いだろう。

犠牲により学習し対処する紅とは思えない最期だった。



「できればこうみんには使いたくないな。このまま退散してくれると助かるんだけど」


辺りの大気と化して姿消す幸永に向かって、美里は呟く。

それは美里の本音であり、同時にみえみえの挑発、あるいは牽制でもあった。


ついぞ前に幸永が言った能力が使えないという言葉は半分図星であると言える。

美里は、自分の攻撃の力は豊穣の神の眷属とされた小柴見家の血筋と、代々伝わる家宝の弓によるものと思っている。


実際の美里の能力【美操引狭】は、もともと対象を攻撃……あるいは害するカーヴ能力ではなかった。


例えるならば美里の能力は、悪戯を悪戯ですますフォローの役どころでしかないのだ。

幸永や羅刹紅の集中砲火に耐えることができたのも予めかけてあるサードの力、健魂の三擲も癒しの力によるものだし、先程使って見せたセカンドの能力……趣候の二影も攻撃の力ではない。


あれはたんに矢を受けたものの力とスピードを飛躍させる力にすぎなかった。

ただ、相当な慣れがない限り、その上がった力に感覚がついてこれないだけ。

美里はそこをうまくついて、さも能力で倒したかのように見せていた。


だがそれは、そのうちに見破られるだろうと美里は考えている。

ふりはいつか見破られ、綻びが生じるだろうと。



逆に、幸永の持つ能力に強い危機感を覚えていた。

得体の知れない第三の力もそうだけど。


風や煙に変化する幸永の能力。

おそらく、彼女が本気で美里のことを殺す気であるならばいくらでもやりようのあ

る能力だと美里は認識している。


それをしないのは、彼女の性格によるところもあるのだろう。

だが、美里は幸永に何か別の意図があるのだと判断していた。


時間稼ぎか、美里の捕縛か、あるいは他の何かか。

どちらにせよ、こういう言い方をすれば幸永は黙ってはいないだろう。


美里のセカンドの能力……立ち昇る白い陽炎が吹き消えたところを見計らって、幸永が現れる。


その傍らには、残った2体の羅刹紅。

これまでの攻撃で、倒せなかった2体。



「とっくに逃げてるさ、できるものならな」


儚げに、申し訳なさそうに笑う幸永。

それはきっと、幸永の本音なのだろう。


「みさとだってできるのなら戦いたくないけど……」


その言葉は断定にはならない。

必ず逆説の言葉で終わる。


「そう思う一方で、戦いたいという願望は消せないってわけか、お互いにさ」


幸永は、美里の言葉に繋げるようにしてそう締めくくった。

そしてそれも、紛れもない本音ではあることは確かで。

結局、望む望まずとも、戦う意外に道は残されていないのだろう。


どちらからともなく、再び戦闘態勢に入って。



「……卑怯なオレを許してくれよな、先輩」


ふいに幸永は、そんなことを呟いた。

美里は一瞬、その言葉の意味をはかりかねていたけれど。

両脇に仕えるように立つ2体の羅刹紅の肩に幸永の華奢な手のひらが触れた時、それは起こった。


ぱきり、とはぜる音を皮切りに、それまで羅刹紅を包んでいた氷の鎧が崩れ落ちて。

露わになったのは、臓物にも似た粘土質の紅の本体。

それは、氷の足を失ってべちゃりと地面に落ちる。

そしてその反動で、飛び跳ねているみたいな上下の蝉動を繰り返した。


それはもしかしたら、新たな誕生に対しての歓喜、だったのかもしれない。

二つの赤い粘土細工は、見えざる手によりこねられ、新たな形を作る。



それは人間だった。

半ば呆然とその様を見ていた美里がそれに気づいた時。

赤い粘土細工はふさわしい彩色をなされて完成を迎える。



「あ……っ」


驚愕に見開かれる美里の碧眼。

初めて聞く、頼りなき狼狽。

怯えるように、戸惑うように一歩下がる。


「今度は三対一なんだ。悪いけど手加減はしないぜ」


沈んだ、明らかに本意ではないと分かる幸永の声。

だが、そんな幸永の心情をくむ余裕など、その時の美里にはもうなかった。


何故ならそこにいたのは……。


魔精球の中で眠っているはずのタクヤと。


どうしてか。

今の今までその存在を忘れてしまっていた、美里の大好だった姉。



小柴見あずさ、その人だったからだ……。



            (第229話につづく)






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