第480話、教え子のために命を賭すだなんて、そんな殊勝なものはなく
「……うず先生っ!? だ、誰か、たすけっ」
まさにそのタイミングで、聞こえてきたのはほとんど悲鳴に近い真の声。
それに引かれるようにして、迷うことなくその先へと飛び込んでいけば。
そこは、確かに思っていたよりは広くない前室で。
しかしその地面は夥しいほどの赤色が広がっている。
「うーちゃんせんせぇっ!?」
「……っ!」
その血溜まりの真っ只中には、お腹を中心に真っ赤に染め上げ倒れ伏す、ナオの姿があった。
血で濡れるにも構わず、そんなナオを抱え込むように膝で受け止めている真。
同じように悲鳴を上げて、正咲が麻理が駆け寄れば、真ははっと顔を上げて。
「二人とも……どうしてっ。い、いやっ。今はそんな場合じゃない。私はうず先生を安全なところへ、表舞台へと帰さなければならない。だが……美弥さん、いや『災厄』に取り憑かれし少女を追いかけてまゆが行ってしまったんだ。彼女一人じゃ危ない。助けに行かなくちゃ」
普段からの、落ち着いたスマートさすら崩して。
しかしそれでもごくごく冷静にそう指示する真。
「……うーちゃんせんせをこんなにしたのはみやちゃん。ううん、みなきっちゃんなの?」
「その現場を目の当たりにしたわけじゃないが、状況を鑑みれば間違いないだろう。……あぁ、一緒にいるのは中立的立場の『救護班』のみなさんだね。申し訳ないが手伝って欲しい。急を要するんだ」
「わ、分かったわ。回復の能力専門じゃないけど、多少なりとも傷を癒すことはできるから」
そこで、行動を共にしていた三人に気づき、真摯な言葉をかける真。
怜亜はそれに頷き、『救護班』の仕事がここにきてようやく入ったとばかりに、血溜まりに倒れ伏す、目立つ特徴が無さすぎて不気味なくらい美しい青年。
その様子を看ようとアジールを沸き立たせ、治療……ヒーリング効果のある楽器を生み出そうとしたところで。
それが少なからず功を奏したのか。
少なからず何か感じるものがあったのか。
血を失いすぎ、顔を青白く染めつつ真の膝の上で微動だにしていなかったナオが目を覚ます。
「うっぐっ。ごほごほっ。……あいつに忠告していたことが、そのまま返ってくるとは。せわねーな。ったく」
「うず先生っ、あまりしゃべらないで。今、表舞台へ運ぶからっ」
独り言のぼやきであったのか、たぶんきっとそれが本物のナオの、素顔だったのだろう。
最早全身の感覚はなく、視界も霞んでいるが。
すぐ近くから奇しくも摩耗しきって動じなくなっていたはずの心に突き刺さる声がして。
ナオは現状を把握する。
「……真か? もしかして他の皆もいるのか?」
「うんっ、ボクはここにいるよっ」
「わたしも、いますっ」
ナオの瞳が、既に見えているようで見えていない事に気づかされて。
真に続き、正咲と麻理がそれに応える。
しかし最後のひとり、『R・Y』の良心、生真面目さがウリな天使の少女の声が聞こえてはこなかった。
それすなわち、『災厄』を掌握し留める使命を持つまゆが、『災厄』に取り憑かれし少女を追って行ってしまったという事なのだろう。
「……分かった。俺のことはいい。手遅れになる前にまゆを捕まえて、この異世から脱出するんだ。異世かた現実へ続く扉は俺が開けてやるから」
「何を言っているんだ。うず先生。そんなの……って。やめるんだっ!? こんな状況で能力なんて使ったらっ!」
どこか必死に、縋り付くような。
ちょっと珍しいような気もする真の声が聞こえてきたが。
もったいなくもしっかと聞いている余裕も猶予もなさそうであった。
(しかし、よりにもよって俺と似たような能力だったとはね。彼女たちはお互いの情報、記憶を共有できるんだろうか。……いや。それができない俺と違って、あえて共有していない可能性もある、か)
宇津木ナオの能力【才構直感】。
大まかに言えば枝葉のように際限なく分かれた、パラレルワールドに存在する『もう一人の自分』を無理矢理にでも呼び出す、といったものである。
今のように、別行動していれば互いに見たもの、得たものを共有することはできないものの、どちらかが倒れても残った方が今いる世界の主人格に成り代われる、といった利点がある。
加えて、紅粉圭太が『死』を操れることもあって。
ナオにとってみれば、これから消費されるのは、複数ある命のストックにすぎず。
しかし、この場にいる教え子たちはそうではないのだから。
自分に構っている暇があったらさっさと異世を脱出すべき。
ついて出た言葉は、そんな意味合いまで含まれていたわけだが。
言葉が足らず、本心をほとんど表に出すことがなかったからこそ、それは伝わらなくて。
ナオは、その事にも気づかない……人の事など言えるはずもないどうしようもない鈍感ものであるからして。
残った生命力を代価に。
いつも『もう一人の自分』を呼び出す時に使う時空の狭間、扉を開いたわけだが。
「うわっ、なに、これっ!?」
「こりゃあ、さっきの……どっかで見た気が」
「室内球場から出る時のだ。気圧が、違う?」
ほとんど無意識のままにナオが掌を向けた先。
突如として生まれるは、昏い穴。
そこから、吸い込みこちらを引っ張って引き込もうとする空気の流れが生まれた。
皆であわてふためき、それぞれがしがみついて引き込まれそうになるのを防いだ所で。
轟、とうねる大気に当てられ、ナオは僅かばかりながら深く入り込んでいた思考から舞い戻ってくる。
「何だ? いつもの七色じゃ、ない? ……まさかっ。未だ他に暗躍するものがいた、だとっ? ちっ。道理で。おかしいと思ってたんだ」
不思議ではあったのだ。
遅刻やドタキャン、ブッチは日常茶飯事なのに。
遅ればせながらいいところで必ずやってくるであろうヒーローのごとき星の下に生まれたような知己が。
この場にいない理由を。
恐らくは、今いる異世にもう一つの異世を被せてまで、この異世を隔離せんとした人物がいる。
知己から、『災厄』に憑かれしものを遠ざけようとした人物がいる。
しかもそれは、一人ではない。
『災厄』のフィールドと化してしまった、異世『ドリーム・ランド』ごと覆い隠すような異世なんぞ、一人で創り出すなど到底不可能だろう。
『次』があるのならば。
このことを覚えていられるのならば。
その辺りのことを、暴き調べることもできたのに。
してやられた悔しさと。
次の確証を持てないやりきれなさに、苦渋を浮かべつつ。
「すまんっ。どこへ繋がっているかもわからんが、ここよりはマシなはずだ。まゆを呼び戻したら皆でここから逃げてくれっ……」
「うず先生! 消えっ!? そ、そんなっ」
無数いる自分を卑下し、自分が想われることなど露にも思っていないナオは。
後に残された者達に対して、何のフォローもできずに。
初めから、そこには誰もいなかったかのように。
悲鳴を上げ、捕まえかき抱こうとする真を脇目に。
流れた血すら空気に溶け蒸発するみたいになくなってしまって。
正しくも霞のように消えていく。
それが。
その場に残された少女たちをひどく傷つけ心揺さぶりって。
『災厄』とその周りに在る者達に大きな禍根を残してしまった。
なんてことにも、気づけることはなく……。
(第481話につづく)
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