第422話、確実にやってくるだろうその瞬間から、目を逸らすように
「【観世悟心】ファースト、入(イル)っ!!」
考え込み立ち止まる美弥を庇い、改めて前に立ちはだかるキクと。
久しぶりに耳にしたような気がしなくもない、正しくも歌を歌っているかのような、マリの力込められし言の葉が、辺りに木霊する。
それに再度、はっと我に返った時には既に遅く。
瞬間、マリ……瀬華の身体からふわりと、幾つもの白く透き通ったヒトダマのようなものが生まれ飛び上がり、すぐ目と鼻の先にまで来ていた少年たちの方へ向かったかっと思うと。
止める暇もあらばこそ、まるで元々そこが居場所であったかのように、ひとつひとつのヒトダマが、少年たちに吸い込まれていく。
「……っ」
「グッ」
「……」
反応は、思わず美弥が肩を跳ねさせるほどには劇的であった。
それを少年たちが受け入れた途端、何処かへと繋がっていた糸が切れてしまったかのように。
だけど緩慢に倒れ伏す少年たち。
「ま、マリちゃんっ!?」
「……っ、ふう。だ、大丈夫ですっ。少しだけ彼らの意識に入らせてもらっただけですから。眠っているのとおんなじなので、身体にも害は特にないはずですよ」
「穏便に傷一つ付けずに無力化したってことですか。中々やり手ですね、妹さまも」
「ほっ。それならよかったのだ。それじゃあみんな部屋に、ベッドに運んで……っ」
「異世なんですから、そこまでの心配は無用かと思いますがね。恐らく本物でもないでしょうに。襲われそうになったってのに、本当に甘いのですからっ。それよりも、次がいらっしゃいますよっ!」
「わわっ、ほんとなのだぁっ。しえなちゃんにはるかちゃんまで、ちっちゃい子ばっかり、どうしてっ」
きっと、キクの言葉通り敢えてそのように配置されているのだろう。
この場から離れれば離れるほど、それを止めようとする存在の力が大きくなる可能性もあった。
とはいえ、もしかしたら何も知らずにただこの場所にとどまっていることが、一番安全なのかもしれない。
しかしそれを、ただただ受け入れようとしている美弥を、姉の姿を見て、マリの気持ちが変わったのは確かであった。
初めは、その時が来るまで、ひっそりと寄り添うだけのつもりであったのに。
どうして美弥が、姉だけがこんな理不尽な目に合わなくちゃいけないのか。
なんて考えだしたら、マリはもう止まれそうになかった。
「【観世悟心】ファーストっ、入(イル)っ!!」
他の能力者のことはよく分からないが。
マリの能力、【観世悟心】ファーストの力は、自らの魂めいたものを千切り分け与えるかのように、負担を強いてくる。
このペースだと、異世から脱出するより、マリ自身が力尽き儚く消えるであろうと理解はしていたが。
それでも一向に構わなかった。
元より、既に命失ったに等しい身なのだ。
どうにかしたい、といった思いが続く限りは、姉のために何かをしたかった。
「……はっ、ふう! とっ、とにかくここにいちゃダメだよっ。なんとかしてここから出ましょう!」
幼い少女たちの心中に取り入り、短い時間主導権を握って、眠りにつかせる。
その際、やはり彼女らが本物でないことに気づくことができたわけだが。
それでも姉の心情を慮り、倒れて傷がつかないように気も使っていて。
大きく肩で息をするマリに、心配そうに駆け寄ってくる美弥。
「大丈夫、なのだ? 能力の負担が大きいんじゃあ」
強く、理に反する力ほど、使うものにダメージが返ってくることは、恭子の姿を見て美弥もよく分かっていた。
もう癖になっているみたいに、ぎゅっとすると。
気休めでなく、マリの身体が精神が回復していっているような気がして。
「だいじょぶです。おかげさまで元気いっぱいですっ。それより早くここを出ましょうっ、道はわたしが開きますっ」
「まぁまぁ、馬鹿正直に気負うこともないでしょう。ここはわたくしめにおまかせを。びりびりにゃんこほどではありませんが、こっそり脱走するのはお手のものですから。……【矮精皇帝】ファーストっ!『転姫の従者』っ!!」
危なっかしくて、目が離させなくて。
気づかないうちに心まで奪われている。
なるほど、よく似たもの同士、姉妹だと言うのも頷ける。
からかい守り支え、共に在るものがもう一人増えたかのような。
いつの間にかそこにあった、心の隙間が、嵌まり埋まっていく感覚を覚えたキクは。
正しく今までもそうであったかのように、自らの能力を発動する。
「……っ」
「あ、あれ? お姉ちゃんもキクさんも消えちゃった? で、でもお姉ちゃんのぬくもりはあるのにっ」
「うややっ。くすぐったいのだっ」
「あ、ご、ごめんなさいぃっ」
どうしてカーヴ能力をキクが使えるのか。
そんな美弥の息をのむ驚きは。
しかしキクの能力により、限りなくそこにいる三人の気配が薄まったことで不安に陥ったマリが必死に探し求めるみたいに美弥に抱きついたことでうやむやになって。
「さ、これで問題なく外に出られるでしょう。さくっと相手が気づかぬうちに、異世の壁を破壊してやるのです」
「キクちゃんも凄いのだっ。これならみんなが気づかずに外に出られそう」
「あ……あの、ありがとござまいます、キクさん」
この気配を消していつのまにか抜け出す力を使えば、マリが力を無駄に浪費することもないだろう。
「いえいえ、仕えるものとして当然のことですから。妹様もあまり無理をなさらないように」
キクは、随分と大仰に偉そうにそう言った後、その言葉そのままにそのままさりげなくエスコートを開始する。
まさしく、散歩が嬉しくて先走るお犬さまのように。
二人を引っ張るようにして。
いよいよ合宿所から出ることにする。
合宿所の中では、誰かを探し求めるかのように、さながら生ける屍のごとく徘徊する子供たちがいたが。
キクの能力はうまいこと働いたようで。
誰に見咎められることもなく、第一関門の突破に成功したのだった。
(後は、この異世がどのくらいの範囲まで、続いているかってところですかね)
恐らく、力の強いもの……年かさのものほど異世の境界の近くにいるのだろうとキクはふんでいた。
ここまではうまくいったが、キクの能力【矮精皇帝】ファーストの力は、あくまで建物内から気づかれずに脱走するといったもので。
外に出た後まで効力が続くのかは、実の所未知数であった。
あるいは、見えないものを看過する能力者がいれば、すぐに見つかってしまうかもしれない。
これは、より一層気を引き締めねば。
なんて、改めてキクは思っていたわけだが。
そんな目論見は。
合宿所を出たことで、目の前に広がった光景によって。
一瞬にして吹き散らされることとなる……。
(第423話につづく)
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