第423話、忘れずにいて、いとしい人よ、嘆くように訴えるその声を
キクの能力【矮精皇帝】の力によって。
建物内から出て、そのまま気づかれずに囲まれた異世からも脱走する。
そんな目論見は。
3人で連れ立って合宿所を出たことにより目の前に広がる光景により、すぐさま頓挫することとなる。
「……あ、あれはっ」
「な、なんでっ。いつの間にっ。さっきここへ来た時は、なかったはずなのにっ」
合宿所の外は、どこまでも砂漠めいた砂浜と海が広がっていて。
その向こう、遠くに囲むようにして微かに見える島々。
しかし、それより何よりも。
その場を支配するのは得体の知れない昏い暗がりが支配していた。
かなり遠くにあるはずの島々がよくよく見えるのにも関わらず、どうしてこんなにも暗いのか。
それは……。
それまで、もう既に当たり前になっていたはずの、赤みの帯びた空を覆うようにして。
黒く昏く燃え盛り、空を支配し埋め尽くさんとする太陽がそこに座していたからだ。
「黒いっ……太陽っ! うっ、うぐぅっ」
「主さまっ!? どうしたのですかっ、しっかりしてくださいっ!」
あまりに埒外すぎて、人智を超えたもの。
それは確かに、妖しく輝く熱のこもった、放射線のごときアジールを放っていた。
海をじりじりと蒸発させ、白い煙を生み出し、僅かに残っていた空色が溶け落ちていくようにも見える様は、世界が涙しているようでもあって。
それら全てが。
人が生み出したものなのだと。
人が扱え御しきれるものであるとは、到底思えなかった。
その熱波めいたアジールを見に浴びるだけで、気を抜けば落とされるどころか、溶けいってしまいそうなそれ。
真っ先にダメージを受けて、顔を苦痛に歪ませ倒れそうになったのは、美弥であった。
キクは美弥を慌てて支えマリは自らのアジールを高め、自分たちの周りだけでもと簡易的な異世を張り巡らせて、それ以上の脅威の侵食を防がんとする。
「きゃっ、お、おもいぃぃっ」
だが、広がる海も異世である証左であるのか、熱波とマリの透明な異世がぶつかりあってスパークし、黒煙を上げて視界を塞いでくる。
今はまだその黒い太陽が空遥か上にあるから。
何とか反抗し押し合いができてはいるが。
あれがいつまでも浮いている保証はどこにもない。
あるいは、だんだんと膨張し、世界を埋め尽くす可能性もあるだろう。
もはや、一刻の猶予もない。
早くこの場から逃げなくては。
そう思い、マリは美弥たちに声をかけようよするも、当の美弥は未だ黒い太陽の影響力に顔を苦痛に染めたまま、動けないでいた。
「うう……頭、いたいのだぁ。黒い太陽、ふってくるしぃ……っ」
「はっ。いけません主さまっ! 『それ』をわたくしめにくださいませっ! 【矮精皇帝】サードっ! 『厄代の道化師』っ!!」
いや、恐らくそれは。
熱波の如きアジールの影響だけではなかったのだろう。
美弥は黒い太陽が、一度目に落ちた時にその能力を失った。
才能秘めしカーヴ能力者でなくなってしまったからこその、心的外傷。
心の負荷によるものだと……。
(……そうか。わたしの考えはやっぱり正しかったんだ。だからこそ、できるだけ遠くに離れないとっ)
建前めい誤認識を振り払い、マリは改めてそう決意する。
-――そうして『時の舟』を使って、異世界にまで逃げる。
あの時あの瞬間、口から出た咄嗟の出まかせにすぎなかったが。
正にそれこそが正当であるような気がしていて。
正咲や賢、あるいは瀬華はもう乗り込んで向かってしまっただろうか。
間に合わなかったのならば、新たな便……鍵は自分が作り出せばいい。
もとより一時的に瀬華に借りた、長くはないこの命。
役に立てそうだと希望が見えてきたのはその瞬間で。
「うぐ…………う、ううっ? あれ、いたくなくなったのだ。これも、キクちゃんの能力?」
「……ええ。わたくしは敵を圧倒するような力は持ち合わせてはいませんが、主さまを癒し、お散歩にでかけ、お世話をしていただくことにかけては誰にも負けませんからね」
それまでの苦しみようが嘘かまぼろしであったかのように。
まるで、痛くて苦しい思い出をどこかに置いて、なくしてしまったかのように。
誰かが肩代わりでもしたかのように、元気を取り戻した美弥。
対するキクは。
まくし立てるみたいに、美弥の一番のペットであると宣言してみせた後。
ぼふん、と音を立てて、正咲がひまわり色の猫(みゃんぴょう)に変わるみたいに。
まっくろつやつやのちょっと珍しい単一毛色のパピヨン犬に変化したかと思うと。尻尾をふりふり美弥めがけてダッシュする。
「わわっと」
「きゃん、きゃん!」
それを前進で受け止めて、もふもふを堪能していた美弥であったから。
多分きっと、気づくことはないのだろう。
きっと今までもこうやって、痛いもの、怖いもの、悲しいもの苦しいものを。
キク……きくぞうさんが受け止め包み込んで肩代わり、あるいは交換し続けていたと言うことを。
「それじゃ、急ぎましょう、お姉ちゃんっ! あれがいつ落ちてくるかもわからないし、とにかくここから離れなくちゃっ」
「あ、うん。で、でも子供たちが中に……」
「あ、うん。それはだいじょぶですよ。さっきわたし、途中で会ったこどもたちの心の中に入らせてもらってわかったの。あれは、『あおぞらの家』の子供さんたちじゃないみたい。紅さんのにせものだから」
そして、それは。
一部始終を見守っていたはずのマリですら、気づくことはなくて。
三人は、黒い太陽に……『パーフェクト・クライム』に既に囚われていることなど知る由もなく。
こうして悪夢のような逃避行を開始するのだった……。
(第424話につづく)
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