第274話、天使のいいわけタイム、始まる
塞がれた視界の中の闇。
しかしその視界は、明滅している。
暗くなったり明るくなったりの繰り返し。
それは、生と死の狭間を行ったり来たりしているとみせかけて、何者かがまゆの視界すぐそばを通っているにすぎないわけだが。
まゆはそれを見て、一体何を迷ってるのかと思ってしまっていた。
取り返しがつかなくなる前に舞台から降りるのは行幸だったはずなのに、何を今更迷っているのかと。
いつまで生にしがみついているのかと。
まゆは自分に呆れて。
暗い暗い底へと向かおうとしていたけれど。
その瞬間。
そんなまゆを引き留めるかのように、歌が聞こえてきた。
正咲の歌声だ。
よくよく聞けば、怜亜のギターの旋律がそれに添えられているのが分かる。
―――なんどでもっ、なんどでも、あなたはよみがえる~♪
ここに来て頬の傷を治してもらった時には、聞けなかったはずの詩。
なんというか、鎮魂曲とは対極にある曲だった。
正咲の脱力……もとい、可愛らしい歌い回しに合わせて、ギターのテンポも踊り跳ねるようである。
確か、『+ナーディック』の有名なよみがえりの曲だ。
当然こんな曲調じゃないし、今の自身の立場を考えると……。
「笑えない、笑えないよ馬鹿正咲っ! その歌はっ!!」
あまりに自分に当てはまりすぎて。
『お姉ちゃんってゾンビなの?』
なんて言う洒落にならない妄想が頭の中を支配して。
気づけばまゆは叫んでいた。
びしぃっと、強烈なつっこみ込みで。
「うぅっ~!? まゆちゃんがぶったぁ!しかもばかってゆったー!」
気づくと正咲の涙目ドアップが文字通り目と鼻の先にあって。
「おわぁっ!?」
なまじ付き合いが長かったせいもあって。
美冬の時と比べて当社比30パーセントアップくらいのリアクションでその場から回避……できなかった。
後頭部に柔らかな感触。
両こめかみに添えられる思った以上に華奢な手。
「動かない。また消えても知らないわよ」
とどめの、美冬の寒風ばりの怜亜ちの冷たくひえた声が聞こえてきたからだ。
条件反射で、びくりと縮こまるまゆだったけれど。
「……消える?」
後に続いた、とてつもなく不穏な言葉がが非常に気になった。
何が不穏かってそのワードに何となく心当たりがあることで。
まゆは、動けないなら仕方ないとばかりに上目遣いで怜亜にその真意を問うてみた。
静かだが、怒髪天をつく勢いの怜亜と視線が交差する。
ひょっとして今のこの状態って100パーセント詰んでいるのではなかろうか。
そんなことを考えていたら、痛まないようにしてもらってる翼と翼の間に、いろいろな意味が重なってひやりとしたものがこぼれて。
「お姉ちゃんっ!」
「みぎゃあっ!?」
その瞬間。
どふっと。
雷の王ガイゼルのパンチ並のボディブローを彷彿とさせる、恵の頭からのダイブがまゆのわき腹に炸裂した。
「あうぅっ」
怜亜がホールドしてるもんだからまったくもってまゆは勢いを殺されてしまった。
視界がぐるぐる回り……川の向こうで、笑顔で手を振るはるさんを幻視する始末。
「わっ、消えてる!また消えてるよっ!」
「嘘っ!?」
真澄の焦った声と、同じく慌てる怜亜の声に引っ張られ呼び戻されるようにして……再びまゆの意識は現世へと帰還する。
「よかったですぅ、お姉ちゃん消えなかったです」
抱きついたままの、今まさにとどめを刺そうとしていた恵の泣き声が近い。
(あー……なるほど)
ますます身動きのとれなくなったまゆは、しかしそんな恵の言葉で、ようやく事の次第を理解する。
―――かりそめの命与えられしもの、再びその命失うことあれば、その身は灰となって残らぬであろう。
どこかの、偉人の言葉だ。
ようはそれと同じ。
冗談抜きに、まゆは死にかけていたのかもしれない。
透けた身体が、すべて溶けきれば。
恐らくまゆはもう、帰ってくることはできないに違いない。
「怜亜ちゃんが矢を引っこ抜いたときはどうなることかとおもったけど……だいじょぶみたいだね」
とは言え、今回はそんな最悪な事態にはならなかったのは確かなんだろう。
そう、それは最悪の事態だ。
今なら分かる。
あのまま自分本位に消えていたら……わざわざここまで来てくれるようなみんなは、少なからず傷と負い目を負ったろう。
それが一時しのぎのことだとしても。
舞台を降りるならばしかるべき手続きと儀式が必要なのだ。
抱きついたまま離れない恵と、突っ込まれた額に触れながら。
揺れる安堵の瞳でそんなことを言う正咲を見ていると思わずにはいられない。
「結構やばかったんだ? なんか怖くて傷口見られなかったんだけど」
「やばかったよねぇ。矢がすっごく光ってさ。まゆちゃんが養分吸われるみたいに透け始めたんだもの」
「血には慣れてるほうだけどさ。地面が血の色に染まっていくのは……気分がいいもんじゃないよね」
美冬が臨場感をもたすみたいに身振り手振りで。
真澄が、あまり思い出したくない事を思い出したらしく、俯いてそんなことを言う。
ふと、右手首に包帯に巻かれ、その中にハンカチが添えられてるのが目に入った。
怪我をしたのかもしれない。
そう思い立ち、今更ながらに気づいたのは、さっきまでいたはずの敵方の姿がなくなっていたことで。
まゆが死の狭間にいたらしい間に、室内……とても懐かしい場所へと運ばれていたのが、戦いの勝利、その事実を証明していて。
「さっきのやつらは? ここってはるさん……理事長室の中だよね?」
今まゆたちがいるのは、理事長室の玄関エントランスだ。
敵方を何とか突破して、慌てて見えていたこの場所に飛び込んだ、ってとこだろう。
玄関先で半ば怜亜に寄りかかるようにしていたまゆは、必然的に見上げるようにしてそう聞いた。
「すごいって言えば美冬さんもすごかったよね。あの、すごくつよそうな氷のやつ、いっぱつて溶かしちゃったんだもん」
何故か正咲が偉いみたいに、得意げにそんなことを言う。
「一度会ったことのあるやつだったからね。ただの氷の分際でサンタな私に刃向かうなんて100年早いっていうか?」
それに、照れ隠しなのか、いかにも使い慣れてませんって感じの今時の言葉で言葉を返す美冬。
「……私の出番はありませんでしたね」
「何言ってんのさ、塁さんが隙を作ってくれたから大技使えたんじゃないか」
「しゃちさん、かわいいけどおっかなかったです」
謙遜だろう塁の言葉に、真澄は苦笑い。
不意に思い出したのか、恵がそんな感想を述べる。
なんでも、攻撃担当の皆さんは大活躍だったらしい。
美冬さん曰くサンタな力で羅刹紅を一瞬にして溶かして。
残った犬たちがそれに怯んだ隙に塁が作り出したダイヤの輪で彼らを束縛。
そして極めつけは。
真澄ちゃんの力で生まれた巨大なシャチだそうで。
巨大なシャチが巨大な犬たちをひとのみにする様は、確かにおっかないかもしれない。
こんな世界にいるんだから分かっていたことではあったけれど。
適材適所と言うか何というか、それぞれがそれぞれにしかない凄いところがあるんだなってしみじみまゆは思った。
たった一人でこの世界を相手にするのは無謀なことなのかもしれないけれど。
みんなで力を合わせれば、やってやれないことはないんじゃないかなって。
「怪我してると? 治療してもらわなかったの?」
「あ、ううん。その、なんて言えばいいのかな……僕の力って僕の血が必要なんだよ」
「はっ、もしや男装以外の属性に天然水サイダーが!?」
「だから違うって言ってるでしょ」
「いたっ」
あまり触れてほしそうじゃなかったから、冗談に転換したんだけど言うほどジョークにはなってなかったらしい。
すかさずばしっと頭を叩かれるまゆ。
何というか、切ないくらい軽い音がして。
「……言い訳も話を逸らすのもなしよ。一体何があったの? 何で一人で抜け出したの?」
そこまでのやりとりで、まゆを救出するまでの経緯は話したと判断したらしい。
いざ本題とばかりに、怜亜がそんなことを言う。
「あ、そうだよ。肝心なこと聞いてない。みなさん如何にしてこちらへ?」
「だ~か~らっ!」
「いたっ、痛いよっ! 順に追って話すから焦らないでっ」
ドラムでも叩きかねん勢いの怜亜に、これは言ってる側から遊んでるわけじゃないんだよって、断固主張してみる。
何故ならば。
このタイミングで助けてくれたって事は、まゆがこっそり抜け出したことに気づいた人物がいたってことだからだ。
理由もなしに何となく出てきたなんて虚勢張っていたがあれは真っ赤な嘘で。
真っ赤なのは嘘じゃなくて顔だったり。
というより、あんな状況じゃ眠れるわけがないと言い訳したいくらいであったが。
そんなあの時のまゆの心情はともかく。
ようは何が言いたいかと言うと。
もしかして、まゆと雅との会話を聞いていたものがいるかもしれないって事で。
聞いていたのなら、まゆがここにいる理由だって分かっているんじゃないのかって事で。
「怜亜ちゃんがまゆちゃんいないのに気づいてー、みんなで探し回ったらいっかいみたことあるくちびるのやつをみつけて……これだって思ったんだよ」
それを見つけたのは、正咲らしい。
得意げな正咲にまゆは内心してやられた感が禁じ得なかった。
これはまゆ一人の借りだから、ぞろぞろついてこられてもどうこうだって言っていたのは雅のほうだったのに。
ちゃっかり彼女はまゆの足跡を消さずにいたらしい。
まぁ、おかげさまで助かったのは確かで。
何がサービスだとは言ってなかった雅のことだから。
もしかしたらそれがそうだったのかもしれないけれど……。
(第275話につづく)
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