第273話、同じ轍を踏んでいるように見せかけて回想終了


細くうねる闇のの世界。

それは『プレサイド』の血の巡る川のようなもの。


まゆは、その流れに乗る酸素か……あるいは細菌か。

そんな気分になりながらも、下へ下へと降ってゆく。


だがそれも長くは続かない。

足下を照らす外の光。

果たしてそれは、目指すべき終着点なのか。

一際強くなる重力にあわせて、まゆは翼を動かす。


がすっ。


「ふぎゃっ!? わ、わわぁっ!?」


道は狭いって分かっていたはずなのに。

空飛ぶもののけの習性なのかとっさに翼を広げてしまい。

擦れてひりつく背中の痛みに悲鳴を上げるまゆ。

そして、ちょうどそのタイミングで細い道から弾き出され。

結局着地に失敗してお尻から地面へと不時着してしまう。



「いったぁ! ……くないや。これが意外と」


地面があまり堅くないせいもあったんだろうけれど。

思っていた以上に自分が軽かったらしく、衝撃はさほどでもないようで。

ばばっと起きあがって辺りを見回す。



「あぁ、この辺はなんか覚えてるかも」


どこも大差ないはずの、つるつると微妙に柔らかい赤い地面に、でこぼこと岩のように陰影を浮かばせるドーム型の天井。

等間隔にほの暗く照らすのは、かつて学園敷地内の夜のロケーションを演出するレトロなカンテラの明かりで。


背後すぐ側に上階へ続くだろう階段。

前方、視線の先にはそれなりに距離があることを意味する、画面の中央へと小さくすぼまって見えるお屋敷の姿が見える。



―――理事長室。

まゆの母、はるさんの仕事場だ。



「もうちょっと、ドアトゥドアなサービスがほしいところとね」


そこへ向かって歩きながら、ぼやきつつ目的地へと向かう。

そんな独り言が出るのは、そうは言ってもこのサービスが過剰だからだからなのかもしれない。


……高くつく。

雅はそう言った。

このまま無事に理事長室に着いて、はるさんの手紙の有無を確認することができたのなら、それはどう見ても易いお使いだろう。


高いだけはある、何かのイベントがあるに違いない。

なんて……物語的展開を妄想していたのがいけなかったのか。



恐る恐る周りを見ながら歩き、視線を進行方向に移すと。

まさしく、まゆの行く手を阻むみたいに、多くの化生たちの姿があった。


氷の鎧を着た紅……羅刹紅が三体。

犬科のクマであるアカカブトとタメを張れるだろうお犬様……シェルティーと、ボルゾイ、そして黒ラブとチョコラブ……そんな姿が。



―――そう、お気づきだろう。

見覚えがあるはずだ。

ここでようやく、何でこんなことになったんだろうなって後悔していた、長い長い回想から戻ってきて、お話の冒頭に戻ってきたのだ。



「わ、わ、わわっ!」


まゆが、そんな長い長い回想に浸っていれば、そりゃあ敵方も痺れを切らすだろう。

羅刹紅たちの手にはそれぞれ物騒な飛び道具系の武器やなんやらが現れて。

巨大な犬たちは一斉に姿勢を低くしてまゆの方に向かってくる体勢をとっている。


彼らが普通サイズで、牙を剥いていなければ……犬と戯れる天使の図として、心安らぐ微笑ましい光景にもなっただろうが。

恵ならともかく、ガラじゃない、なんてまゆは思っていて。



「ちょっと、いきなりレベル高すぎるとっ!」


故に走る。

背を向けて。

万が一……二が一くらいにと、避難経路として頭に入れていた階段を目指して。



「無理無理無理~っ!?」


階段の半ばに達したところで、すぐ脇に掠っただけでどうにかなてしまいそうな強烈なアジールの奔流が炸裂する。

まゆは死の恐怖に弾き飛ばされるようにして階段を上りきって。

その向こうが天井の広いフロアであることを確認すると、しゃにむに翼をはためかせる。


はばたく翼のすぐ側まで来ていた、鼻息荒い濃密な殺気の気配。

かなりやばかったことに気づけたのはその時で。

役に立たないと思っていた翼が珍しく言うことを聞いてくれたと安堵するのも……束の間だった。



ドシュッ!


「あっ……!」


右腕に焼き付くような猛烈な痛み。

その痛みは、相手が飛び道具を使うって分かっていて飛んでしまった、やっと飛ぶことができたにわとりみたいな自分に対する愚かさそのものだったのかもしれない。


早くも目から出る汗で歪む視界。

やられた右腕を見れば、二の腕部分に深々と金色の矢羽の着いた矢が刺さっていた。

まさか、この羽の持ち主も、羽持つ同士を仕留めるために使われるなど思っていなかっただろうに。

そんなことを考える暇もあらばこそ、まゆは墜落する。



……だから痛いのはやだっていったのに。

弱いまゆの心は、すぐに諦観で一杯になる。

一撃で戦意を失ったまゆに……迫る殺意。

まゆには、ちょっともったいないんじゃないかなって思うもの。



何故なら終わることは。

まゆが望むものの一つだったからで。


取り返しがつかなくなるくらいのめり込んでしまう前に。

まゆは、みんなの前から姿を消してしまいたかった。

長いことその心に留まれば、なくてよかったはずの傷と悲しみを与えてしまうからと。

本当は、舞台に立つ資格もないのだからと。



「もう、ゴールしてもいいよね……」


だから。

まゆの口から、そんな言葉がついて出る。

お話の中に出てくる好きなヒロインのさいごの言葉を真似るみたいに。


つまりは……まゆ自分で思っている以上に精神的余裕があるわけで。

思わず全身の力が抜けてへたり込んで。

ある意味天使の最後にふさわしい、そんな一言。


……なんとなく半笑い。

この期に及んで意外に余裕あるじゃないかなって。

思ったせいもあるだろうけれど。



「馬鹿言わないでよっ!」


その時聞こえてきたのは、もうずいぶん昔から友達であるかのような、気の置けないそんな声だった。

この世界で最初に出会った、怜亜の声。


たぶん、意外と余裕があったのは。

何となくそんな気がしていたからなんだろう。



「【結清妖化】セカンドっ! ドルフォエールっ!! 」

「【紅月錬房】ファーストっ! ダイヤ・イシュトっ!!」


続くのはユニゾンする二つの声。

顔を上げれば、そこには真澄と塁の凛々しい姿があって。

突如として生まれいでた透き通る水のくじらが、モンスターどもの真っ直中で華麗なアクロバティックを決め、その隙に僕らの周りにダイヤモンドのサークレットが守り現れる。



「……お願い、叶えてもらってないんだけどー?」

「まゆちゃんの行動なんてお見通しだもんっ!」


ジト目の美冬と、本気で怒ってる感じの正咲。


「お姉ちゃんっ!」

「みぎゃっ」


大泣きのままでとどめ……抱きついてくるリアこと恵。



―――なんでみんなしてこんなところに来るのさ。


自分を棚に上げて、みんなの好き勝手さに呆れる。

それがなんだかちょっとうれしくて。

でもそれ以上に悲しくて。



「はは……」


そんな自分自身の都合よすぎる思考に、気の抜けた笑みも出ようというもので。



「お姉ちゃんっ!」


恵の悲鳴のような呼び声と、離れる気配。

その顔が、この世の終わりでも見るみたいに青ざめている。

どうしたんだろうって、まゆは首を傾げて。


「こんな時まで笑ってんじゃないわよ! 正咲! 治療するから手伝って!」

「あ、うんっ!」


それを見咎められたのだろう。

すかさず怜亜の怒声が飛んでくる。


それだけのことをしたからこそのご立腹なんだろうが。

それより何よりそう言う怜亜に焦燥が見えるのは、まゆの傷が思ったよりひどいからなんだろう。


どおりでさっきからそこに心臓があるみたいに二の腕か熱いはずだと。

まゆの予想というかよく考えてみれば当たり前の事なのだろうが。

刺さったのは何かの能力に類するものでただの矢じゃなかったのだろう。

熱いのと一緒に、傷口がなんかもさもさするのが気持ち悪くて、いまだそっちに視線向けられなかったから、はっきりとしたことは言えなかったが……。


怜亜の鋭い声に、既に戦いの先陣を切っていた正咲が反応して駆け寄ってくるのが分かって。

入れ替わるようにして前線に出たのは、美冬だった。

それをフォローするかのように、塁と真澄が後衛につく。


その動作はあまりにも自然で。

いつの間にそんな戦いについての話し合い的なことをしたんだろう?

あるいは、初見でそれだけの連携ができるくらいに、それぞれのレベルが高かったのかもしれないが……。


そんなお手並み拝見な彼女たちの戦いっぷりは、残念ながら最後まで見ることはできなかった。

何故ならば。



「自業自得なんだからねっ、我慢してっ!」


鬼気迫る怜亜が近づいてきて、まゆの二の腕を貫いているだろう矢を、思いっ切り引き抜いたからだ。


「っっっ!!?」


ただの怪我ならば、一番してはならない処置。

抜けば噴水のように血が出るんだろうなって妄想が、今現実のものとしてそこにある。

口ではとても言えないような抜ける音が腕からして。

そんなこと気にしてる場合じゃないくらい、とんでもない痛みがまゆを襲って。


いくら何でもそりゃないよ!って抗議する暇さえなく。

まゆの意識は闇の中に落ち込んだのだった……。



            (第274話につづく)





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