第三十四章、『AKASHA~in to the daylight~』
第272話、自分勝手で独りよがりな、アガペ
とても高くつくらしい借りにより生まれた抜け道を通って反対に出ると。
当の雅の姿は、どこにもなかった。
それより何より、歩く体力も気力もすっかり底値。
鋭気を養う場所こそが必要だった。
最寄りで辿り着いたのは、恵の部屋(なんとしっかり残っていた)で。
相変わらずその周りには、赤いおどろおどろしい洞窟が広がっていたけれど。
とりあえず近くに紅や、ツカサのお仲間な番犬達はいないらしい。
そんなわけでようやく、まゆたちは一息ついた。
歌のフレーズ的に言うなら、運命のもたらす必然のように。
そんなわけで、まゆは改めて安全地帯から、マイ異世を呼び出した。
何とかお客を出迎えられるくらいにはお掃除を終えた後。
まゆが指名した有志である、塁と真澄を誘って出向く。
その理由は、まずは正咲……だけでなく今や皆の困りどころの、晩御飯の材料の調達のためだった。
なんでも、恵の部屋にあった虎の子の食材は……料理の苦手な恵が、行き倒れの真澄のために試行錯誤の末振舞って、なくなってしまったそうで。
料理ができそうというか、作るのを手伝ってくれそうな女子力のありそうなメンバーを選抜したわけだけど。
そこに腹ペコ魔人と化した正咲の乱入に始まり、みんなしてまゆの異世へ乗り込んでくるから。
結局なんやかんや紆余曲折あって、外よりは安全だろうと、一軒家風のまゆの異世界に泊ることとなった。
幸い、一軒家そのものであるまゆの異世は。
川の字で寝ても十分余裕があるくらいだったけれど。
結論から言えば、まゆはあまり眠れなかった。
だから敵さんたちも眠りにつくだろう丑三つ時からさらに時が経った真夜中の真夜中に。
一人部屋……異世を抜け出して、歩き出す。
別に何か物音がしたとか、アジールの気配がしたとかではなく。
強いて言うのならば、予感がしたと表現すべきなのかもしれないが……。
「何よ。あんな口約束なんて当然反故にするものかと思ってたのにね」
恵の部屋を出てすぐの……元は内庭園だった場所。
アーチに沿って、ショッキングピンクに塗りたくられたドーム型の趣味の悪い天井の下、それでも関係ないとばかりに瑞々しく咲き誇る草花の中に、雅はいた。
雅は現れたまゆに、まさか来るとは思わなかったと、からかうような視線を向けてくる。
「だったら、時間の指定とか場所の指定とかしてよ。借りを返しようがないじゃんか」
約束を簡単に反故にするような人間……というか天使に見えたのかと思うとむっとなって、返す言葉で頬を膨らます。
「そんなことをしたら、わざわざあなただけにツケた意味がないでしょう? 余計なギャラリーがぞろぞろ付いてきても邪魔なだけだし」
「……」
すかさず返ってくる、どこか屁理屈のような気がしなくもない、そんな正論。
反論できずに言葉を失っていると。
「それに、今こうしてあなたはそこにいるじゃない」
何というか身も蓋もない事を言って、彼女はひとしきり笑った。
「そんなこと言って、僕が来なかったらどうするつもりだったと? ずっとこうして、待ってたってわけ?」
それに、まゆはせめてもの反抗をする。
「……まぁ、今日の今日で来るほどとは思ってなかったけど。あなたに時間がないことくらいは充分わかってるつもりよ」
「……」
さっきとはまるで毛色の違う、無言。
一体どこまで知っているのか。
そんなまゆを見透かすようにしてのぞき込んでくる、彼女の真意は読めなかったけれど。
「てなわけだから早速借りを返してもらいましょうか」
ぎらぎらとした野生の瞳を湛えたまま、雅は本題に入る。
「……できれは痛くないやつがいいとね」
ここに来て臆病風が吹いて、まゆはそんなことを言って苦笑を浮かべる。
雅は、そんなまゆに妖艶な笑みを返してきて。
「だったら忘れないやつを……と言いたいところだけどね。何、簡単なことよ。理事長室のデスクに、手紙があるかどうか確認し、あるなら持ってくる。それだけのことなの」
予想していたのとはまるで外れた、そんなことを言ってくる。
「手紙? それって……」
「理事長が親交の深い生徒……子供たちに宛てたものね。須坂守、大矢塁、石渡怜亜、鳥海恵の四人に」
まゆの聞きたかったことを先読みするみたいに雅は言葉をまとめる。
「そんなの、自分で行けばいいんじゃないの?」
まゆは、その手紙の存在を知らなかった。
それをわざわざ教えてくれる理由が見つからない。
そんな意味も含めて、そう聞いたわけだが……。
「……私たち『敵』には、入れない場所があるの。いや、違うわね。入らないであげてるのよ。例えば……リアの部屋のようにね」
ぞっとするような冷たい笑顔で、雅は笑う。
それは、まさしく脅迫に等しい言葉だった。
父、こうちゃんの世界に閉じこめられたまゆたちのことを。
なぶり殺そうと思えばいつでもできる、と言うような。
もしかしなくてもこうちゃんは、ゲーム感覚なのかもしれない。
ぎりぎりとところでとどまり苦しむまゆ達を、あざ笑っているのかもしれなかった。
「……分かったよ。僕が取りに行けばいいんでしょ」
それが、偽物だと勘違いさせてしまっている自分のせいだとしたら。
やはり当初から考えていた通り、みんなとは一緒にいない方がいいのかもしれない。
こうちゃんの目を、一手に引き受けることができるだろうから。
そんなわけで。
まゆは渋々とばかりに、雅の言葉に頷いてみせる。
「でもさ、はるさんの手紙になにかあると? 持ってきて……どうするつもり?」
「ないならないでそれでいいわ。あるなら破棄するだけよ」
それでも、やるならやるで彼女の意図を把握しようとそんなことを聞いてみたまゆだったけれど。
返ってきたのはにべもない答え。
しかも、はいそうですかと捨ておけない言葉だった。
「何でそんなこと……見られたら困ることでも書いてあるの?」
「そうね。……もっとも、困るのは私たちだけじゃないだろうけど」
心底楽しんでいそうな、意地悪な顔。
それが、とってもしゃくに障ったのは確かなわけだが。
そもそもその手紙は、雅にあてられたものではなく。
はるさんが、愛する子供たちに心を込めて書いた手紙のはずで。
そんなことをする権利は雅にはない。
そんな、正しい言葉を声高に主張しようとして……できなかった。
「……どういう意味?」
低く、まゆは訊ねる。
すると雅さんは鼻で笑って。
「分かってるでしょう? あの人は天使である前に、母親なのよ。それはもう、立派なね?」
「……」
三度目の沈黙。
やはり前の二つとは、一線を画す。
それは一見、言葉面だけで判断すれば、問いに対しての答えにはなり得ない、意味不明の言葉だっただろう。
曖昧で、第三視点にあるものには伝わらないだろう、そんな暗号だ。
それを聞いて理解できるのは、この場においてはまゆだけだったのかもしれない。
がらっと変わる、その場の空気。
「なかなかいい顔するじゃない」
それに一刀投じるように、雅は笑う。
「まぁ、借りを返すか返さないかはあなたの好きにしてくれてかまわないわ。……仇で返すような真似をすれば、あなたが命賭してでも守りたい子たちの命の保証はないけれど」
好きにしていいといっておいて、蓋を開けてみたらカードか一枚しかないという、そんな矛盾。
それはすなわち、手紙の中身を見ようものならば、ルールに従って動いている世界に巣くうものたちが解き放たれる、と言うことなのだろう。
「……よく言うよ」
「そりゃそうよ。高くつくって言ったでしょう? まぁ、サービスはしてあげるから」
ようやく出たのは疲れたような声。
雅はそれにくつくつと笑みをこぼして。
「また、ね?」
そんな捨て台詞を残して、花の根深くに沈み込んで消えてゆく……。
霞のように消えた雅のあとには、手招きしているかのような唇の花がある。
その天使の子一人通れる口蓋の奥には、おそらくは理事長室……下へと後戻りする闇の深淵が広がっていて。
「だから、趣味が悪いんだってばよ」
まゆは言葉とともに深いため息をついて。
蝉動する闇の向こうへと足を踏み入れたのだった……。
(第273話につづく)
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