第271話、存在理由、誓いを破る時、事態は動き出す



奈緒子によると。

氷ドームの壁は、地面に潜るようにして内側に曲線を描きながら続いていたらしい。


それを断面図として展開して考えると、氷ドームは金箱病院をぐるりと囲む球体になっているだろう、とのことで。

ついでに奈緒子の予想では、克葉はその地面に埋まった球の底にいるらしい。



「すごいね、奈緒子さん。よくそんなこと分かるね」


法久が喋らなくなってしまったことに対しての不安がなくなったわけではないだろうが。

表面的にはその不安を見せることもなく、麻理は感心したようにそんなことを言う。


「あ、でも正しいかどうかはわかんないよ? ほとんど素人考えの妄想みたいなものだしさ」


対する奈緒子は、かえって危うく見えるほどにテンションが高かった。

それが、なくした恋人に会えるからなのかは定かではなかったが……。



「妄想ね。そう言えば奈緒子って何かを創作したりするのが好きだったわね」


物書きにありがちな妄想家。

ある意味、カーヴ能力者向きとも言えなくもない。

それは、一見すると内にこもるようなタイプに見えない奈緒子だったから。

意外に思い、覚えてたことで。


「なんか意外。マチカって、有象無象の私の事なんて興味ないって思ってたけど」

「意外は失礼じゃない? 一応クラスメイトなんだし、当然のことだと思うけど」

「う~ん。やっぱり意外かも、うれしいけどさ」


一体どんな風に見えてたのやらと、複雑な心境で反論すると。

奈緒子は同じ言葉を繰り返し、言葉通りに嬉しそうな顔をする。


「意外かな? マチカさん転校生の私にも親切だったよ?」

「よくも言えるわね、そんなことが」

「ははは。それだけ麻理が純粋って事なんじゃないの?」

「……?」


あれだけひどいことをしたのに。

まぁ、後半はお互い様なところもあったけれど。

あきれかえって脱力するマチカに、奈緒子は苦笑いする。

そんな二人に、本気で麻理は不思議そうにしていて……。


そんなやりとりをしているうちに辿り着いたのは。

ナースステーション跡地だった。

奈緒子が見つけた、階下へと続く道とも呼べぬ道がある場所。


その場所へとやってきた理由は単純。

喋らなくなってしまった法久のこともあって、マチカ達に残された道はそれしかなくなってしまったことに尽きる。



「こ、ここを降りるの?」


麻理がどんなものを期待していたのかは分からないけれど。

麻理が驚愕に固まる気持ちは、マチカにも身にしみてよく分かった。

さっきは、カーヴ能力者の世界だから何が起きてもおかしくない、なんて思っていたけど。

改めて常識的に見て考えると、ここを下っていくというのは中々に勇気がいった。


ナースステーションの中央、瓦礫の中。

巨大なモグラか、あるいは巨木を引っこ抜いてできるような穴がある。

その大きさは、人がやっと一人通れるくらいだろう。

覗いて見れはその先にはすぐに曲がりがあり、中に入らねば先がどうなっているのか分からない仕様になっている。


何より、右手に大仰な黒いサックを、左手に大事に法久を抱えている麻理にはしんどそうな行軍である。



「だ、ダメかな?」


せっかく見つけたのに、とばかりにしゅんとする奈緒子。


「ううん。ちょっとびっくりしただけ」


どのみちここを降りる意外に術はない。

麻理の申し訳なさそうな言葉には、そんな意味も含まれているのだろう。


「両手が使えないと厳しいかも知れないわね。麻理がよければどちらか預かるけど」


麻理が持つものは麻理の大切なものだろから、無理強いはしない。

そう思いながらもそんな提案をすると、麻理はきょとんとした後。


「あ、そっか。うん、大丈夫よ」


マチカの方が恥ずかしくなってくるような満面の笑みを浮かべ、サックを持つ右手に風の属性(フォーム)を沸き立たせた。

それは、どこか違うところで見たことがあるようなそんなアジールだった。


麻理の力の発動をまともに見るのは初めてのはずなのに。

何かが違うと思ってしまう。



(あ、そっか)


だが、その違和感の正体はすぐに気づくことができた。

ぽん、とコミカルな音がして、黒いサックだったそれが、鍔の黒薔薇の細工が美しい、野太刀と呼ばれるタイプの大型剣……それを模したイヤリングに取って代わったからだ。


それは、本物ならば黒姫瀬華のウェポンカーヴにあたるもので。

たった今感じた力も、刀に込められた瀬華のものだったのだろう。



「あ、あれ? なんか違うような?」


マチカがそんなことを考えていると。

それを手に持ち、同じように眺めていた麻理が、何故だか首を傾げている。


「麻理、どうかしたの?」

「うん、あのさ。なんか形が違うような気がするんだけど」


気になって思わずマチカが問いかけると、返ってきたのはどうにも答えようのない、そんな言葉だった。


「そんなこと言われても、私たちは実物を見たことないんだけどね。主が違うのだから、形くらい変わるのではなくて?」

「あ、そうか! マチカさん流石だね。そっかぁ、なるほどなるほど」


それでも律儀に考えてマチカがそう答えると。

本気の本気だからこそ余計にリアクションに困るお褒めの言葉とともに、ひどく納得したようにしみじみと頷く麻理。


そんな麻理の姿には、一見しておかしな事など何もないはずなのに。

またしてもぶり返してくる、訳の分からない違和感。


答えの出そうもないそれに、マチカが首をひねっていると。

麻理の一連の動きを実に興味深げに眺めていた奈緒子が、口を開く。


「その剣が、麻理のカーヴの力なの?」

「ううん、違うよ。これは瀬華……ちゃんのだよ。一人だけ仲間外れじゃ寂しいから、連れてきたの」

「あ、そうなんだ。えっと、その。ごめん」

「? あ、ううん。そんな気にすることないよ」


瀬華が能力者同士の戦いにおいて、既にに過去の人であったという衝撃的な事実はマチカも奈緒子も当然知っている。

だから気まずい表情の奈緒子の気持ちは分かるし、気にすることはないと強がる麻理の気持ちも痛いほど分かるマチカだったけれど。



(……っ)


やはりついて回る違和感。

それはまるで呪いのようで。


最初に梨顔トランと会ったその時のように。

知らぬ間に何者かのカーヴ能力……術にかかってしまったのだろうか、とすら思えてしまう。


かといって、どこか身体に異常があるわけじゃない。

心も、正しくも桜枝マチカのものだ。

一度目の失敗の時と違って、そのことに関しては揺るぎない自信がマチカにはあった。



それは、この戦いに参加した、その意義でもある。

一度失ったその命。

重なり一つになったその心。

生まれた勇気は、三条の想い。


たとえ叶わないものと始まった時から分かっていたとしても。

それは強く強く、マチカを支え、証明する。


たとえその命花散ろうとも。

黒の太陽ですらも、その意志は奪えないだろうと。




「……それなら進むことに支障はなさそうね。それじゃ行きましょうか。待ってるだけなんてありえないんだから」


そうして。

発せられた静かで強いマチカの言葉に、異を唱えるものなどいるはずはなく。


三人は、結末の知れぬ物語の一歩を踏み出したのだった……。





            ※      ※      ※





長い長い、永久に続く螺旋階段。

闇の中、まさに悪夢のようにいつまでもいつまでも繰り返す。


それは、決して比喩などではなかった。

仁子は今まさに、それを実感している。


あの、忌々しい自分の心を暴きたてた夢の世界を抜け出してから。

仁子はずっと終わりなき行軍を続けていた。



(……無限回廊には入り込んだのかな)


いくらなんでも、もう終わりが見えてもいいはずだった。

五日目くらいまでは、根気よく時間を追っていた仁子だったが。

それ以降は億劫になって仁子は数えるのをやめてしまっていた。


何せ眠くもならないし、おなかが減ることもない。

それなのにも関わらず、体と心の疲労は確実に蓄積されていったからだ。


突き詰めて考えるのならば。

ここは敵の異世なのだからそのようなことが起こってしかるべきではあるのだが。


そんな幾度となく考えたかも分からないものに惑っていると。

足下に、鈍い光を放つ四角が見えてきた。



「ふぅっ」


仁子は、ため息にも勝る大きな息をついて、虚ろな表情のままその四角の中……階段の横手に見える扉のないフロアへと続くものへと踏み込んだ。



「どうせ、ここも外れでしょ」


呟く仁子の言葉には、諦観だけが含まれている。

何故ならば、ここのような寂しいスポットライトだけがある、それ以外は何もないフロアを、道中でそれこそ数え切れないくらい見てきたからだ。


初めはその光に終わりの希望すら覚えたが。

その希望が費える感覚に、仁子はもう慣れきってしまっていて。



「あっ!?」


それでもと念のために辺りを見回して。

初めてのその場の変化に、仁子は思わず大声を上げてしまった。


視線の先にあるのは、五つのスポットライト。

それが照らすのは、赤い鉄壁のエレベーターだ。


「……」


逸る気持ちを抑え、仁子はエレベーターへと近づく。

またしても打ち砕かれるかもしれない希望に耐えられるようにと、ゆっくり、ゆっくりと手を伸ばす。

下を指す、黒い三角のボタンへと。



「あ……」


しかし今回ばかりは、その希望は潰えなかったらしい。

鉄の響く音とともに、開かれる希望の扉。

天井から降り懸かる照明がまぶしい。

圧倒的に思えるその光に、しばし圧倒されていた仁子だったけれど。


そのまま立っているとすぐに閉じてしまうような気がして。

はっと我に返った仁子は、慌ててエレベーターの中に駆け込んでゆく。



「ふう」


さっきとは180度違う、安堵のため息をつく仁子。

その間にも、オレンジ色に光る数字が目まぐるしいスピードで横滑りしていって。


光る数字が、50を示した時。

不安を煽る、浮くような感覚とともに辺りに静寂が支配する。

それは、着くべき場所へと辿り着いたということで。



「……」


弱気を飲み込み、前を見据える仁子。

その時ばかりは、ようやく訪れた変化に対しての高揚の方が大きかったけれど。



音もなく扉が開いて。

青い光に溢れる世界が広がって。



仁子は後悔する。


こんな光景を目にするくらいならば。


終わらない階段を下っていた方がよほどましだったと。



「さぁ、今度は俺の夢を叶えてもらおうか……」


おどろおどろしい青い光に縁取られて。

場にそぐわぬ笑みを浮かべる克葉がいる。

その、青白く輝く氷の腕で、さつきの身体を貫いている。


さつきの表情は見えない。

ただ、だらりと垂れる彼女の細い腕が、全ての悪夢と絶望を体現していて。



「――――っ!!」


仁子は叫んだはずなのに。

それは言語としては仁子の耳に届かなかった。


それがあまりの音量で。

耳がとうに使いものにならなくなっていたことなど。


仁子自身が、気づくこともなく……。



              (第272話につづく)






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