第270話、青光りする鬼の居ぬ間に先へ先へ



「……揺れてる?」


それは、最初は気にしなければ気づかないほどの僅かなものだったけれど。

だんだんだんだんと大きくなって。

明らかにそれが地震による揺れではないことを理解して。

いい加減足下と頭上を気にしなければならないくらい揺れが強まった時。

轟音あげて日の高い空を一瞬で覆ったのは、ここへ来る前に見た氷ドームだった。


透ける氷の天井により、それまで一色だったはずの光が七つ彩られ大地へと降り注ぐ。

そしてその光は、まるでミラーボールのように照らす色をめまぐるしく変化させていた。


どうやらその天井は、少しずつ少しずつ厚くなっているらしい。

それ故に、光はめまぐるしく変化しているようだ。

最もその光は天井が厚くなるに連れて弱くなり、しまいには届かなくなるのだろう。

その突然の出来事に初めはただただ唖然とすることしかできなかったマチカ達だったけれど。



「なんだかきれいだね」

「ふぅむ。拍子抜けでやんすね。おいらはてっきり、この中にいると何かしら影響が出るものと思ってたでやんすけど」


それは、意味合いこそ違えど、のんびりとした麻理と法久の言葉によって解かれる。


「確かに。名前の割には寒いわけでもないし」


マチカはそう呟き、試しにその手のひらに桜の花びらを生み出し、舞わせてみた。


「……」


マチカがほとんど無意識のままに作り出した幻想的な風景。

それに、奈緒子は一言も発することはなく、惚けたように顔上げて見つめ続けている。

生まれた春風とともに舞うそれは、マチカのカーヴ能力としてこれといって問題はなく。

カーヴ能力者として何か影響があるわけでもなさそうで。



「これって一体何のためにあるの? 私たちを出られなくする為?」


そこで、当然の疑問を口にしたのは麻理だった。

だとするなら、ここに来たときに氷ドームがなかったのは納得できるが……。



「どうでやんすかね? ちょっと見てみるでやんすか」


少し寄り道になってしまうが、調べておいて損はないだろう。

そんな法久の言葉に特に異論はなく、連れ立ってドームの終わり、金箱病院の敷地のぎりぎり外へと歩き出す。



まもなく辿り着いたその場所には、さすがに天井よりは分厚いだろう氷の壁がずっと続いていた。



「かっちゃん……」


おそらくは本能で。

それが、塩崎克葉が作り出したものであると悟ったのだろう。


「あ、奈緒子ちゃん、ちょまっ」


法久が誰何の声を上げるより早く、それに近づきその手に触れる。

奈緒子はそのまま微動だにしない。

一瞬だけ、いやな雰囲気がその場に漂ったが。



「冷たい、これほんものの氷だ。これがかっちゃんの力なんだね」


特に何があった様子もなく、感慨深げにそう呟く奈緒子がいる。

どうやら平気そうなので続くようにしてマチカもそれに触れてみた。


確かに冷たい。

しかしそれがガラスか何かでないのは、手を離すことで生まれる水滴がそれを証明していた。


「う~ん。これ多分、出ようと思えば出られるんじゃないかな」


同じように手を触れさせていた麻理は、氷を軽く叩いてからそんなことを呟く。

ようは、出るだけなら壊すなりすれば簡単だと言うことなのだろう。

麻理が多くを語らなかったのは、惚けたままの奈緒子に気を使っていたからに違いない。



「なんでやんすか。それじゃ氷ドームを貼る意……っ」


だが。


何の意味も持たないなんて考えていた楽観論は。

真似るようにして法久がそれに触れることで、一瞬にして瓦解した。


不自然な『い』の余韻。

まるで凍り付き止まってしまったかのように、法久は物言わぬ人形と化す。



「法久? ねえ、ちょっと。どうかしたの?え? なんで返事してよっ!」


それを間近で感じていただろう麻理が、まさしく寒さにやられて凍り付いたかのように白い顔を一層に青褪めながら、必死位揺り起こしつつ叫ぶ。


「嘘……」


それを見て、文字通り信じられないものを見るように、あり得ないもの見るようにして、奈緒子が呆然と呟いている。


敵であることは分かっているはずなのに。

克葉が自分たちを傷つけることなんてあるわけないと言わんばかりに。

一瞬にしてその場に訪れる、絶望めいた沈黙。



「ピー。通信エラーです。何者かのカーヴ攻撃を受け回線が中断されました。回復次第復帰します。」


しかし、その重い沈黙を破ったのも、そんな法久の声だった。



「……法久、大丈夫なの?」


それに、思わず反応して、言葉を返す麻理。

それも無理はなかったのだろう。

その言葉は機械的でも無機質でも何でもなく。

おどけた様子の、さっきまでの法久と変わらない声音だったからだ。


とは言え今のは、改めてここにいる法久が機械のファミリアで、本物ではないことを如実に表す言葉だった。


恐らくは、目の前の氷ドームは、ファミリアを含めたカーヴ能力を遮断する力を秘めていたのだろう。


だから法久はこうして一時停止してしまった。

緊急事態に対応するメッセージにしては随分と詳しげな法久の言葉を判断するに、どうやらそれは間違いなさそうで。


「……」


動かぬ人形と化した法久を、手放してしまったことを後悔するみたいにぎゅっと抱きしめて俯いている麻理。


マチカが思ってた以上に麻理は動揺していた。

奈緒子はどうだろうと視線をやれば、彼女は一瞬にして危険なものと成り代わった氷ドームに近寄りしゃがみ込んでいるのが分かる。

そんな奈緒子に、マチカが声をかけようとして。



「……やっぱり。下の方から来てるんだ、これ」


麻理ほどは気落ちしていない、そんな奈緒子の呟き。

それどころか、氷ドームについてなにやら調べていたらしい。


「やっぱりかっちゃんは下にいるみたい」


克葉に会えることを確信したからなのか。

随分と前向きな奈緒子の言葉。

顔を上げ麻理を見て、駆け寄る。



「ごめん、麻理。うちのかっちゃんが犯人だよ。下にいるみたいだから……とっちめてやらなくちゃ」

「うち? 奈緒子ちゃんのものなの?」

「うわ、そこに突っ込むの? でもここは頷いとくけどさ」


奈緒子の前向きでまっすぐな言葉に。

やがて麻理は顔を上げ、微かに笑みをこぼす。


「そうそう。起こってしまったことは仕方がないし顔上げていきましょ。そのうち復帰するって言ってるんだから上等じゃない。小うるさいのがいない今のうちに先に進みましょ」


法久の言葉を頼みにしてマチカはすかさずそこで大仰に口を挟む。


「うん、そうだよね。ありがと、マチカちゃん」


すると麻理は、それもそうだと思ったのか、次の瞬間にさそう言って頷いてくれたから。


「別に礼を言うような事じゃないけどね」


マチカはなんだかこそばゆいものを感じて。

見え見えのつっけんどんな言葉とともに先頭切って歩き出していったのだった。


一昔前の自分と比べたら。ずいぶんと丸くなったものだ、なんて事を思いながら……。



            (第271話につづく)








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