第269話、あるがまま受け入れるのは、ストライクゾーン低めに入っているだけじゃなく



一方、その頃の知己は。

法久の七割適当な場を和ますジョークと、ある意味それほど変わらない状況に置かれていた。



「……異世か。あえて己を狙うとはなかなか」


そこは、上下左右がわやくちゃになるかのような一面が蒼の異世のようだった。

病院内を歩いていたら、予告なしのいきなりのご招待。

知己対してそんな喧嘩をふっかけるどころか、能力者としての自殺志願のような行為に、知己は新鮮な驚きを覚えていた。


どこまで行っても青一色なので、じっとしていると青い壁の中にはめ込まれたようにも思えるし、終わりのない空へと落下を続けているようにも思える、そんな異世。


知己は興味を引かれ、蒼の世界を探索しようと一歩踏み出す。

それは、相手が仕掛けてこない限り手を出さないといった知己自身のポリシーがあったかが故の行動であったが。



「お? なんだなんだ?」


一歩二歩と踏み出した途端。

永遠に続くと思われた青い世界が渦を巻く洗濯機の水のように歪み、そこから吹き出すみたいに様々な色が溢れてくる。


それは例えば、地面に広がる砂場の色。

周りを囲む、森の色。

あせた白黒のパンダの色。

派手なピンクに塗られたジャングルジムの色。

落ち着ける温もりを保つベンチの色。


そして……深い懐愁を呼び起こす、黒髪おかっぱの少女の色だった。




「やあ、お兄さん。待っていたよ」


見た目にそぐわぬ、アンニュイな微笑み。

何故か知己を呼ぶように、その漆黒のワンピースからのぞく細い足を踏みならしている。


とん、とん、とんと。

まるで、だだをこねるみたいに。


少女と言ったが、その行為が全く似合わぬほどに年を重ねているようにも見える。

それは、見た目の幼さよりも、その雰囲気に起因しているのだろう。


だが、それより何より。

目の前の少女は、知己の見知った人物だった。


「妹達が世話になったようだね」


かと思ったら。

そんな知己の考えを少女は言下に否定する。


「……そうか。君が真琴ちゃんや晶ちゃんのマスターか」

「ふふ。流石だねお兄さん。晶がファミリアであることは、一言も言ってなかったはずなのにね。……そう、わたしはレミと言う。この異世のあるじさ」


妹達、という言葉だけでその答えを導き出した知己に対して、素直に感嘆の言葉を述べる少女、レミ。


この異世を作り出した人物は間違いなく目の前の少女であるはずなのに。

知己を物言わず異世に呼び込んだのは彼女のはずなのに。

知己には、彼女が驚くくらいに落ち着いているように見えた。


知己に対して気後れせず。

かといって敵意や害意などかけらほどにもない。

そこにあるのはむしろ、親しきものへの好意だった。


「……真琴ちゃんのことは、本当にすまなかった」


だからこそ。

鏡のように知己も、穏やかに真摯になる。

その時には既に、知己の戦意全くのゼロになっていた。

そこにはもちろん、法久の言った胡乱げな理由もあっただろうけど。



「お兄さんが、彼女を傷つけるつもりでやった訳じゃないことは分かっているつもりだよ。冷たい言い方をすれば、彼女はあの時既に使命を果たしていた。どのみち、私に還る運命だったんだ」

「でもさ、そんな簡単に許せることじゃないだろ」


過失はないことを強調したレミだったけれど。

逆に知己自身がそれにお気に召さないようだった。

自分自身に、怒りを抱いている。


「お兄さんが真摯な謝罪の言葉をくれただけで十分救われているよ。今、彼女は私の中にいる。それに偽りはないつもり」


それだけで、知己が言った通りのほんの僅かにあった許せなかった気持ちが薄らいでゆく。

だが、当の知己はそれでは納得しないだろう。


「それでも尚、真琴のことを憂いてくれるのならば。そんな彼女の使命を無駄にしないためにも、わたしの話を聞いてはくれないだろうか」


それならばと。

レミはそのきっかけを利用し、知己をこの世界へと招き入れたその本題を口にした。


「ああ。そのために君はここへ呼んだんだろう?もちろん、聞くよ」


真面目な面持ちで。

何疑うことなく、知己は頷く。

当然のごとく、レミが知己の組するものとは一線を画しているだろうことを、理解しているのにも関わらず。


それこそがきっと。

知己の強さで。

レミはそれを改めて肌で感じつつも、同じように頷き返し、言ったのだった。



「では語ろう。お兄さんにとってもっとも必要であるものを。……完なるものの、そのルーツを」


長い長い、その悲劇の物語を。

ゆっくり、ゆっくり、傷つかぬように優しく。

紐解くようにして……。




            ※      ※      ※




「……そしてだれもいなくなった、でやんすか」


集合場所に知己が現れずして一時間強。

マチカ達は連れだって知己を探し回ったが、地上階には知己どころか敵の気配も全くなく、やはり人っ子ひとりいはしなかった。


「法久さん。それはさすがに笑えませんわ」


今の状況を如実に表すような、法久の場を和ますつもりだったらしいおどけた一言に、馬鹿にならぬ不安を覚えて、マチカは思わずそんな言葉を返す。



「それもそうでやんすね。ごめんでやんす」


かといって、そんな風にしゅんとして真面目に謝られるのも逆効果なわけで。

その場に何とも言えぬ空気が降り懸かり、自分の発した言葉に後悔しているマチカがいたけれど。


「やっぱりみんな下の階にいるのかな?」

「病院の地下かぁ。よく考えるとそれだけでなんか怖いな」


麻理と奈緒子がそう言うように。

マチカたちに残された道は、一度集合のためにと保留していた地下の探索なのだろう。


そこに知己や他の仲間たちがいるという確証はなかったけれど。

知られざるその地下は、現状を打破する何かがあるだろうことは間違いなさそうだったからだ。



「鬼が出るか蛇が出るか。奈緒子ちゃんが見つけた地下に続く穴か、おいらの見つけたエレベーターか。道は二つに一つでやんすね」


そしてそれは、法久がそう言うように。

十中八九敵の罠の可能性は高いだろう。

ちなみに、エレベーターの方は法久の能力で何とか復旧可能らしい。


「あ、二つじゃないでやんすね。このまま動かざること山の如しって手もあるでやんすから」


安全そうだけど罠が待っていそうな道と、道中は行き難いが待ち構えられる可能性は薄いだろう道のどちらを選ぶべきか。

なんて考えていたら、その時ばかりは真面目な口調でそんな事を言う法久。


どちらも選ばず、何もしないで待つ。

知己の事だから、うまくやってくれるだろう。

知己に任せておけば今ここで起こっている何かをすぐに解決するに違いない。

下手に動くよりは確かにそれが一番確実そうに思えてしまうマチカである。


口調には出さないが、おそらくそれは法久の考えうる最良の手なのだろう。

特に、マチカ達の無事を第一に考えるのならば。



「それはないですよ。私、かっちゃんに会いに来たんですから」


結局法久も、知己と考えていることは同じ。

悪い言い方をすれば、足手まといに思っているのかと、憤懣やるかたない気分のマチカだったけれど。

そんなマチカより先に口を開いたのは、奈緒子だった。


「そうだね。これで待ってるだけじゃわざわざ志願してここに来た意味ないもの」


それに、頬を膨らませて同意する麻理。


「マチカちゃんは、いかがでやんすか?」


すると、そんな麻理に抱えられている法久は、反論を返すこともなく受け止めて、マチカにそう聞いてきた。



「麻理の言う通りね。ここで待機を選ぶならばわざわざ母の反対を押し切ってこんなところに来たりしないもの」


それは、聞くまでもない答え。

法久は三者三様の言葉を噛み締めるようにして聞き入れ、深く頷いていて。



「んじゃ、初めの二択に戻るでやんすか」


自身の意見など初めから反映されないことなど百も承知とばかりに至極あっさりとそんな事を言う。


ならば何故、敢えてその言葉を口にしたのだろう?


マチカはほんの一瞬、そんな事を考えたけれど。


浮かぶ疑問は、しかしすぐに消え去った。



             (第270話につづく)






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