第426話、君がそこにいてくれることが、ただその小さな奇跡
「ちょっとぉ、もう! ついさっきまでカナちゃんのけはいあったのにぃ! なんで、どうしてっ! まさかもうとびら、あけちゃった!?」
顔を真っ赤にして、もうほとんど涙目で。
せわしなく駆け回るも、彼女……正咲はベンチに座る『もう一人の自分』も、その後ろにいるカナリのことにもすぐには気づけない。
【歌唱具現】、ネイティアに属する能力、『影・海神(わだつみ)の木』。
そんな……世界に潜み溶けいく力を、高めていたアジールにより歌い語ることなく発動していたからだ。
「ちょっ、落ちつくとね、正咲っ! その例の『時の舟』、とびら? ってこれじゃなかと?」
「だいじょぶです。このとびらですか? リアには噴水さんに見えるですけど、まだ力が、電源入ってないみたいです。ええと、この鍵を……どこに使えばいいのです?」
(……っ!)
無意識のうちに潜み隠れたのは、想定よりそこにいる人物が多かった事もあるのかもしれない。
異世界へ旅をするという『時の舟』は、仲村幸永が確かに口にしていた、その始動キーとなるものがあれば、動かすことはできるのだろうが。
人智を超えた力であり、何人もがその舟に乗り込めるわけではない。
恐らく、その定員は多くても3~4人。
現れた人物、二人の天使のことを測りかねたこともあって、思わず隠れてしまったのも確かであったが。
それとともに、時の扉を開けるために、犠牲によって成り立つその鍵が、そこにあるのならば。
自身が身代わりに、代償になる必要はないと気づいてしまった部分もあるだろう。
いまここで使わなくてもいいのならば。
他に使う機会があると。
はっきり思い出してしまたせいもある。
どちらにせよ、今ここでいたずらに顔を出せば。
カナリ自身が鍵となる必要はないって。
あるいは、いっしょに行こうって。
マスター……正咲が、そのひまわりのようなうれしげな笑顔で口にするだろうことはもう間違いはなくて。
そんな笑顔を向けられたのならば。
きっとカナリは一番欲しかったものを手にできないまま、終わってしまうかもしれない。
故にこそ、カナリは。
震えて縮こまるかのように、見つからないようにと祈ることしかできなくて。
「あっ、うん。そうだよ。それがにじの……ううん、『時の扉』さ。ええと、たしかに、まだ動かしたかんじはないね。カナちゃん、もうきてるかと思ったけど、まにあったのかな。それじゃあ、今のうちに、じゃないけど、ほらその、下のとこに鍵穴みたいなのがあるでしょ」
「おおー。これですね。では早速、リアがやるですよ」
「扉っていうか、ただの噴水に見えるけど、この中を行くなら、やっぱり舟なのか……」
小さくて可愛らしい、年下の天使の少女は。
カナリがそんな葛藤の中にいる間隙を縫うようにして。
その、心なしか朱の染み入ったかのごとき鍵を『時の舟』のための扉(発着場)へと差し込んでいく。
すると、その多大に込められし力が、噴水に讃えられた泉に染み込むように広がっていって。
透明だった水が、虹色へと変わっていくのが分かって。
「わわ、色がかわったです。虹の色ですね。こんな泉、初めてみたですよっ」
「いや、うん。確かにこの色合いの中に入っていくのは勇気がいると思うけど、なんばしょっとね。どこかで見たことがあるというか、天丼にすぎるというか……」
『時の舟』の発動前の兆候。
天使の姉妹がそれを使い、異世界ヘ足を運ばんとする気満々で微笑ましいやりとりをしている中。
やはり正咲はカナリがすぐ近くにいるだろうことを確信しているようで。
時の扉……通称『虹の泉』というべきものの扱いをとりあえず二人に任せたらしく、未だ少女の姿であるのに、みゃんぴょう……マスコット的小動物な動きで、鼻筋をぴくぴくすんすんさせつつ、カナリを探し始めて。
「ああ……もう、これじゃだめだめだぁっ、えぇいっ!」
かと思ったら、癇癪起こしたみたいに声を上げたかと思うと。
正に今話題にしていた、至上のマスコットそのものであるみゃんぴょう……ひまわり色の猫に変身したではないか。
「……っ」
カナリは、自身が【歌唱具現】サードの力である、『影・海神(わだつみ)の木』といった能力を、タイトルもフレーズもなしに発現したことを棚に上げて。
あっさり能力を行使……変身してみせた正咲に舌を巻きつつも。
見つからぬようにと更にぎゅっと縮こまる。
……それは、無意識の行動によるものだったのだろう。
きっとお互い全身全霊をもって隠れ、あるいは探す気はなかったのかもしれない。
何故ならば、二人は分かたれた個々のようでいて、元を辿れば同じものであったからだ。
見つけて欲しいけれど、見つかりたくない。
探したいけど、探したくない。
お互いに状況と心情が、結果的に分かってしまうからこそ、その相反する板挟みに中途半端な形となってしまっていて。
そうなってくると、優先されるべきものは。
正しくも偶然が、少しずつ少しずつズレることによって変わっていくものであると言えて。
「……カナちゃん! みぃつけたっ!」
「わわっ」
ドウダンツツジの茂みのその向こうから、ひょっこり顔を出すみたいに。
結構な衝撃と、何だかあったかでふかふかな感触に。
カナリが恐る恐る顔を上げると。
そこには、想っていた通りの、ひまわりが咲いたような正咲の笑顔がある。
……それはきっと。
絶望に染まる『もう一人の自分』を目の当たりにしたことによる、最低限ながらも最悪の回避、だったのだろう。
可能性の道筋のひとつとしては。
流されるまま、致命的なズレを取り戻すことができないままに。
二人が悲しいぶつかり合いの憂き目にあってしまう結果があったのも確かで。
そういう意味でも、至上の愛すべき存在、みゃんぴょうとなった正咲の選択は、正しかったと言えるだろう。
その見た目以上に柔らかく心地よい感触に、知己でなくとも、戦うまでもなくやられてしまう、といった気持ちが良く分かってしまって。
思ったよりも凄かった正咲のとっしん力に多少よろめきつつも。
カナリは自然と彼女を、全身をもって受け止め抱きしめてしまっていて……。
(第427話につづく)
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