第425話、終末を迎えんとする、虹の崩壊を目の当たりにしたからこそ
―――所変わって。
『時の舟』の座す、代々透影家が守り受け継いで来た場所、通称カナリの屋敷。
「……」
紆余曲折あって、カナリはついにその場所へと帰ってくることができた。
その手には、淡く光り鳴動しているように見える、少し大きめのスケッチブックを掲げている。
山の中腹にある屋敷を、じぃと見つめながらカナリは。
全ての始まり、ここを出ることになるきっかけ、屋敷の庭園に置かれたベンチに座り、終末のその瞬間を切り取らんとしていた、『もう一人の自分』のことを思い出す。
一人の少女の、その魂の残滓が染み込み溶け合う、そのスケッチブック。
屋敷のどこを探しても同じものは見つからなかったから。
一体どこから持ってきたのかと、ずっと疑問に思っていたが。
蓋を開けてみればそれは、未来から持ってきたものであったらしい。
終わりのその瞬間を、肩代わりしてくれると言う『もう一人の自分』。
その事を知り得て気がついたのならば。
幸運にも『もう一人の自分』がいる場所を知っていたからには、とにかくその場所からできるだけ遠ざかるべきであったのだろう。
しかしカナリは、そうしなかった。
正確には考えもしなかった、というのが正しいのかもしれない。
何故ならばそこには終わりから逃れるための、ひいてはこの世界を救わんとするものが旅立ち、乗り込むべき『時の舟』があったからだ。
本来なら、それを代々管理している透影家のものが、その身をもってそのための扉(発着場兼乗船口)を開くことで、そんな一縷の望みは、成就に向かうはずであった。
カナリは、透影家最後のひとり、透影・ジョイスタシァ・正咲のファミリアとして、そんな仕事を全うするために存在していたはずなのに。
それを誰よりも拒否し抗わんとしていたのは、正咲本人であった。
カナリの記憶を奪い、自らファミリアに成り代わって。
そのままカナリの存在理由(レーゾンデートル)すら、奪おうとしている。
何もかも忘れていた頃であったのならば。
それを一にも二にも拒否して、反発していたのだろうか。
でも今のカナリは、ある意味で思い出さなければならないもの以上のモノを取り戻しあふれてしまったから。
正咲も、カナリ自身も、犠牲になんかしたくなかったから。
正咲が先走ってしまうよりも早く、この場所へと帰ってこなければいけなかったのは確かで。
(異世の結界……一枚目だけが壊れてる。どうやらまだ間に合いそう……)
奇しくもそれは、カナリ自らが捕らわれかかった『ハートオブゴールド』の二重結界を参考にしたものである。
『ハートオブゴールド』は、一枚目の結界……異世の壁を壊したその先に、もう一つ異世があったわけだが。
カナリの屋敷を覆う結界は、中にある一枚目を分かりやすくその存在を主張させることで、外側にある薄氷よりも割れやすくなんの抵抗もない二枚目の結界を、気づかれにくくする意味合いもあった。
そもそも一枚目を破壊された時点でカナリに分かるようになっていた……と言う点を正咲も当然知り得ているはずであると断定して、それを逆手にとった形である。
恐らく正咲は、一枚目の結界を避けるようにして、山の地下にある古き地下壕の方へと向かっていることであろう。
無限ループにも等しい、二枚目の結界を通過、壊されることによって発動する、いわば三枚目の結界……異世に閉じ込められているという事実に、そろそろ正咲も気づく頃だろうか。
カナリは何も語れずに一人置いていかれるという最悪の展開を回避できたのはいいものの、どちらにしろ急がなければと思い立つ。
お互いのことをよく知っているのは、カナリも正咲も同じで。
それほど時間をかけることなく、マスター……正咲は『時の舟』の元へ辿り着くだろうことは間違いなくて。
カナリはすぐさま、能力【歌唱具現】の力により翼を生み出し飛翔し、一枚目の薄紅色めいた柔らかい材質の異世を解除しつつ屋敷を目指した。
それにより、カナリ自身が追いつきここまで来たことにも、正咲は気づくだろう。
後は、中庭にある『時の舟』が発着する場所、時の扉(乗船口)に向かうだけ。
久しぶりの再会。
何を話そうか。
ひまわり色の猫(みゃんぴょう)となった正咲を見送った時には。
まさかこんなことになるだなんて思いもよらなかったが。
その後を追うかのように外へ連れ出され、飛び出したことで。
お互い最悪の結末を迎えずに済みそうなのは、僥倖だと言えるだろう。
……なんて思えたのも。
どこか目を背けて、忘れていたわけでもないのだが。
きっと極力考えないようにしていた、ベンチに座り終末の刻を描く、『もう一人の自分』のその貌(かお)を伺い見る、その瞬間までであった。
「……っ!」
その泡沫(うたかた)のごとき儚い表情を目の当たりにして。
逸っていた気持ちも。
何とかなりそうだと決めつけていた安堵感も。
結局なぁなぁのままで。
流されるままに、答えが出ないままにやってきてしまった自身への葛藤も。
そのすべてが霧散していくこととなる。
「どうして、そんな……」
悲しい? あるいは、亡失か。絶望か、諦めか。
初めて『もう一人の自分』の姿を目の当たりにした時にも、同じような言葉を口にしたはずであるのに、どうして今の今まで忘れていたのだろう。
どうして彼女……未来の自分は、そんな顔をしてそこに取り残されている?
マスターである正咲と、いつか未来にこの世界を救うであろうさいごの救世主と、カナリの三人で。
後ろ髪引かれつつも、希望を胸に旅立つのならば。
『彼女』が見せる表情は、目の前の光景は一体なんなのか。
……必死になって、その答えを出そうと没頭していたからなのだろうか。
「ふいぃ、 やっと外に出られたとねーっ」
「……っ!」
急に見知らぬ、知らない声のはずなのに。
心のどこかがそれを否定しているかのような、そんな声が聞こえてきたからなのか。
カナリは条件反射で。
咄嗟にベンチの後ろ、ドウダンツツジの植樹帯の茂みの中へ隠れるように逃げ込んでしまう。
「わぁ、すてきなお庭です~。おうちとぜんぜん違いますね。いろんな色のお花がいっぱいです」
「やーーっとでれたぁっ!! どこっ!? ますたー……じゃなくてカナちゃんは、どこよぉっ! まにあったんだよねっ?」
その中に、やはりカナリがここへやってきていることに気づいていたらしい、正咲の声もあった。
カナリと同じように、先走ってひとりで時の扉を開け放ってはいやしないか、焦っていたのだろう。
そんな彼女を安心させるために。
すぐにでもそこから飛び出して再会を深めればよかったのに。
カナリの身体は動かなかった。
むしろ、無意識なまま、黙したままでアジールを密かに高め能力を発動せんとしていたくらいで。
その理由はたったひとつ。
終わりを迎えんとしている顔で、ベンチにずっと座り続け空を見つめている『もう一人の自分』の存在、その理由に。
答えを出さなければどうしようもないと。
知らなければおめおめとこの世界から逃げ出すわけにはいかないと。
気づいてしまったからだ……。
(第426話につづく)
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