第75話、虚ろな黄泉がえりしもの、オロチ
「……」
美弥は、ずっと黙ったまま知己たちのやり取りを見ていて。
詳しいことは全くと言っていいほど分からなかったけど。
最後には何だか自然と安らかな気分になるのを自覚する。
音楽というものの力が本当に素晴らしいものだって改めて実感する喜びとともに。
今まであった燻った心のもやもやが晴れていくような気がしていたのだ。
―――なのに。
そんな美弥の感情も、知己の言葉も、今日のライブの素晴らしさも。
全て蔑ろにしてしまいそうなことが起こるなんてこと、その時誰が想像しただろう。
「ワタシは元々、大きな派閥には属していない、売れないピアニストでした。実際たいした力もなく、同僚の妻と愛しい娘と、カーヴの波に飲まれないよう、必死に、それでも幸せに暮らしていたのです」
それから稲葉は、促され諭されるままに。
パームのこと、何故こんなことをしなければならなかったのか。
顔を上げぬまま、滔々と語り始める。
「ですがそれも、あの『パーフェクト・クライム』の事件をきっかけで180度変わってしまいました。ワタシは妻を失い、娘は今もその力の影響で、死の縁を彷徨うようになって。……ワタシはただ日々に絶望し、どうしようもなくなった、その時のことです。パームというカーヴ能力者の団体の、バタフライという人物が現れたのは。今思えば、その弱みにつけ込まれたのかもしれませんが……その人物は、藁をも縋りたい気分だったワタシに、こう言ったのです。『……与えられた力を使いこなし、任務を遂行すれば、おまえの願いをかなえてやる』、と」
稲葉はそこで疲れたように一息おく。
それは、パームという団体に対しての新たな事実であるが。
それを受けて考えてみると、いくつかのさらなる疑問が浮かんでくる。
「そのバタフライって人が、パームのボスでやんすか?」
「どうでしょう。分かりません。フルフェイスの仮面を被ってましたし、ただ言われるままでしたから……」
伺うようにまじめな口調でそういう法久に、稲葉は曖昧に首を振った。
「その、願いが叶うって言葉に乗せられたのね?……その言葉ホントかどうか、よく信じたわねえ。まあ、気持ちはよく分かりますけど」
少し感心したように恭子がそう言うと。
稲葉は自嘲的な笑みを浮かべ、それに応じる。
「確かにどうかしていたのかもしれませんです。弱みにつけ込まれて目が眩んでいたのでしょう。『命と引き替えに願いを叶えてくれる伝説の生き物を確保している。』なんて荒唐無稽なこと、どうして信じたのか。それだって今考えれば、そんな都合のいいもの、あるはずないって分かりそうなものなんですがね」
「……」
それを聞いた法久は、どこかで聞いたことがあるような気がして首を捻る。
ごくごく最近聞いた気がして、すぐ思い出せそうなのになかなか出てこない。
法久がその悔しさみたいなものに唸っていると。
そこで口を挟んだのは圭太だった。
「それにしたって、その命とやらは人を傷つけるものだってわかってたのだろう?
自分の願いが叶うと言われただけでなぜ引き受けた? こんなことを」
憮然としたその口調は、裏を返せば圭太から見ても甘いと思える知己たちの代わりに憤っているように見えなくもなかった。
それを聞いた稲葉はバツが悪そうに顔を伏せ、それでもぽつぽつとそれに答える。
「言われたのですよ。ワタシの妻を奪い、娘を苦しめている……あの『パーフェクトクライム』の使い手が、『喜望』の中にいる……とね」
「……っ」
カナリはそんな稲葉の言葉にはっとなった。
ふと、うず先生のあの言葉が浮かんだからだ。
「……そんなっ! そんな人いるわけないじゃん!!」
それに対し恭子も知己も法久も、とっさに言葉を返せない中。
そう叫んだのはちくまだった。
まっすぐに信じて疑わないその言葉に、何故かカナリ自身の心中にくすぶる疑念の気持ちが消えていく……。
「そうですな、そんな人がいるわけないってこと、一緒にライブに参加してよーく分かりました。まあ、してしまった後にこんな事を言っても、先のないことではありますがね」
沈みかけ、半分自棄になっているかのような、稲葉の言葉。
その言葉に知己は、やはり相手が全て一方的に排他すべき敵であると、簡単に断ずべきではないと改めて実感した。
彼の荒んだ心を救ってあげたいと、心から知己は思う。
100%確証は持てないが、カーヴ能力による怪我ならば『喜望』直属の金箱病院、あるいはスタック班(チーム)ならばどうにかなるかもしれないのだ。
―――そう思って知己が再度口を開きかけた時。
それより先に割って入ったのは。
思いもよらない人物と、その言葉だった……。
「……確かに茶番だねえ? どいつもこいつもギゼンにまみれて砂を吐きそうだよ。反吐がでる。そう思わないかい? ウラギリモノの稲葉さん」
「……っ!?」
聞いただけで嫌悪感がつのるその声。
知己はそれを実際今日一日聞いていたはずなのに。
今更どこかで聞いたことのある声だと、認識している自分に混乱していた。
ばっと振り向いたそこには、今まで影のように語ることなくひっそりと佇んでいる、峯村富太がいる。
「あ、あんたはっ? ま、まさかっ!?」
最悪の想像とともに、稲葉の体は震えだし、その場が新たな緊張に包まれるのが分かった。
峯村はそれをまるで意に介した様子もなく、言葉を続ける。
「そのまさかだよ、稲葉さん? やっぱり駄目だったねえ。ま、期待もしてなかったけどさ」
「き、君は?」
「おやおや。一度僕を葬っておいてつれないねえ。もう忘れちゃったのかい? ……ああ、言われてみれば君には名乗ってなかったかもしれないね。僕はパーム六聖人の一人、オロチだよ」
そう言って峯村……オロチと名乗った少年は、歪んだ笑みを知己に見せた。
それに対して動揺を隠せないのは知己である。
「そんな? どう見たって別人じゃないかっ!」
しかもオロチは、確かに知己が落とし……彼の力を奪い、能力者としての記憶を失わせたはずだった。
一瞬だけやられたふりをして実はそうでなかった可能性も思い浮かんだが……。。
「どう思おうと僕はオロチであることに変わりはないよ。もしかしてあまりに眼中になくて、忘れたとでも言う気かい? まあ、そうだろうねえ? 僕が潜んでいるのに、今の今まで気づかずにいたんだからね」
「……」
図星であるのかそうでないのか、苦い表情で押し黙る知己。
その表情にはどちらかというと、気づかなかったことよりも。
ライブで音を楽しむ者として、心が一つになったのにも関わらず、それを否定しようとするオロチ……ではなく。
峯村を思ってのものなのかもしれなかった。
「何がしたいんだ、今更、今になってっ!」
「一つは君への報復かな? 僕はこう見えても根に持つタイプでね、君に味合わされた屈辱を返しにきたのさ。それにね、君が使いこなせていないと言ったこの力……確かにその通りだったよ。僕がこの力を使いこなすのに源となるもの、心のつながり、あるいは絆とでも言えばいいのかな? おかげさまで、よ~く分かったよ。はははっ、礼を言わなくちゃならないねぇっ!」
「……っ!」
心底見下したように、オロチが笑い声をあげた瞬間。
それまで何もなかった水面に大きな波紋をうつがごとく、広がる灰色のカーヴ。
「……事情はなんとなく分かったでやんすよ。あなたがこの『喜望』とパームの戦いの口火を切った人でやんすね? よくもまあ今まで隠れていたと言いたいとこでやんすが、四面楚歌のこの状況、分かってるでやんすか?」
再度緊迫感が辺りを支配する中。
それを打ち破るように、冷静にそう言ったのは法久だった。
そして、その言葉を如実に示すように。
カナリ、ちくま、恭子までが峯村を囲むようにしてアジールを展開する。
「やってごらん? できるものならねっ!」
「……うっ」
だが、峯村はそれでも臆することなくあざ笑い、無造作に右手をふり上げた。
すると……その右手に突如としてノイズがかかったかのようなブレが生じて。
白く細かい氷の粒子のようなものに変質したかと思うと、それは連鎖するように峯村の身体全体に浸食し、まるで何か見えない風にまかれるかのように移動していって……。
気づけば呻き声をあげる圭太のわき腹には、知己がかつて見たギラリと光る白刃が添えられ、再び現れた峯村自身は、背後に隠れるようにして圭太を羽交い締めする体勢をとっていた。
「紅さんっ? 峯村っ、お前っ!?」
それを見た知己は、硬直して焦ったような声をあげていて……。
(第76話につづく)
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