第161話、典型的紋切り型ヒロインと、時の舟


ドアが粉砕された影響なのだろう。

こんなところでも粉塵は舞うものなのだと、風は荒れるものなのだと、漠然とタクヤは思う。

 


「ってーな。もろいぞー。かっちゃんの異世」

 

その風の中から呆れたような、蓮っ葉な少女の声。

その瞬間、ただその一言だけで、タクヤたちの頭上にあった蛍光灯が破裂した。


刹那、理解する。

風の向こうにいるその少女の言葉ひとつひとつが暴力的な風、なのだと。

 


戦慄。 

どれだけ自分が高みに上がろうとも、逃れることのできない感情。

それに近付いてはならないと、魂が警告している。

だが、動くことはできなかった。

怖いもの見たさ、というのもあったかもしれない。

 

 

やがて荒れ狂う風が収まり、台風一過のごとき様相の部屋の向こうに、その少女が見えた。

膝くらいまである、長い長い小麦色の髪。

朱の混じる、漆黒の瞳。

人外のものでさえ息を呑む、神の領域に達せし美貌。

 

そして、タクヤ以上に……如実に人ではないと物語る、一対の純白の翼。

 

―――天使。

何も知らぬものが見れば、誰もがそう言うだろう。

 

だが、その身に纏う圧倒的な……知己以来の力強さを感じるアジールは、完全な闇に染まっている。

その闇は、まさしく『パーフェクト・クライム』である、と言われても納得できてしまいそうなシロモノだった。

 

 

「ふん。クズが二匹。外れか? まあ、取り敢えず、『消えてくれよ』?」

 

言葉もないタクヤに、少女はつまらなそうにそう呟く。


たった、それだけだった。

たったそれだけで目と鼻の先に、真っ赤に燃える灼熱の太陽を思わせる火球が出現した。

間違いなく、避けられない。


偶然か、分かっていてなのか。

今のタクヤには絶望的な力だった。

正直何もできなかった、と言ってもいいだろう。

 

 

しかし、その絶望的な力は、タクヤに触れるか触れないかの所で、あっさりとその活動を停止した。

たった一本の、指ほどに細い、晶の手にした木製のスティックによって。



「……」


晶は無言のまま、さらにもう一対のスティックを、火球に突き刺す。

するとどうだろう。

風に巻かれてまとわりつく綿菓子のように、スティックに吸い込まれていったかと思うと、炎の塊は、あっさりとその姿を消した。


「あ、なんだ。どこのクズかと思えば、真(まこと)のとこのか!?」

「……相変わらず口悪いよ、こうみん。ううん、この場合げじげじ魔女って呼べばいい?」 

「げじげじじゃねーっ! 傾世(けいぜ)だよ! って、その恥ずかしい二つ名知ってるってことは、やっぱりお前真のだな!」



これは……一体、なんだ?

タクヤはそう思わずにはいられない。

話している内容は、久しぶりに会った旧友か何かが軽口を叩き合っている、くらいのものなのに。

タクヤの感じるのは、理解の及ばない非現実の怖さ、だった。

 

何せ、小麦色の髪の少女が言葉を紡ぐたびに、風が荒れ狂っているのだ。

しかも、その立っていられないほどの暴風を、まるで気にした様子もなく。

会心とも思えた相手の一撃をあっさり止めた黒髪の少女は、まるでそれが親しいもののように、会話を楽しんでいる。

 

 

「知り合い……ですか?」

 

正直、そんな言葉が出たのも奇跡に近かった。

思いも寄らない二人の規格外の会話に、ただただ気圧されていた。

それとともに、タクヤはひどく自分の弱さ、ふがいなさを感じるのだ。

 



思えばあの、刀を持っていた少女の一撃を受けたときも、そうだった。

繰り出されたのは、自分が致命傷にならぬようにと、完全に手加減されたものだった。

 

相手はそのつもりはなかったのかもしれないが、タクヤに残ったのは、煮え切らない敗北感で。

 

こんな思いは二度とごめんだ、そう思っていたのに……。

今は、それを凌駕する劣等感が、タクヤを包んでいる。

 


「うん。昔の同僚だよ。残念ながら故人だけど」

「やな言い方すんな、もう! オレは死んだんじゃない。『パーフェクト・クライム』とオレとの境界を外されて、オレは『パーフェクト・クライム』……その一部になったんだよっ」

「……」

 

それは、現れた時から、うすうす感づいていたことではあるが。

自分は敵だと、堂々と宣言しているに等しい言葉だった。



「馬鹿正直だね、こうみんは。そんなわざわざ、こっちから攻められるようなこと、言わなきゃいいのに」

「だってお前がいるなら、一緒だろ?」

 

晶の言葉に肩をすくめて羽ばたいて、笑ってみせる少女。

感じる……気分のよくない何か。


本当は、二人はグルで、晶は敵方のスパイなのではないかと思えるほど、二人の間には親しげな何かがあった。

 



「……で、わざわざそんな事を言いに来たの? こうみんは」

「ん? なんていうか、暇つぶし? まさか真……いや、お前は違うんだっけか。似すぎてて感覚がおかしくなるな。まあとにかく、お前がいるとは思わなかったけど、そんなところかな?」

 

気付けば荒れ狂う風もやんでいる。

しかし、少女の言葉に、晶は首を振り、



「嘘。最初から分かってて、ここに来たんでしょ?」


さっきとは打って変わって、静かだが有無を言わせない晶の言葉。

聞いた少女は、くつくつと……相貌にミスマッチな笑い方をする。

タクヤには、それがなんだかお互いにひどくお芝居めいていて、滑稽なものにも見えたが。



バレたか。ほんとは、あんたが目的で、オレはここに来た」

 

ドクン、とあるかどうかもわからない心臓が、跳ね上がるのが分かる。

少女の視線は間違いなく、タクヤのほうに向いていたからだ。

 

それに初めて、晶は驚きの表情を見せる。

目の前の小麦色の髪の少女が、巨大な炎の塊作り出そうと、風を暴れさせようと、お構いなしだった晶が。

 


「あんた……そうだな。ここじゃない別の世界での言い方をすれば、時の眷属、ってやつなんだろ? しかも、足を踏み入れたてだけど、神型ってやつ?」

「……!」

 

もう驚愕、の一言しか浮かんでこない。

何故、自らの主すら知らない自分の過去を目の前の少女が知っているのかと。

 


「ってことはさ、時間の行き来とか、できちゃったりするわけだろう? それをさ、ちょーっと教えといて欲しい人がいるんだよな」


言われた瞬間……カッとなった。

思わず我を忘れていた。

無意識のままに腕を、濡れた新緑の色のようににじみ光る刃と化した腕を、少女に繰り出していた。



「……っ、怒りで力が跳ね上がるタイプ? なかなかやるな。だが、あんたとオレじゃ、相性が悪すぎる」 

 

いつも抑えているはずの心が怒りに染まっていたから、手加減などできようもなかった。


事実、『稲穂』だった自分には自虐的でしかない腕から生えた鎖鎌は、少女の身体を両断している。

 

だが……切り裂いたそれは、陽炎だったらしい。

小麦色の髪の少女は、いつの間にか無人のベッドに座り、羽根を休めるかのごとくくつろいでいる。

それだけで感じてしまう、圧倒的な力の差。

 

しかし、その事は……【時の舟】の力を使うことだけは、決して知られるべきではない、引けないコトだった。

何故ならそれは、消せない自分の重い罪でもあったからだ。

 


「……教えてくれ、ですって? 誰に!? 何の目的があって!!」

「そりゃ決まってる、これから起こるバッドエンドを修正するためだろ? 誰にってのはあんたが一番知ってるはずだ。だからまぁ、オレが聞いて教える必要はないんだけどな、オレ、そういうの興味あるんだよね」

「何を……どうして、敵の君がそんなことを口にする!?」

 


もう、それはほとんど絶叫に近かった。

少女は、自分を『パーフェクト・クライム』との境界を無くした存在だと、そう言った。

それは、少女が少女であると同時に、『パーフェクト・クライム』であると言ってもいい。

【時の舟】を使うことは『パーフェクト・クライム』にとって、絶対的によろしくないことなのに。

どうして少女はその事を平然と口にできるのかと。

真意を問うがごとく、タクヤは少女を睨みつける。


すると少女は、ひどく自嘲めいた、しかし誰かに聞こえたらまずいとでも言いたげな小声で。

 


「初めから、敵とか味方とか存在しない…………だったらどうする?」

 

そう、言った。

 


「どう、いう……」

 

混乱する。思考がまとまらない。

呆然と固まるタクヤをよそに、少女は小悪魔めいた笑みをこぼし、ぱっと立ち上がると、あっさり背を向けて部屋を出て行こうとする。


……と。



「今の話、わたしはじめて聞いた。……どういうことなの?」


そこに、それまで黙っていた晶が、後ろ手に声をかける。

すると少女は翼を翻し、しっと人差し指を唇にあて。


「また次の機会にな。そろそろ、『パーフェクト・クライム』が起きる時間だ」

 

そう言い残し、どこへともなく、去っていく……。

 

 


タクヤも晶も、そんな少女を追うことはしなかった。

たぶん、お互いに整理しなくてはならないことが、多すぎたからだろう。



「君は……」


小麦色の髪の少女が来る前とは、全く別の意味を持った、いろいろな意味を含んだ、タクヤの問いかけ。

しかし、その言葉をタクヤが紡ぎ終わる前に、遮るようにして晶は口を開いた。

好奇心旺盛な子供が、爛々と表情を輝かせる、まさにそんな雰囲気で。



「わたしは、あなたと同じ、ファミリアだよ。伝説として語られるガラクターズのドラマー沢田晶を母に持つ、『真』という名の女の子のね。『喜望』の人たちは、レミって呼ぶけれど」

 

あどけない笑みすら浮かべて、そんな事を言う晶。

もしかしたら、それこそが……彼女の本当の姿、なのかもしれなくて。


 

「それから、あの子の名前は仲村幸永(なかむら・こうみ)。わたしたちが組むバンド、『R・Y』の最後のひとり。たぶん、自分だけのけ者にされるの、やだったんだろうね。わたしもあんまり、ひとのことは言えないけど……」

 


聞かれてもいないのに晶は、タクヤに次々と情報を与えていく。

それは罠、なのだろう。

タクヤを逃がさないための。

 

だから……。

 


「さ、今度はタクヤさんの番だよ。時の眷属って、なんのこと?」

 

それを聞いてくるだろうことは、まあ、当然の帰結だったのだろう。

何故ならそんなタクヤ自身のことを、答えざるを得ないかのように、晶は自分の情報を口にしたのだから。

そのやり手さに、タクヤは内心舌を巻く。

 


「前言撤回したくなりますね。あなたは、想像以上に、一筋縄ではいかないようだ」

「ふふっ」

 

そして。

そう呟き、さも人間らしくしぶい笑みを見せるタクヤに。

同じく晶もより人間らしく、悪戯っぽく笑ってみせるのだった……。






          ※      ※      ※





長く広い、むき出しのコンクリートの通路が。

心地よい風を遮ることもなく、弥生たちを包み、通過してゆく……。

 


「あ、ここは涼しいな~」

 

ちくまが呟く通り、冬の寒風ではない、今の夏の季節には甘い誘惑とも言える涼風が、病院地下へ辿り着いた弥生たちを撫でる。

 


「こんなに地下、広かったんだ」

 

同じく弥生も風の心地よさに目を細めながら、あたりを見回し、ぽつりとつぶやく。

 


そう、病院地下は、弥生の予想を遥かに上回るほど広かったのだ。

病院内の温度を管理するための部屋、ボイラー室。

電気系統を総括する部屋。

この場所の竜脈をコントロールし、能力者の活動を促進する場所。

薬剤や、過去の資料を保管するための倉庫。

それらが、分厚い鉄筋コンクリートで区画され、地上の一階と、同じくらいの敷地が広がっている。

風が入ってくるのは、地上へ繋がる空気口でもあるからなのだろう。

 

 

「あ、こゆーざさん、待って!」

 

と、その時だった。

美里の頭上で心地よい風にうっとりしていたこゆーざさんが、何かに気付いたらしく、さっとコンクリートの地面に降り立ち、駆けてゆく。

美里もそれを追いかけてしまったので、ちくまと弥生もそれに続くことにする。



そして。

一行が辿り着いたのは、さらに地下へと続く、階段のある場所だった……。

 


「……」

 

こゆーざさんはその入り口付近にちょこんと座り、招き猫よろしく顔を洗っている。

 

「わぁ、何だかダンジョンみたいな階段だね!ちょっと向こうは真っ暗だよ?」


心底嬉しそうに楽しそうに、ぽつりと呟く美里。

弥生はそれにちょっと溜息をついて。



「もしかしてこれ降りる、なんて言うんじゃないでしょうね」

 

そうぼやく。

何せ美里の言う通り、古いコンクリートの階段のその先の闇は、永遠に続く入り口を思わせたからだ。

 


「でも、この階は赤頭巾の大ボス、いなかったよ。もっと下にいるのかもしれない!」

 

それに対し答えるちくまは、言ってることはまともなのだが。

いかんせんその顔がわくわくだけで構成されているからいただけない。



「まぁ、ここにこんな地下があるなんて今まで知らなかったし、どっちにしろ降りてみる価値、あるかもしれないわね」



これから、どれだけ続いているのかは行ってみなければ分からないが。

こんな大規模な場所があること、聞かされていなかった、知らなかった事実が、弥生の好奇心にさえも火をつけたらしい。



「やた、んじゃ出発ーっ!」

「冒険だ、冒険だよね、これ!」


なんだか結構似たもの同士らしいふたりは、まるでピクニック気分でさっさと階段降りていってしまう。 

弥生は二人に取り残されてなお、自分のことを見上げているこゆーざさんを抱きかかえて。

 


(はぁ、冒険か。何でこんなことしてんだろね、私)

 

『あいつ』に出会ってから、普通でいることなんてすでに無理なのだとわかってはいても。

こういうのはガラじゃないとばかりに、弥生は再度溜息をつき、ゆっくりと、階段を下っていくのだった。


この先に何が待っているのか。

今はまだ、気付くこともなく……。



             (第162話につづく)






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