第160話、知己の同属、一方的に護らねば宣言。


と、その時だった。

 


「ごめん、カナリっち、来たわ。キューピッド役はまた後でね~」 

「あ、よ、よっしーさん!?」

 

ぐん、と。

今はもう何度も体験した、世界の変わる感覚がしたかと思うと。

ゾクリとする……まさに獲物を刈る目をした仁子が、今までの走りは、カナリに合わせてくれていたのだとはっきりわかるくらいのしなやかなスピードで駆け出していってしまう。

一瞬、そんな仁子に飲まれかけたけど、すぐ我に返り、カナリはあわててその後を追いかける。

 


そして、しばらく走って。

中庭を建物に沿ってぐるりと回り、そこは病院の正面玄関。

 


「みーつけた」


仁子はぴたりと立ち止まり、嬉しそうにそんな言葉を洩らす。

 


「あっ」


そこには、一人の青年がいた。

どこにでもいそうな、空気のような青年。

 

しかし、その青年はいくつもの赤黒い、人影のようなものに追われている。

あれが、ちくまたちの言っていた赤頭巾だろうか。

 


「ちょっ。な、何っ? 何でオレっ!? た、たすけてくれっー!!」


青年はその一体に掴まり、次々と絡みつかれ、情けない声をあげている。

助けなくちゃ、とカナリは思ったが。

 


ドシィッ!

 

「下がりなさい。アレは危険よ。……私が行くわ」

「っ!?」  

 

魂を鷲摑みにされる。

そんな感覚を受け、カナリはそれ以上前に進めなくなってしまった。

 

戦いへの歓喜が含まれているかのような、そんな仁子の言葉のせい?

……違う。

知己を髣髴とさせる七色のアジールを、仁子が沸き立たせているから?


……違う。


仁子に寄り添うように。

『ソレ』が……さっきの金髪の少女を見たときの何倍も、カナリの記憶を刺激するソレが、そこにいたから、だった。


ぼぉ、と薄青の光を放ち続けるソレは、言うなれば天使の姿をしていた。

だが、どこか金属めいていて、触れれば切れてしまいそうな光沢を放つさまは、どちらかというと、本物のと言うより、ちくまのラヴィズに近い存在なのかもしれない。

 


でも……動けない理由は、そういう知っている、という意味ではなかった。

カナリはソレを、本当に知っていたのだ。

ソレが、これから何をするのか、どうしてか、分かってしまったのだ。

だからこそその意味が分からなくて、カナリは動けなかった。


 

「トゥエル! 裁きの口火を!『第仁聖天』ファースト! 『アドジャッジ・セブン」ッ!!」

 


そんなカナリの目前で、トゥエルと呼ばれたソレ……蒼き天使は、カナリの記憶通りにその姿を変形し、仁子の腕にまとわりつく。

変形を終えたそれは、すでにファミリアをイメージするものではなく、ひとつの武器と化していた。

 


―――『牙撃』。


腕に装着するタイプの、刺突に特化した蒼白き刀剣。

だがそれだけが、この武器の全てではない。

人を堕落させるという七つの大罪を絶つための、さらに六つの様々な刃が仕込まれているのだ。

  

仁子は、腕に青銀の翼を宿すがごとく、初めに踏み出した一歩で、群れる赤黒い人影へと肉薄する。

そして、二歩目には渾身の正拳突きを放つ構えをとって、その青白い刃の塊を突き出した。


その、群れる赤黒い人影にではなく助けを請う、青年に向かって。

そこまでが、何故かカナリには、分かってしまった。

 

 

金属……何かの割れるような音。

その一刀による剣圧で、あたりにいた赤黒い人影たちは、一瞬にして大気の塵と化す。

……だが。

 


「ちょ、ちょっと! 助けを求めてる人に向かって、それはないんじゃないのか!? おかげさんで、みんないなくなったからいいけどもっ!」

 

素直に何の裏もなく、おののき、驚きの声をあげる青年。

それは、仁子の繰り出した刃に貫かれたまま、という状態でなければ。

まともな光景として映ったのかもしれない。


混乱とともにカナリに訪れるのは、新たな理解不能な恐怖。

無意識のうちに、一歩後ろに下がる。

そして、目の前で起こった異常のカラクリに、最初に気付いたのは仁子だった。


 

「カナリっち! ……くっ、しまった!」

 

ぎり、と唇を噛み締め、仁子はカナリに向かって走り出す。

だが、それよりも早く、一歩下がったカナリを受け止めるものがあった。

 


「全く、こんなとこで力使ってる暇、なかったのになぁ」

 

ちょっと投げやりなゆるい声は、カナリの背後から聞こえた。

とたん、仁子によって貫かれた青年だったものに、ぴしりと亀裂が走り、ガラス……いや、氷のように砕け散る。

 


いや、それは正しく、氷に青年の姿を映したもの、だったのだろう。

カナリには、いつの間に入れ替わったのか、背後に回られたのか、全く分からなかった。

しかも、その事実に気付くのが少し遅かったらしい。



相手が近かった。

これは自分自身が、人質になってしまったようなものだと、カナリはそう考える。

 

自然と、背中に冷たいものが、零れ落ちるのがわかって……。

 



「その子を離しなさい。少しでも傷つけたら、あなたを殺す」

「だはっ、だ、だから待てって! ほ、ほらっ。状況を見てみろよっ、普通そういうのは、オレが言う言葉だぞ? この場合」

 

カナリの頭上で交わされる、危ういやり取り。

じりじりと、間を詰めていた仁子だったが。

そんな青年の言葉に、ぐっと足を止める。

 

このままではまずい。

カナリはそう思った。

自分のせいで、仁子に迷惑がかかってしまう、と。

自分がどうなろうとも、この状況から抜け出さなければならない、と。 

 

だからカナリは決死の思いで、後ろを振り返った。

瞬間、青年と視線が交錯する。


その、茶色みがかった瞳は。

この場にそぐわないほどに、戸惑いの色を浮かべていた。

そして、その瞳の奥には本当に敵なのだろうかと疑ってしまうくらいの、澄んだ暖かさがあった。


カナリが、それに疑問を覚えた時。

青年は、すっと右手を振り上げた。

カナリはびくりと硬直し、身を縮ませる。

 


「やめてくれ。君みたいな子にそんな顔されたら、立ち直れなくなるじゃないか」


だが……振ってきたのは、カナリの命を奪おうとする類の攻撃、ではなく。

ぽむ、と優しく撫でるような、ちょっと冷たい手のひらだった。

 


「……っ!」


状況が理解できないのは仁子も同じだっただろう。

カナリの頭に降りた手に、仁子は顔をこわばらせ、射殺さんばかりの瞳で青年を睨みつける。


「だからさあ、よっし~。君もそんな顔しちゃだめだって。オレはさ、ただこの子が具合悪そうだなって、思っただけなんだよ。……ん、まぁ、大事はなさそうだな」

 

しかし、それでも青年は、困り果てたように苦笑しながらそう呟き。

もう一度だけカナリの頭を撫でると、その手を離した。

そして、改めてふたりに向き直り、口を開く。

 


「いいかい、お二人さん。いきなり攻撃してきたのはそっちだ。オレは悪くないだろ。……でもさ、誤解されたままでいたくはないから、はっきりと言おう! オレは、何があっても、絶対に、女の子は傷つけない!! ……オーケー?」

 


一瞬の間。

カナリは思わず、ぽかんとして青年を見ていたが、仁子はその隙を見逃さなかった。

いつの間にか背後にいた青年のスピードにも負けない速さでカナリと青年の間に割り込み、そのまま青年の首元に、青白い刃をつきつける。

 


「それは、このまま殺しても、って意味であってるのかしら?」

「そ、そうだよっ、そういうことだよっ!」


仁子の冷えた言葉に、青年ははっきりとそう宣言したが、その顔は青ざめていた。

汗をだらだらと流し、目は泳ぎきっている。

 


「あなたが『本物』の塩崎克葉さんなら、今の言葉信じたかもしれないけど」

「なんだ、やっぱオレのこと知って……ひっ、ちょ、ちょっと、あたってるって!」

 

怯え、慌てふためく青年。

なんだか立場が逆のような、変な感覚に捕らわれるカナリである。


 

「そんなわけないわよね。克葉さんはもう、この世にはいないもの」

「ああ、そうだよっ! オレはもう死んでるよっ、ゾンビだよっ! ほんとはオレだってこんなとこ来たくなかったんだけど……しょうがないじゃないか!」

 

何の駆け引きもなく、あっさりと仁子の言葉を肯定する青年。

これはさすがに、仁子も呆気に取られるしかなかった。

 


「……ふぅ。しょうがない、か~」

 

仁子は、何だかやる気が萎えて、ふっとスイッチをオフにした。

仁子は生前の塩崎克葉に会ったことがあるのだが……。

 

「あぁっ、血が出てる!? 血、出てるってば!!」

 

なんて、こちらをそっちのけで情けない声をあげ続けている青年の姿を見て、あ、本当に本人かも、と思ったのもある。


目の前の青年は仁子の名を名乗っていないのに知っていたし、事実、先にしかけたのもこっちだった。


カナリが何かされたわけでもなさそうであるし、ちょっと冷静になるべきだ、考えたのもあるだろう。


でも、一番の理由は。

これからしようとしていたことを止めるかのように、カナリが仁子の服の裾を引っ張っていたからだった。

 


思えば、自身の力を仁子が発動したとき、カナリの様子はちょっと変だった。

カナリの前では、初めて見せるはずのトゥエルを、その恐ろしさを理解した上で、怖がっているように見えたのだ。

それを敵? に先に見透かされたのは、ちょっと悔しかったりした。




「……ゾンビねー。でもって本物の克葉さんってか~? 私としては、そんな事を言って、私たちを騙そうとしている敵(パーム)って考えたほうがしっくりくるんだけど」

 

相手に、殺意や敵意がないのが分かったからなのだろう。

仁子は、力の抜けたなんだか眠くなる口調で、そんな皮肉を言う。

すると、涙交じりで首をさすっていた克葉は、ぱっと顔を上げ、

 


「おお、すごいなよっし~。それ、全部正解」

 

そう言って手を打つ克葉。

一瞬、克葉が何を言っているのか、分からなかった。

 

克葉は、その間に背中にしょってたリュックから、何かを取り出す。

そして戸惑う二人に、それを手渡した。

 

 

「手袋と……マフラー?」

「ああ。これからちょっと寒くなるからな。暖かくしないと」

 

仁子の呟きに、克葉は笑顔。

だが、その笑顔は、少し質が違っていて。

手渡された防寒具に目を奪われている隙に、克葉はあっという間に、二人との間合いをあけていた。

 


「じゃ、オレはやることがあるから、頑張って」 

 

息つく間もない、というのはまさにこのことなのだろう。

克葉はそんな捨て台詞を残し、忽然と姿を消した。

まるで今までいた克葉でさえも、氷の残像であったかのように、冷たい風を残して。

 

 

「寒くなるから、ね……」

 

本物か偽者かはおいておくとして。

目的はなんだったのだろうかと、仁子は思う。

 

彼がやったのは、少なくとも今までそこにいた人物が自分たちの敵であり、自分たちを滅するのとは別の目的があるのだと、宣言して去っていったことだけ。

その真意がどこにあるのか、仁子には分からなかった。

 


「よっし~さん、ごめんなさい。わたし……」

 

と、そんな事を考えていると。

カナリが本当に申し訳なさそうに、そんな事を呟く。

おそらく、何もできなくて人質になった? ことを悔やんでいるのだろう。

相手のペースに飲まれて何もできなかった、ということでなら、仁子も同じではあるが。

 


「気にしないで~って言いたい所だけど。さんづけをやめてくれたら、全部水に流すってことで、どう?」

「あ、ご、ごめんなさい」

 

おどけたつもりだったが、結局真に受けてシュンとなるカナリ。

こうなってしまうと、しばらくはそっとしておいた方がいいのかも、なんて思う仁子である。

だが、今さっきまでのカナリには、考えるべき点があった。

 

知らないはずのものを、何故か知っていたこと。

それはもしかしたら、カナリにこれから襲いくるであろう防ぎようのない『病』に、立ち向かうためのカギになるのではないか。


そんな事を思う、仁子なのだった……。




            (第161話につづく)






  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る