第159話、人の猫も、うちの猫も、ライバルになりえるか



「始まりますよ……」

「え?」

 

そこは、ナースステーション。

金箱病院の院長である男と、途中で見かけた『一般患者の転院』の理由について、伺っていた時だった。

突然そんな事を言い出す院長に、首をかしげる弥生。

 

 

『喜望』本部の命により、カーヴに関与しない一般人を他の病院に移す。

そのことだって、それならどうして自分たちに連絡がないのかと、よく理解できなかったのに。

いきなりそんな話題を変えるかのようにそんな事を言われて、一体どうすればいいのだろうと。

 


「あなた方と、私たちの、バトルロイヤルガ…………ネェ!!」

 

だが、目の前の男がそう言った瞬間に、弥生は全てを悟った。


 

刹那、変容する大気。

むせ返るほどに広がる視界一杯の赤。

それは元、院長だったもの。

まるで真っ赤な風船が膨張して膨らむように、その身体が赤い粘土のような何かに変質し、蠢いている。

 


それが、いつからだったのかは分からない。

ここに来て挨拶した時から?


それともつい最近?

本物は果たして無事なのだろうか?


もし、目の前のこれが偽者でなく、本人の変わり果てた姿だったとしたら。

何も起こってないと思っていたのは自分たちだけで、敵の行動を見過ごしていたことになる。

自然と険しくなる、弥生の表情。

 


だが、そのことを考えている余裕はなかった。

その赤いものがどんどん膨らんでいき、弥生たちに迫ってきたからだ。



「ねねっ、コレ、部屋から出たほうがイイんじゃないっ!?」


膨張、破裂、爆発。

見た目で思いつくのは、まずそれだろう。

慌てた様子で声をあげるのは美里。



「う、うんっ」


弥生は頷き、連れ立って部屋を出ようとする。

しかし、焦るふたりとは対照的に、そこから動こうとしない人物がいた。

先程、弥生たちがナースステーションに向かう途中で会った、ちくま+こゆーざさんである。




「あれ、長池さんを襲ってたのと同じだ。やっつけないと。今度は力、使ってもいいよね? こゆーざさん」

 

このまま部屋にいればどうなるのか、予想できているのかいないのか。

相変わらずのマイペースで、こゆーざさんに話しかけているちくま。

 


「ちくまくん、こゆーざさん! 爆発するかもよ、はやくこっちに!」

 

美里が叫ぶと、こゆーざさんはぴんと耳を立て、ちくまの問いかけなど聞いていかなかったかのようにその頭からしなやかに飛び降り、美里の元へとまっしぐらに駆けてゆく。

 


「あ、ちょっと待って……って、わわっ!?」


気がつくと、赤色の何かは目と鼻の先まで膨張していた。

確かに、このままここにいたらまずい気がする。

それと壁に挟まれて、ぺしゃんこになるのはごめん被りたい。

 

転げるように、部屋を飛び出して……まさに間一髪。

ちくまが転がりながら部屋を飛び出し、弥生が扉を閉めたちょうどその時に、赤くうねる粘土のようなそれが、さして狭くないガラス越しのナースステーション内を占領した。

 

だが、それが寿司詰め状態になって以降は建物のつくりがしっかりしていたのか、そう変化はないように見える。

ただ、あれが元人間だったと考えてしまうと、それはあまり見目のいいものではなかった。


 


「どすんの、コレ? やっつける?」

 

美里はそう呟いたが、果たしてどうすればやっつけられるのか、それが分からない。

何せ、それと同じものと戦ったことのあるのはちくまだけなのだから。

 


「うーん、どうしよっかな……あ、ちくま君。あれと戦ったことあるんでしょ? 何か弱点みたいなの、ない?」

 

だったらちくまに聞けばいい、そう思って弥生がそう問いかけると。

ちくまは少しだけ考えるそぶりを見せて。

 


「あ、うん。たしか地面の下にね、あいつの本体がいるはずなんだ。僕の見たのは赤頭巾って呼ばれてて、人型のやつだったけど……たぶん、弱点も同じだと思うよ。床に身体つながってたみたいだし」

 

ぼけっとしているように見えて、あのわずかな時間で、そんなことまで気付いていたらしい。

流石、ネセサリー班にいるだけはあるなぁと、内心思う弥生である。

 


つい最近まで、知己とチーム組んだ人間は、法久以外にいなかった。

知己のパートナーは、いつも法久だけだった。

 

その事実は、うらやましくもあり……でも、ずっと不変なものだと思っていた。


それを変えた少年、ちくま。

それは、カナリにも言えることだったが。

どちらにしろ、弥生にとってたいへん興味深い人物、と言っていいかもしれなかった。

 



「そう、地面の下……か。確かこの病院、空調を管理する地下室があったはずよ。行ってみる価値はあるかもしれないわね」

「よぅし、地下室探検だぁーっ!」

「うんっ!」

 

闇雲に戦うより、経験者の言に従うほうがいいだろう。

弥生はそう思い、美里もそれにならって、一同は一路、病院の地下室へ向かうことにしたのだが。

 


(手遅れにならなければ、いいけどね……)

 

そんな中、こゆーざさんは。

美里の頭上に鎮座したまま、ナースステーションの方を、じっと見据えていたのだった……。





          ※      ※      ※





どうして自分は走っているのだろう?

カナリはそう考え首を捻ると同時に。

このよく分からない感覚を、最近味わった事に気付いた。


ちょっと理不尽で、唐突で。

だけどきっと意味のある行動。

カナリは、病院外に備え付けてある大きい庭園のタイル道を、仁子の後をついて走りながら……それが始めて知己と会ったときの感覚に似ているかもしれない、なんてことを思う。


おっかなくて、分からなくて、どきどきして、面白い。

単純に言葉で表わせば、そんな感じなのだろうけど。




きっぱりはっきりと、このままでは死ぬ、と言われた時。

すごく怖くて、負けそうになったと同時に。

やっぱりそうなんだと、納得している自分がいた。

だけど、あまりにはっきり断言された分、負けん気に火がついたのも確かだった。


きっと、「このまま」を脱却するための一歩が、この走るということなんだろう。

何も知らないくせに、物事に容易に無意味のレッテルを貼り付けてしまうのは愚かなことなのかもしれない。


おそらく、カナリの思いも寄らない理由がこの走ることにあるのだと。

そう言い聞かせて……仁子の、のんびりマイペースな外見とは裏腹に、全くもって素人を感じさせない、足音すら聞こえない走りについていっていると。

その途中、病棟の上階のほうで、ちくまを見かけた。



このままでは死ぬと言われた時、負けたくない気持ちに火がついたのは、ちくまのせいもあった。

何故だかはカナリには分からない。

自分の運命に、どこか納得している部分だってあったはずなのに。

どうしてかその時ちくまの顔が浮かんで、何だか無性にむかむかしたのだ。

 


その感情のことは上手く説明できなかったが。

例えるなら、ああ、なぐりたい! といった感じに近いかもしれない。

 

ちくまにとっては、迷惑な話だろうが。

そんなむかむかを残したまま死ぬのは嫌だって、強い気持ちが芽生えたのは確かだった。



「ん? どうしたの~。そんな眉八の字にして」

「え? いえ、何も……」

「あーっ! ちくまっちが金髪美女に迫られてるーっ!!」

「なっ!?」

 

なんて……いろいろ自分に言い聞かせるみたいに。

分からないとか、なぐりたいとか、並べ立てたりしたけれど、ほんとはそんなもの嘘なんだって、カナリ自身よく分かっている。

仁子にそうからかわれて、あっさり反応してしまう自分がとても憎ら……



「な、ななな何してんの、あいつっ!」

「う、うわ~」


仁子の最初の叫びは、からかってるわけではなかった。

信じられないことに、本当に仁子の言葉通り、迫られて? いた。

上階の遠目であるから、はっきりとしたことは言えなかったが。

ちょっと、アレは近付きすぎなんじゃないのって、感じではある。

魂に、紫色の火が点った気がした。



一体、いつから自分は、こんな手遅れな状態になってしまったのだろう?

それはとても不思議なことで。

でも何だかそれが、生きていること、生き続けたいことを自覚させるのだ。


もしかして、これを教えるためにここへ向かって走り出したのだろうか。

そんな馬鹿なと、そんなわけないと、否定するのは簡単だけれど。

どうもそんな気がしてならなかった。

 

 

と……。

その瞬間だった。

さっきとは全く別の意味で、ドクン、と心臓が震えたのは。

 

いつか感じた、記憶の蓋がずれる感覚。

そして、稲葉設永の『死』を見たときに感じた恐怖が、わずかにぶり返す。



(わたしは、あの人を知っている?)

 

しかも、非常によくないカタチで。

ほんとに漠然とした、イメージだったが。

それは、あの人に命を狙われたことがあるかのような、そんな感覚。

 


「あれ、消えちゃったね~」

「……?」

 

だけど、仁子の言葉通り、その人は忽然と姿を消してしまった。


「ん~、あ、美里っちと弥生っちがいる。だからか」


幻だった?

そんなはずはない。

自分だけが目にしていたのならともかく、隣にいる仁子だって見ていたのだから。

 


「あれ? みんな一緒にどこか行くみたいだね。何かあったのかな~」


しかし、そう思って仁子のほうを窺うが、仁子はまるで消えたことを当然として受け入れているかのように、のほほんとそんな事を言った。

 


「あ、あの」

「ん? どしたの~、カナリっち?」

「今、金髪の綺麗な人、いましたよね? それで、消えましたよね!?」

「うん。そうだね~」

「そうだねって、何か知ってるんですか?」

 

自分だけが知らないことへの不安。

それが、仁子にも伝わったのだろう。

仁子は安心させるかのように、ぱたぱたと手を振って。

 

「そんな心配しなくても平気だよ~。あの子はこゆーざさんだから。消えたっていうか、そう言う風に見えたっていうか、猫に戻ったんだよ、きっと」

 

あっけらかんと、そんな事を言う。

そう言えばちくまに今のパートナーが、こゆーざさんだったのを思い出す。

 


(そっか、人間に、なれるんだ……)

 

ジョイと同じ猫の形をしていたから、そんなことは考えも及ばなかったらしい。

 


(……?)

 

しかし、そこまで考えて、カナリはまた違う疑問に包まれる。

それは、目の前のことではなく、自分のこと、ジョイのこと。

仁子にそう言われて、思い出したこと。

 

 

―――本当にジョイは、ただの猫だった?

 

いや、そんなはずはない。

だって、そもそも彼女は……。

 


「あ、でもやっぱ大丈夫じゃないかも、のんびりしてたら、大事な獲物を猫さんに取られちゃうかもよ~」


仁子は、思考の波に飲まれていたカナリを見てどう思ったのか、ふっと悪戯っぽい笑みを浮かべ、カナリの胸元につけたままだった、強くて、健気で、かわいいと、三拍子そろったひまわり色のマスコットをちょん、とつつく。


「……あ」


その瞬間、何かのパズルのピースがパチンとはまったような……そんな気がした。


そう。彼女は『みゃんぴょう』なのだ。

皆に愛される偶想をイメージし、『力』を媒介にして、もともと飼い猫だった彼女は、ファミリアとして生まれ変わったのだと。


「あれ……?」


でも、そう思うのに。

気持ち悪くなるくらいの、猛烈な違和感がそこにある。


おぼろげに浮かぶ……猫ではない、みゃんぴょうではない、ジョイの姿。


自分に向かって笑っている顔。

怒っている顔。

泣いている顔。

そして……歌ってくれた記憶。


彼女が『みゃんぴょう』であること、当たり前の事実のはずなのに。

がっちり糊付けされた、パズルのピースの向こうに、カナリの知らないジョイがいる気がして……。 




「あ~……ごめんね、その、冗談だってばよー。取られない、取られないから。そんな顔しないで。切なくなって、こっちが泣いてしまいますよ」


と、本当にうるうるしている仁子のそんな言葉に、カナリははっと我に返る。

どうやら、ぼうっと自分の世界に浸っていたら、盛大な勘違いをされてしまったらしい。

カナリはあたふたと慌てながら。


「あ、こ、こっちこそすいません。ちょっとうちの猫のこと思い出してて……じゃなくて! よっしーさん、勘違いしてます! 獲物って、変な言い方やめてくださいっ。あいつとわたしは、そんなんじゃないんですっ!」

「うをーっ、めっさ必死じゃん。わかった、わかりましたよ~。よっし~さんにまーかせーなさーいー。これからは、この私が全力で恋のキューピッドを買って出ちゃいます~。私にかかれば、大切なあのひとのハートも、一瞬で蜂の巣になること間違いなしーっ」

「あぅ、全然わかってないですよ」

 

のんびり緩慢と、何だかいろいろ間違った感じで、任せろ~! とばかりにカナリの肩を叩く仁子。


突っ込む気もそがれてしまったカナリは。

生涯あまり感じることのなさそうな、深い脱力感を覚えるのだった……。




            (第160話につづく)






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